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久々のガンプラ

先日、数年ぶりにガンプラを作りました。きっかけは、出張の休憩中に仕事の愚痴を言い合っていたのですが、しだいに最近観た映画の話からガンダムの話になり、その人がガチのモデラーであることがわかったので、一度一緒にガンプラを作ってみようという流れになりました。就職してしばらくは時々ガンプラを作っていたのですが、その人のようなガチ勢の作品と比較した時に時間とお金をかけたわりに大したものが作れないことから、だんだん作るのをやめるようになりました。そこで、本気でガンプラを作っている人たちが、どんな作業をしているのか、どんな技術を作っているのかを教えてもらうため、“ガンプラ会”を開催しました。

学生の頃は、やすりを使ってつなぎ目を消したり、マーカーで色をつけたりはしていました。しかし、ガンプラ会で最初に教えてもらったことは、ランナーからパーツを切り離すことでした。ニッパーで切り離すだけだと思っていたのですが、ちょっと工夫するだけで切り跡がなくなりました。昔は、着色の時に手が滑ってガンダムの顔を真っ黒にしてしまったこともあるのですが、デザインナイフと毛細管現象をうまくつかってきれいに着色する方法を見せてくれました。他にも、レジンを使って目を光らせたり、プラスチックの素材に合わせて切り方を変えたりなど、素組みでも少し工夫することでクオリティの高いものができることを知りました。会の中では上半身しか作れませんでしたが、上半身は自分の中では最高の作品ができました。

最近のガンダムは、脚が細かったりして、重心が取りにくいです。バルバトスは、武器が大きすぎる。

ガンダムは1979年にテレビで放映されてから、続編や新シリーズが作られ、現在まで続いています。世代によってお気に入りのシリーズがあるのではないでしょうか?最近も水星の魔女が放送されており、新たな中高生のファンを増やしているようです。また、ガンダムはゲームやプラモデルでも扱われており、2013年から“ガンダムビルドファイターズ”というアニメが放送されていました。
内容は、「とある世界の近未来。そこは現実世界とおおむね同じだが、大きく異なる点があった。プラスチックに反応して外部から動かせる特質を有した「プラフスキー粒子」と、この粒子を使ってガンダムシリーズのプラモデル「ガンプラ」を遠隔操作して戦わせるシミュレーションゲーム「ガンプラバトル」の存在である。ガンプラバトルは世界中に愛好者がおり、世界大会も毎年開催されている。その優勝者は、愛用したガンプラとともに名前を全世界へ轟かせる。これは、そんな世界で繰り広げられるガンプラバトルに熱き魂を燃え上がらせる人々の物語である。(Wikipedia)」というものです。

これも人気があったようで、シリーズ化しています。私はガンプラ販促のためのアニメだと思って、最初は興味を示さなかったのですが、少年誌展開が繰り返される良アニメでした。ガンプラがメインの話ですが、ガンダムのことを知らなくても楽しめますし、知っていたら細かいネタがわかる作品で、視聴者を選びません。少年誌的王道アニメを探している人がいればおすすめの作品です。

ガンダムビルドファイターズのシリーズの中で最も印象に残っているのは、続編の“ガンダムビルドファイターズ トライ”の「素組みのシモン」という話です。ガンダムビルドファイターズの世界では、強いガンプラを作るために独自に改造しています。しかし、この話で登場するシモンが使っていたのは、何の改造もしていない素組みのディスティニーガンダムでした。
機体は強くはないもののシモンの操縦能力の高さで主人公たちと互角に闘う熱い展開が見どころなのですが、この話で一番の見どころは、彼が使っている素組みのディスティニーガンダムは病気の幼い弟が作ったガンプラだというところです。

ランナーの切った跡がはっきり見える。iPhone恐ろしや。

「どうしてガンプラを作るのか?」と聞かれたら、理由は人それぞれだと思いますが、1つにはガンダムの作品を観て感動して、その時のガンダムを形にして残したいからというのがあると思います。着色などの加工をすることで、ガンダムをより自分好みにすることができます。ガンダムビルドファイターズの世界では、改造したガンプラは強くなります。しかし、いつの間にか気に入ったガンダムを形にすることが、きれいに加工されたプラモデルを作ることに変わっていないでしょうか。ボロボロになっても動き続けるディスティニーガンダムは、気持ちのこもった素組みのガンプラは、勝つために加工したガンプラに負けないというのを王道展開でみせてくれます。

自分が好きなガンプラがあれば、素組みでもいいから大事に組み立ててほしいというメッセージなのだと思います。そもそも、ガンダムが好きでなければガンプラは作らないはずなので、みんな好きで始めているはずです。より格好よくするために色をつけたりしていたはずなのに、上手くいかなくなって途中でやめたり、人の作品をけなしたり。趣味でも一定の成果を求められるようになると、手段と目的が逆になって、本来の“好き”という気持ちを忘れてしまうことはよくある話なのかもしれません

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