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頑張ること、頑張らないこと

25年生きていると、自分の得意なこと、苦手なことがだんだんと分かってくる。それに加えて、得意と苦手の間に位置する「ちょっと頑張れば多分できるようになること」「めちゃくちゃ頑張ればひょっとしたらできるようになるかもしれないこと」みたいなグラデーションも何となく分かってくる。

自分に関して言えば、家事、資格を取ること辺りは「ちょっと頑張ればできそう」。初対面の人との会話を楽しむことは「めちゃくちゃ頑張ればできるようになるかもしれないこと」。

前者については積極的にチャレンジしていきたいけれど、後者については捨ててしまってもいいのではないかと最近思うようになった。

人間、一人ひとりができることは限られている。多分だけれど、完璧な人間はいない。高校が地元では割と有名な進学校だったこともあって、文武両道、才色兼備、性格も良し、みたいな人は何人か見たことがある。それでもきっと彼らだって、実は家が鬼のように散らかっているとか、壊滅的に絵が下手だとか何かしらの欠点を持っていたのだろうと思う。すべてのことをできるようになるというのは、多分不可能だ。

それなら、すべてをできるようになろうと思わずに、できる範囲のことをやっていけばいいのではないか。好きなことだけやるのと、できることをできるだけやるのは、同じようでどこか違う意味合いを帯びている気がする。少なくとも、他人に損害や負担を与えない限りは、苦手なことに無理にチャレンジする必要はないと思う。世の中を見ていると、苦手だと自覚していることに対しても義務感を感じて頑張り続けた結果、心や身体を壊していしまう人が多いように感じる。自分も含めて、みんなもっと開き直っていいと思う。頑張ることによって自分らしくいられなくなるくらいなら、頑張らなくていい。

私は、他人とコミュニケーションをとることが苦手だ。誰かと一対一で雑談をすれば数分で会話が途切れるし、勇気を振り絞って新しい話題を出してみても1ラリーで会話が終了する。どうにかしようと思って「会話が続くようになる本」「雑談が得意になる本」みたいなものを読んだことはあるが、実際何の意味もなしていないと思う。色々なことを気にしすぎる性格や、自意識過剰のせいでこうなっている自覚はあるが、物心ついたころからコミュニケーションが苦手なのでもう自分はそういう人間なんだろうという諦めも半分ある。今まではこの性格をどうにかしなければと躍起になっているところもあったが、最近はもはや開き直ってきている。これが良いことか悪いことかは微妙だが、個人的には生きやすくなった気がする。まあ私ってこんなもんだしな、と気楽に構えられるようになった。

職場での昼食は会議室で5,6人で集まってとっているのだが、最近たまたま他の人の休みが重なって、1年後に入社した後輩と2人でお昼を過ごすことになった時があった。たった1年とは言え私の方が先輩だし、その後輩も大人しいタイプなので自分が積極的に会話を振らなければと意気込んだものの、まあ実際お互い気負わず楽しく会話するというわけにはいかなかった。私は沈黙を生じさせないことに必死で、後輩にも要らぬ緊張感を与えてしまったかもしれない。けどまあ、これが今の私の限界だ。十分頑張っているじゃないか、と思っている。

それぐらいの気持ちで自分を許していかないと、きっとこれから私は一生、「コミュニケーションの苦手な自分」にコンプレックスを感じたまま生きていくことになってしまうのではないかと思う。ひょっとしたら、めちゃくちゃ頑張って習い事や社会人サークルに参加しまくったりして気の遠くなるくらい経験を積めば人並みにコミュニケーションを取れるようになるのかもしれないけれど、いつまで経ってもできるようにならない可能性も普通にあるし、それなら無理に頑張り過ぎずになんとか日常生活を送れる程度で妥協するのも一つの手だと思っている。

それよりも、得意なことを伸ばしてみようと思っているのが最近。

簿記3級を取ろうと思って勉強をしている。簿記の問題を解くのは好きだ。仕事に役立つかもしれないし、とりあえずと思って3級取得を目指しているが、余裕があれば2級まで目指してみてもいいかもしれない。

12月から恋人と同棲を始める予定になっている。今まではずっと実家暮らしだったので、主体的に家事をすることがなかった。だがこれからは恋人と2人で協力してすべての家事をこなさなければならない。やってみなければ分からないが、多分、自分の性格上家事は人並みにこなせる気がしている。料理はあまりしたことがないが、これを機に勉強・練習してみようと思っている。

苦手なことよりも得意なこと、好きなことと向き合って、自分が一番笑っていられる生き方を見つけていきたい。

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