バビバビバビロンの胡座をかきながら談議する胡座談「奉仕とはなんぞや編」

私の配偶者だったりする女性の方のお話しでもしようかなと思うのですが、とても文章に書き記すのは難しい繊細な関係性というか、私は彼女の心優しきところに一番好感を持ってはいるのですが、彼女は自分を犠牲にしてそれをする人でもありました。

要するに幼少期ならば彼女は盲目的に自分が嫌なことすら我慢して、体調が悪くなっても誰かのために何かをしようとしたりとかですね。

最初に断言しておくとそれは優しさではなくて、あまり良くない意味合いとしての八方美人だとか蛮勇とかと言えるようなものでした。


だから私は学生の頃に彼女にそれは間違っていますよと言い続けてきました。


そこで話しは少し変わるのですが、彼女からしても私の一番に好感を抱くらしいところは優しさであったらしく、もっと具体的に表現するなら懐の広さとか奥ゆかしさなどですね。

私も基本的によほど救いようのない奴が相手ではないのなら人には優しくしてはきましたが、私は別に無理はしてないわけです。

つまり私には他者に振る舞えるだけの心身共に余裕があったりして、おまけに自分が我慢するとしてもそれをしても良い相手にならば全然それができたりします。


これが他者に優しくしようと努めた時の私と彼女の違いでした。

彼女からしてみても明け透けもなく表現すると自分の力量不足で他者の助けになれないのはとても歯痒いものがあるはずで、だから私はその彼女をサポートしてきたつもりです。

彼女ができないことは私が代わりに受け持ったりですね。

その代わりに彼女も気持ちの面だとか何かしら他のことでも私を精神的に支えてくれるようになったりして。

これはとてもお互いにとって善き循環になってたわけです。


それを先に壊してしまったというか、狂わせたのは私の方でした。

あることで彼女を苦しめたくなかった私は、彼女にはそのあることを秘密にして何事かを終えたわけです。

まあそれは彼女にとってしてみたら苦しみが先に訪れるか、後からやって来るかの違いといいますか、黙り通せるような問題でもなくてどちらか究極の選択を迫られた時に私は後者を選んだというわけです。

結局のところ傷付けたくなくても傷付けてしまうのなら後からその苦しみを少しでも感じる時間を短くしてあげたいという私の我儘のようなものですね。


正直、彼女は依存的というよりは束縛的で私は度々本気でムカつく時もしばしばあったりしますが、私は彼女に対して上記のことを踏まえても自分の選択した行動そのものを悪かったとは一切微塵も思いはしませんが、苦しめてしまっているのは申し訳なくは思いますね。

ただ、その苦しむのもそもそもは彼女が強くないからというか、彼女が心身共に強いのならば最初から打ち開けていましたからね私も。


それに彼女が強ければ私が学生の時に彼女に示したようなことにもならなかったはずです。

まあとは言っても、それらを経た上で今があるので何とも言いようがありませんけどね。

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