逃れられない運命のような、自分が命を燃やすべき事柄について考えた

自己理解プログラムを修了した当初は、自己 / 他者の真理に興味があったので、「コーチング」や「カウンセリング」といった分野に収束、あるいは執着していました。

しかし、そもそも自己理解プログラム等の分野に興味を持つ人は、概して自分の内面の悩みやそこからつながる対人関係の心理・悩みに興味があることが多いと感じました。それが SNS 等での交流を含め、エコーチェンバー的に似たような興味・関心を持つ人を集め、自分のやりたいこととして同様に心理面で関連した業種・手法を選んでいるのではないかな、とも思います。

自分の場合は、心理面が気にはなりますが、どうしてもそれを仕事にしたいとまではいかず、心の中に違和感がありました。

やらなければわからないんでしょうが、資格をとって、他者の心の中に入るという、それほど精神的に負荷のかかることが自分にできるのか、対象者と客観的に向き合えるのか、自分の精神が折れないか、という不安がありました。

また、自己理解プログラムを進める中で、他に自分自身で興味を持っているものの、心理に関することを自分の中で少し強引に? 進めてしまったような感覚もあり。

そういったことが、他者の問題を解消する、という意味で、社会から求められていることなのかもしれませんし、まずスモールスタートするのであれば、そこまで問題もないとも思うのですが。

しかし、私はそういったことを続けて、その先に自分自身が本当に求めている、「意義」ということは、自分自身の満たしたいものと重なっているのだろうか? と思いました。

そんな、自己理解プログラムを修了したものの、実際に行動に移せず、ずっと悶々とした気持ちを抱えていたのですが、先日、昔からお世話になっている知り合いの方と話して、パッと視界が開けたような気がします。

自己理解プログラムを修了し約半年という時間が経ってしまいましたが、私が求めていたのは、「意義」に関して、「良いものを広く届け、次世代に残したい」という言葉で表明しました。

具体的な内容としては、私は実家が農業や菊の生産を行っています。また、過疎・高齢化が続き、いわゆる「限界集落」となってしまう可能性のある地域です。

そんな地域は、これからの時代、淘汰されるべきなのかも知れません。それが長い目で見れば、日本全体にとっては良いのかも知れません。それでも、私は、やはり生まれ育った土地というのを残していきたいと思っています。

今まで回り道をしてきましたが、結局ここに戻ってきてしまいました。この運命じみたものからは逃れられないような気もします。

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