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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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うみねことうみステの人物の認識について

■初めに

うみステのお茶会を現地で見ていて、

生身の人間が背景の前で演じる、ということ自体が、

うみねこ原作にも似ているところがあるのではないか、
と感じたので、それを言語化してみました。

2024/1/8 追記
 正直に言いますと、
 当時は頭がごちゃごちゃの状態で書いたので
 前提等が固まっていません。

 
よくよく考えると
 明らかに不自然だと感じる点もあります。
 
 そのため、他のnoteと比較して
 皆様の解釈が分かれるような内容となっています。
 予めご了承ください。
 ご意見等あれば参考にさせていただきます!

 書き直し等は今のところ保留中です。

皆さんの考え方もぜひうかがいたいです

「うみねこのなく頃に」の重大なネタバレを含みます。
予めご了承ください。


■うみねこでの人物の認識

まず、原作での構造を振り返ります。

(自分は漫画版のみ全て読みましたので、
それを基に書いています)

漫画版では明確に語られていますが、
EP1-2は紗音による「犯行計画書」です。

それ以後のEP3-8は六軒島での事件の後、
生き延びた戦人の話をもとに八城十八が書いたものです。

特に紗音が書いたものは、
漫画版で明記されている通り、
六軒島の一人一人をとして見立てて書かれたものです。

また、紗音が作者であり、
その一部が世に知れ渡ったボトルメールや、
戦人と十八が作者である偽書の読者は、

一人一人を「ミステリー上の駒」として
見ていると言及されています。

(縁寿が同級生に
「留弗夫と霧江が六軒島の事件の犯人じゃないか」
と言われる描写など)

しかし紗音や生き延びた戦人にとって、
計画書および偽書の中に登場する一人一人は生身の人間です。

(紗音が計画書を書いた後に
「自分は何をしているんだ……」と一瞬我に返るシーンや、
生き延びた戦人が六軒島での記憶を取り戻し、
紗音や当日会った全ての人に対して
申し訳ない気持ちを抱えるシーンなどで言及されています)

つまり、
ボトルメールと偽書の中の一人一人に
対してのそれぞれの認識は、以下の通りと考えられます。

  • 駒     (作者である紗音/戦人/十八読者)

  • 生身の人間 (実際に六軒島にいたことのある紗音/戦人)

■うみステでの人物の認識

今度はうみステについて考えていきます。

「うみねこのなく頃に」の舞台は
現在2023/8/20時点で、EP1とお茶会が上演されています。

お茶会では舞台後方のスクリーンに
お茶会会場の背景が映し出され、
その前で生身の人間が演技をする、という形になっています。

脚本上では一人一人が駒であり、
同時に、
我々観客にとっては生身の人間です。

(脚本家と観客とのズレが
どの程度かはわかりませんが、
舞台を見ている時の感覚をそのまま言語化してみました)

■似ている点

「うみねこ」作中で語り手である紗音と十八、
ボトルメールや偽書の読者にとって、
六軒島の一人一人の認識は以下の通りです。

  • 駒     (語り手/読者視点)

  • 生身の人間 (語り手)

「うみねこ」の作品外の我々にとって、
上演中のうみステでの六軒島の一人一人の認識は

  • 駒     (脚本上)

  • 生身の人間 (観客)

このようになると考えます。

ゲームか舞台か、
語り手にどんな背景があるか、
という違いはあります。

が、
「うみねこ」「うみステ」という作品において
六軒島の一人一人が駒であることと同時に、
生身の人間であるとも認識されることが、
大まかな構造として似ていると感じました。

特にお茶会は原作の背景をうみステでも
使っているように見えるため、
より一層ゲームに近づいていると感じました。

■終わりに

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

また、
ネタバレ前提にはなってしまいますが、
うみねこについての他のnoteもありますので、
よければご覧ください。

感想等あれば、
コメントしていただけると嬉しいです!

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