バビバビバビロンの胡座をかきながらする談議で胡座談「甘えとはなんぞや編」

甘えた人間というのは大まかに二種類あると思います。

甘えさせてきた人間と甘やかされてきた人間とです。


前者は人間の成長には必要不可欠です。

まだ幼少の段階で親から受ける愛情というのは心が満たされて人格形成の大きな部分を担うからです。

甘えさせてきたという表現なので、これは周囲からの好意として信頼関係が築けている状態です。


後者は間違いなく愚図な人間が産み出されますね。

こいつは幼少期の段階から示されたルートだけを歩んできて人任せであったり、気分屋で何事も中途半端にしかできないようになるでしょう。

甘やかされてきたので自立心などが育まれず親の都合で要するに黙らせるためにお金や物を与えられてさらに我儘がエスカレートしていきます。


これらは幼少期の段階で甘えさせてきた場合と甘やかされてきた場合の大きな違いです。

甘えさせてきたというのはつまり愛情を与えてきたということであり、甘やかされてきたというのは面倒だから適当に扱ってきただけです。

こういう幼少期を過ごした人間は甘え上手な人間になるか自己肯定感の低いうだつの上がらない人間になるかのどっちかでしょう。


成長の最初からが間違っていた人間と、成長途中における対外的な要因で自己肯定感が低くなってしまった人間というのはまるで違うわけですが、どちらにしても自己肯定感の低い人間が人並みな感覚を取り戻すためにはやはり一番良いのは規則正しい健康的な生活だと思います。

これらは精神科や心療内科に出向いたとしても同じことを言われるでしょう。

しかしこれを見守る側は並大抵の苦労では収まらないことを覚悟しなければなりません。


なにせ自己肯定感が低いが故にものごとをネガティブにしか捉えませんし、どうしたらいいのかすぐに答えを他者に求めて勝手にまたドンドンと自己肯定感というものを下げていくような人種ですからね。

負の連鎖を勝手にしていっているので世話はありません。

しかも大前提として当人に立ち直る気がないのならいつまでも変わりません。

結局、すぐに他者に答えを求めるのも自立心の低さとも言えますから。

自分に得がないのなら絶対にやりたくはありません。


私が何を言いたいのかですが、甘えというものはそれが他者に向いていようが自分に向いていようがその甘えがこれまで正しく働いてこなかったのなら自分の身を滅ぼしかねないわけです。

他者に何かをこうして欲しいだのなんだのと主張することを自分がどうしたいかだと思い込んでいるようでは、いつまで経ってもその甘えは消えないでしょうね。

それは他者へのお願いでしかないので、自分がどうしたいかというのは要するに自分がどういう生き方をこれからしていきたいかでもあります。

自己肯定感の低いと他者に依存的にもなります。

自分を他者に肯定して欲しいからですね。

それが甘えというやつです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?