バビバビバビロンの胡座をかきながらする談議で胡座談「子育てとはなんぞや編」

我が子のお話しでもたまにはしようかなと思ったのですが、私は世間一般的には子宝に恵まれていると思うのですが、幼少期はともかく成長した彼らを私が一人前にというよりは一人前にしようと扱うと腑抜けきった私の配偶者も義理の父親も友人たちの多くも厳しいと口を揃えて喚き立てるのです。


そして我が子たちは一様に自分が困難にぶち当たれば自分は父親である私のようには上手くいかないだとかほざくわけです。

特に二人の息子はそれぞれに夢らしきものがあったらしいのですが、諦めています。

その理由を聞いて私が思ったのは、何故その夢を諦めたのだろうかというのとそれは本当に自分の夢だったのかという疑問でした。


壁にぶち当たることは誰しもありますね。

私は幼い頃より特に長男には私に何かあれば家族を守るのはお前の役目だと言ってきましたが、これは別に大層なことではなくて、信頼できる者と支え合うことの大切さを私は一番に説いてきたつもりでした。

だから長男にはそれはお前の務めだと言って、次男にはその長男を手助けするように言い付け、娘たちにはそれを支えるように言い続けました。

そして私がそのお前たちを守るともいつも伝えてきました。


その上で二人の息子は自分の夢だったことを諦めた時に言ったのが父さんのようには上手くいかないだったので、私は失望まではしてませんが、まあその程度だろうなと正直思いましたね。

私の言っていることをなにも理解できていないようでしたからね。

仮に私が彼らの成長の阻害をしているのなら、私は迷わず彼らを谷底にでも蹴り落としますね。


愚息とは思いませんが呆れ果てた根性無しに育ったのは母親が問題だったのかなと思わなくもありません。

私はなるべく子供たちの模範となるような生き方を見せてきたつもりですが、まったく伝わってはいなかったようです。


日常の様々な不安は怖れに繋がります。

息子たちに見所が一切ないわけでもありません。

ただ母親と同じように覚悟が足りてないというか、もう既に経験という面では覚悟というものが完了してもおかしくはない段階に至ってもいつまで経っても甘ったれています。

もちろん私の親心として子供たちにはリスクの伴う危険なことはして欲しくありません。

誤った選択をしようとしたら、彼らの意思を尊重しつつ違う道を提示したりはします。

ここら辺での彼らの成長がどういう風に、またどういう方向性に向かっていくのが非常に興味深くて重要なところなのですが、彼らを産んだ母親やその他の連中はそんなこと頭にすらありません。

ここで仮に我が子たちが間違った道を進もうものなら馬乗りになって殴り付けますね。

しかし、そういう未来が思い浮かばないのはつまりどういうことなのかというこが理解してくれたらいいのですが、私は人が悩むのは自分が弱くて愚かであるからだと信じて疑っていません。

強く賢いのならそもそも悩む必要はないからですね。

私も彼らが生まれる前に大いに悩み、苦しみながら生き方を選択してきました。

そのこと自体は彼らは知っているはずです。


それでも、自分たちは父さんのようには上手くいかないと抜かすわけですね。

つまらない人間に育ってしまったのか、それともまだ子供なだけなのか、時折不安にはなりますね正直。


五体満足にこの世に送り出して、できることやれることは最大限彼らにしてきました。

私はそこで私の努力が足りなかっただとか、そのすべてが絶対に正しかったと自惚れはしませんが、後悔とかはあまりないですね。

しかしそれもまだ人生においては途中段階でしかありません。

成熟へ向けての過程が大事というわけですねこれは。

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