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カーテンコール3 ~芦毛の怪物 オグリキャップ

第2次競馬ブームといわれた1980年代、競馬界は異常なほどの盛り上がりを見せ、ビッグレースともなればわずか2~3分のドラマに600億円以上が投じられるほどになった。
この人気の火付け役となったスターホースがオグリキャップである。

岐阜の地方競馬笠松出身ながら、中央競馬入りし数々の名勝負を繰り広げたその姿に、自分を重ねあわせたファンも少なくない。

彼の引退レースとなった平成元年の有馬記念のゴールシーン。
奇跡の復活を遂げたオグリに17万観衆か贈ったカーテンコールは、今も記憶に新しい。

(出典:スポニチ)

1 鮮烈のデビュー

4歳(現在の馬齢で3歳)の春に彼はやってきた。
地方での戦績は12戦10勝
「芦毛は走らない」
それがオグリが登場する前の競馬界の常識だったこともあって、さして注目を集める存在ではなかった。

ところが、デビュー戦のペガサスS圧勝したオグリは、続く毎日杯京都四歳特別連勝を飾る。
鮮烈なデビューを飾ったオグリキャップ。一気にクラシックの夢も膨らむところだが、関係者はまさかそんな活躍をするとは思っておらず、クラシック登録をしていなかったため、彼は夢に挑戦することすら許されなかった。

かつて、クラシック出走権のなかった外国産馬のマルゼンスキー(10戦10勝)の騎手が
「大外でいい!ずーっと大外を回るから!ダービーに出してくれ……」
と悔し涙を流したことが多くの競馬ファンの脳裏をかすめた。

その後、ニュージーランドトロフィー四歳Sで恐ろしいまでの強さを見せつけたオグリは、高松宮杯でもレコードで古馬を一蹴、さらには一流古馬がそろう毎日王冠をも制する。

地方出身地味な血統芦毛クラシック未登録・・・
それでもひた向きに走りつづけるオグリ・・・。
ハイセイコー以来、競馬ファンが待ち焦がれたスターホース誕生の瞬間であった。

2 もう一頭の怪物

中央デビュー以来、負けなしの重賞6連勝で、いよいよ挑んだGⅠ、秋の天皇賞
しかしそこには、もう一頭の怪物が待ち構えていた。
しかもオグリと同じ芦毛の怪物が・・・。

4歳秋から突如頭角をあらわしたこの怪物が、稀代の名馬タマモクロスである。
それまでの競馬の常識を覆す「芦毛対決」となった天皇賞は、オグリの完敗(2着)だった。

それでも、彼の人気は衰えることなく、血統から距離不安が囁かれたジャパンカップでも3番人気に支持されると、4歳馬ながら期待に応えて3着と奮闘した。
しかし、またもやタマモクロス(2着)の後塵を拝する。
しかし、オグリはこのままで終わるような馬ではなかった。

その1ヵ月後の有馬記念では、タマモクロスばかりか、名馬スーパークリークサッカーボーイをも撃破し、4歳馬にして見事優勝を飾った。
この勝利によって彼の人気は不動のものとなった。オグリが現れると、競馬場の雰囲気が明らかに変わった。

オグリは落ち着き払った普通の一流馬とは何かが違っていた。
パドックでは気合いを剥き出しにし、鞍上(騎手)も度々代わった。
多くの一流馬は自分の競走スタイル(好位差し・逃げなど)を確立して着実な走りを見せるが、オグリは違った。
彼の競走スタイルは、まさしく「根性」であった。
どんな相手にもひるむことなく、数々の名勝負を演じた。

3 名勝負 ~酷使

春の天皇賞宝塚記念を勝った現役最強馬イナリワンとの息を呑む叩き合いを制した毎日王冠
道中の不利をもろともせず、スーパークリークを追い詰めた天皇賞(2着)。
彼はどんな状況にあっても、どこからでも必ず飛んできた。 
しかし、そのあまりの根性が、かえって仇になってしまう・・・・・・。

天皇賞の敗戦後、オグリ陣営はジャパンカップを前にマイルCSへの出走を表明する。
ただでさえ、秋のGⅠ3連戦(天皇賞、JC、有馬記念)はキツイとされているというのに、あまりの強さとド根性ゆえに、一流馬には信じがたい使い方をされてしまう(オーナーが代わったことも無関係ではないが・・・)。

名伯楽の尾形藤吉氏は「競走馬は削り節」という名言を残しているが、競走馬の能力には限りがあり、酷使(使い過ぎ)は競走能力を、ひいては命までをも奪いかねないのである。

そして臨んだマイルCS
武豊騎乗の人気馬バンブーメモリーは終始スムーズなレース運びで、最後の直線、先頭に立った。
それに対し、オグリは馬群に囲まれなかなか前に出られない・・・。
ここで勝負は終わった・・・普通なら。
誰もが勝負が決したことを悟った時、後方から物凄い勢いで跳んで来る馬が・・・オグリだ!
届くのか・・・まさか・・・
残り200m、100m・・・一完歩ごとに差を詰める。
スタンドがどよめきから静寂に変わった・・・。
ラスト50m・・・必死に食らいつくオグリの姿を見ていた観客は、言葉にできない何かが体の底から湧きあがってくるのを感じた。
バンブーメモリーと体を並べたところがゴールだった。

長い長い写真判定・・・。
電光掲示板にオグリのゼッケン「1」が点灯した時、
場内は割れんばかりの歓声と感動であふれ返った。

馬券を取ったという歓喜とは明らかに違う熱気が、冬の京都競馬場を包み込んだ。
勝利インタビューに応える南井の目には、涙があふれていた。

「ここで打ってくれ!」ファンがそう願うと必ず打った長嶋茂雄。
オグリもまた、どんなにきつい条件でもファンの期待を裏切らない馬だった。

マイルCSの激闘の疲れを癒やす間もなく、連闘(2週連続)で臨んだジャパンカップ
明らかに常軌を逸したローテーションであったが、ファンはオグリの力を信じた。彼の根性と闘争心に賭けた。

そしてジャパンカップのゲートが開いた。
ファンの期待をあざ笑うかのような超ハイペースでレースは進む。
過酷なローテーションで挑んだオグリにとって、あまりにも厳しいレースであった。
直線、好位からニュージーランドのホーリックスが抜け出した。
しかし、その背後から・・・、
来た!オグリだ!やっぱりオグリは来た!
ファンの大歓声を受け必死に食い下がるオグリ・・・。
しかし、首差届かず同タイムでの2着
どよめくスタンド・・・。
その直後、さらに大きなどよめきが起きる。

走破タイムは2分22秒2
それまでの記録を大幅に更新する、驚異的なレコードタイム
何と2400mの世界レコードであった。
敗れてなお、大きな感動を与えてくれるオグリに、ファンも惜しみない拍手を送った。

競馬の枠を超え、オグリキャップは国民的ヒーローになりつつあった。
オグリのぬいぐるみは、競馬ファンの枠を越えて、飛ぶように売れた。

4 奇跡の復活

ジャパンカップのあとの有馬記念は、さすがのオグリも疲れが出たか掲示板を確保するのがやっとの5着に終わったが、翌年の安田記念では、武豊とのコンビでレコードで圧勝
健在振りを強烈にアピールした。

しかし、宝塚記念2着の後、天皇賞は6着、ジャパンカップでは11着と惨敗を繰り返す・・・。

「オグリは終わった」
「もうかわいそう。これ以上走らせないで」
という声であふれた。
オグリはこの時、6歳にしてデビュー以来、既に31戦を数えていた。
一流馬には、考えられない数字である。

「もう一度オグリの本当の走りを見せたい。しかし、その力が果たして残っているか・・・」
引退か復活か、有馬記念を前に関係者は苦渋の決断を迫られる。
そして出した答えが、武豊への再びの騎乗依頼だった。

「武君が騎乗してくれなければ、オグリはそのまま引退させる。」

オーナーは、オグリの運命を若き天才に託した。
そして、武豊が出した答えは……

「オグリは、まだ終わっていない!」

武豊が騎乗を快諾したことで、有馬記念がオグリのラストランに決まった。

そして、運命の日、同じ芦毛の若駒ホワイトストーンが人気を集める中、オグリは4番人気まで人気を落とした。
いや、根強いファンの引退を惜しむ気持ちが、4番人気で踏みとどまらせたのだろう。

オグリ最後のレースがスタートした。
淡々とレースは流れた、そして最終コーナーに差し掛かった時、大外からオグリが上がってきた。
「まさか!」「勝ってくれ!」・・・
それは、これまでオグリに向けられてきた「期待」とは違う、「祈り」であった。

4コーナーを回って最後の直線へ・・・、
その時、オグリの左前脚が空を切った。
オグリ復活への天才武豊の秘策・・・、
彼はオグリの手前を替えたのだ(走る時に前になる脚を入れ替えること)。
いつも右手前で走ってきたオグリが、鞍上ののサインに応え左手前に替えた。
はそうすることで、疲れきったオグリの最後の力を引き出そうとした。
そして、奇跡は起こった

スーパークリーク、イナリワン、バンブーメモリー
名馬の鞍上で、オグリのライバルとして数々の名勝負を繰り広げてきたは、オグリに何度も辛酸をなめさせられてきた。
そのオグリの引退レースで手綱を取ったは、これまでの名勝負での借りを「復活」という形にして、オグリにきっちりと返した。

オグリキャップ 奇跡の復活の瞬間、17万観衆から“オグリ”コールが沸き起こった。
オグリを信じ続けた人ばかりか、信じきれず馬券を外した人までもが一体となって贈ったカーテンコールは、しばらく鳴り止まなかった。

どんな状況にあってもファンの期待に応えつづけたオグリキャップ・・・、
最後はファンの祈りに後押しされ、感動とともにターフを去っていった。


「競馬はロマン」であることを、多くの人々に印象付けた瞬間であった。
ハイセイコーテンポイントも知らない世代に
それを教えてくれたのがオグリキャップであった。

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