死ぬについて

夜間の救急に来られた患者さんが、容体が変わり亡くなって、
看護師さんはしばらく、
亡くなった患者さんの記録作業をしていた。

心が晴れないと言った。

上司からなにか言われたのかな。
できることは全部やったんだもの
もしかしたらその人の体は、さっきここで命を全うすことにしたのかもしれないよ
って言いたくなった。

でもさらに、することがあったかもしれないし、
できるなら、したかったのかもしれない。
亡くなってから2時間以上経っていた。

高齢の方だった。


看護師さんの背中を見ていたら、
この患者さんのさいごが、幸せに思えてきた。

私がこの人だったらきっと「ありがとね」って思ってる。

死ぬ直前までずっと見守ってくれて、治療?してくれて、
死んだ後もこうして何時間も、ひとりの患者に関わって、
その一部始終を記録する。

おそらくカルテを開くと
どれだけの人がこの人にどんな治療を施したか
何時何分にはどんな状態だったか、とか、わかるんだろうな。

私が死ぬとき、こんなに記録されるかなぁ。
病院で死ぬともかぎらないしな。

生まれたら、みんなに平等に死もセットで有る。

こんなにのんびりとしていて、私はなんてぜいたくに人生をつかっていることだろう

この看護師さんを見てたら、
「死ぬ」ってあまり怖くないなと思った。

知らなすぎるんだ。死について。

大好きな看護師さんたちが(この患者さんに)関わってるのを見たから、
怖くないって思った。

亡くなった人を幸せって言ってごめんなさい。

一つ怖いものがなくなった。

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