バビバビバビロンの胡座をかきながらする談議で胡座談「感動とはなんぞや編」

私はというより、人間誰しもあるものだと思うのですが賢く思われたいだとか賢く振る舞いたいのような自己肯定感などを満たしたい欲のようなものがあると思います。

だからこそオタクという言葉が浸透してきて、マイルドな意味合いでも広い意味でオタク趣味が受け入れられてきたのかなと。

もともとオタクという言葉の意味は自分の興味がある事柄以外にはまるで無関心で興味あるものだと饒舌になるという社会性において問題のある人がオタクであったはずです。

要するにある程度大きくなってからアニメなどを見ていて恥ずかしくないのかと指摘されると実際に何も返せないといった事態は昔から珍しくなく、それこそ現代でもそういうことはあったりするわけです。

そういう人間心理的なところで何も返事できないということは後ろめたい、もしくは自分に引け目があるからだという判断を指摘する側される側で共通にあったのでしょう。

だからこそアニメなどを見る良い年齢の人たちをまるっとオタクと呼んで馬鹿にしていたわけですね。


実際は昔と今のどちらのオタクの意味でも、まあ社会性があるとかないとかは置いておいても知識の深さは賢さと同義ではありませんが、知見を得るという言葉もあるくらいですし、推し活というのは自分の満足するための行為であるとした場合は広義的に見て人間の性根に染み付いた本能がオタクという人種を突き動かす原動力であるのではないのかということです。

つまりもっと噛み砕いて表現するとそれは感動であるとも言えるわけです。

感情が動くということは何かしらの刺激によって心が突き動かされるようなことです。


この感動というやつは何も涙が流れて心が震えるというだけでなく、感情が動くということなので喜怒哀楽で細分化もされるのかなと思います。

私が好きなジャンルのひとつでこの喜怒哀楽のどこに属するかは一概に断定できないのですが、「ホラー」というものが大好きなのですね。

敢えてどの感情になるのかを考えると恐怖的な演出や吃驚要素で人の心をハラハラドキドキさせるということは楽しみなのではないのかなと思いますね。

このジャンルはいつの時代もある一定数の人気を維持しているものでもあります。


というわけでですが、遊びで取り組もうかと考えている同人活動で取り扱うジャンルはホラーでもいいかなとなりつつあるわけなのですが、その恐怖にも未知のものへ対する普遍的なものやありふれたものへ対する個人的なものもあるとは思いますが、ホラージャンルが好きということは「オカルト」も私は大好きなわけです。

オカルトというのは超自然的なという意味がある言葉で、自在するとかではなくて幽霊や魔術など自然の中に存在する超常的なものということですね。


恐怖を乗り越えて教訓などを得たりするものがやはり中身があるホラーだと思いますが、それがないとただのB級と呼ばれるのでしょう。

そういうのも個人的には好きではあるのですが、やはり身のあるものが良いということは物語性がないといけません。

そうした時にアラフォーのおっさんが何を言っているのなと思われるかもしれませんが、草臥れた初老の人間たちが主役よりもっと若い世代で、登場人物の怖がる姿がやはりこのジャンルの肝なわけなので女性が主役のジュブナイルホラーが妥当であるのかもしれません。

そうすると私は日本のゲーム作品ならばトワイライトシンドロームや洋画だとスティーブン・キング原作のITとかが思い浮かびます。


でも私はドット絵の同人誌を作りたいのでジュブナイルホラーを題材にするとしたら架空のゲームの攻略本のような、もしくは昔懐かしの謎本や読本みたいなノリの同人誌とか面白いのかと思いました。

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