バビバビバビロンの胡座をかきながらする談議で胡座談「親とはなんぞや編」
親というのは何というか、その存在の役割とか生物的に産んでもらったからなんだとかを全部引くるめたらとても哲学的な何かを発見できそうな気もしなくもないのですが、今回は私が抱える問題児三人集の小僧を話題にします。
彼は両親にも恵まれていたように思えます。
友人にも恵まれてもいたと思いますし、私もそれなりに目をかけてもいました。
しかし、彼はある幼少期の極度のストレス体験から自分の心を守るために別人を演じて、あたかも他者であるかのように振る舞うような二重人格と言えばわかりやすいでしょうか。
そして二重人格というのはテレビや映画のようなドラマチックなものではありません。
彼は耐え難い苦しみから逃れるためにそうならざるをえなかったということです。
それはつまり、彼が生み出した別人は彼そのものであり、彼であることは間違いありません。
そしてその別人の彼は我儘勝手な振る舞いも続けていました。
それは他者へ攻撃性を向けて身を守るためでもあったのでしょう。
その果てに大きな過ちを犯すこともありました。
だからなのでしょうが、彼の母親はその別人の彼に厳しく接して罵るわけではありませんが、別人の彼を否定するようなことを私の知らないところでし続けていました。
この別人は彼の心が防衛本能として生み出したものなので、母親から否定されることで彼はその防衛本能を自分の弱さ醜さであると必要以上に捉えていくようになっていきます。
しかし、彼の母親の心情も理解はできるわけです。
間違いを犯した我が息子を更正させたいがために厳しく接しているわけなのですから。
私はそういう状況に彼と彼の母親が陥る前に、彼を心の病院に無理やり連れていこうとしたこともあります。
その時に彼の母親が泣いて私にすがり付いてそれを止めたのは覚えています。
彼の母親は彼に対して決して愛情が薄かったわけでもないでしょう。
その証拠に元の彼の人格の時は彼の母親は普段通りに接してくれていたようです。
そしてお前は悪くない、悪いのは別人格の方だというような感じの言動があったようですね。
当の彼は別人格を認識してそれを改めたいのですが、あくまでも自分は自分であると認識してしまっているが故に母親の言動によって心理的に追い詰められて、母親を傷付けたくもなかったのでしょうが病院には赴けないようでした。
これも彼なりの母親への愛情からでしょうおそらく。
この問題は段階を踏んでいって解決していくべき問題でした。
というよりもすべからくの問題はすべて障壁となるものをひとつずつ解消していってから解決するようなもののはずです。
彼はまず自分の別人格を認識すべきでした。
それは別人格が犯してしまったことに向き合うことでもあります。
そして、そこからその別人格とどう向き合うのか。
一生付き合っていくのか、それとも幼少期のストレス体験を克服するのか。
どちらかによって彼のこれからの行動が決められます。
ここで別人格をしっかりと認識できた彼が次の段階へ進もうとした時に、彼の母親がそれを阻害していたわけですね要するに。
人間というのは難しいです。
すぐに自分の過ちや悪い点に気付けて、それを正せたり謝れたりできるのなら楽ですが、そうではないから人間とは悩むわけですから。
彼らに足りないのは信頼関係でもお互いを理解し合うことでもないのではないかなと私は思いますね。
それはもう足りていると思うので。
これは親なら我が子を、子であるならば両親をしっかり見ることなのかなと思うわけです。
相手が今何を苦しんでいるのかだとか、何を考えて感じているのか、心の中にあるそれらを一見して判断できないなら対話してみるとかですかね。
一挙一動からこれまでを振り返って感じ取れることがまったくないこともないような気がします。
これは親子関係だけはでなくて、相手を見るということは相手への思い遣りの心でもあります。
これは体現するのは非常に難しいです。
だから常に意識すると良いのかなと思うわけです。
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