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【Voice!】 第1回 MF8 和田 達也(後編)

福井ユナイテッドFCの攻守の要、和田達也選手のインタビュー後編
今回は、プロとなってからの自身キャリア、プレースタイルから
自身のキャラクター、プライベート、仕事まで
ピッチ上の印象とは違う?オフ・ザ・ピッチの声をお届け

プロになって

プロサッカー選手になって最初の松本山雅FCでは、3年で契約満了になりました。松本での3年間は全然試合に出てなかったんですけど、トライアウトを受ける前に栃木SCからオファーがありました。当時、J3に"U-22選抜"というチームがあり、そこでの出場がきっかけかなぁと。

2014.3.22/J2リーグ第4節 アウェイ讃岐戦でJリーグデビューを飾った和田選手 ※本人提供

― JリーグU-22選抜とは?
僕の世代はリオ五輪世代で。そのリオ世代はJリーグで全然試合に出てなかったんですよ。試合に出てる選手が少なかったっていうので、J3の試合に出ることで経験を積ませるためにつくられたチームです。

― そうそうたるメンバーでは?
実際、リオ五輪に出場した選手たちは、ほぼ来ないですね(笑)
僕は2年間、毎週のようにU-22選抜に行ってましたけど。
毎回、全部アウェイでの試合じゃないですか(※注1)。大体、日曜日に試合があるから、前日の土曜にホテルに集まって練習して、泊まって、次の日に試合。で解散、って感じで。それも、水曜日くらいに、サッカー協会からチームに言われて、木曜日くらいに「週末はU-22選抜に行ってこい」って言われて。それ言われた時点で、チームの試合に出れないわけじゃないですか。そんな気持ちでみんな集まってくるんですよ。だから、正直メンタル的にはあんまり前向きな感じじゃないですよね。もちろん、U-22選抜としてJ3で試合に出られるっていうのはあるけど、もちろん自分のチームで出たいですから。それを言われた日の練習なんかは…

※注1
"U-22選抜"とは、2014〜2015シーズン、J3リーグに参加していた22歳以下の選手による選抜チーム。選抜チームのため、ホームスタジアムはなく、便宜上はホームゲームも対戦相手の会場で試合を行う。2015シーズンのU-22選抜の登録選手は、J1またはJ2クラブとプロ契約し、1993年1月1日以降に生まれた選手全員(213名)を登録。2015シーズンは登録選手の中から、毎試合エントリー選手16名が決定していた。

― 身が入らないのような?
それは、ありましたね。最後の年の2015シーズン、僕はU-22選抜で最多の21試合に出場しました。毎試合、週末はアウェイに行っていたので。自分は何してるんやろ?って思っていましたよ。でも、U-22選抜の試合を見て、栃木はオファーを出してくれたと思いますから、その点ではプラスになったんじゃないかな。

― 難しいですね
正直、体力的にもキツかったっすよ。毎週アウェイへの移動で、交通機関の問題とかで、前々泊とかもありました。当時は琉球や岩手もJ3リーグに所属していましたから。ただ、琉球とかへの移動は単独行動だから、チームで行くよりはリラックスできました。もちろん、良かったのはそれだけじゃなくて、当時のチームには秋葉さん(現清水の監督)や手倉森さん(リオ五輪代表監督)ら、いろんな指導者が来てくれたので、練習は楽しかったです。

西村や奈良、石毛らリオ五輪世代を代表する選手らと共にプレーした2015シーズン、
和田選手は、Jリーグ・U-22選抜でチーム最多21試合に出場した ※本人提供

― 松本満了後、トライアウトを受けられましたが
栃木からオファーをもらったんですが、トライアウトは一応受けたんです。2015シーズンは栃木がJ2からJ3に降格したシーズンでした。J3はU-22選抜と同じカテゴリーでしたが、J3から上を狙えるチームというので決めました。栃木には6年間在籍していましたけど、残りの2、3年は怪我との戦いでしたね。

栃木SC移籍後

― 栃木での思い出は?
それはJ2昇格ですね。栃木はリーグ2位だったですけど、昇格した2017シーズンは僕自身もコンスタントに試合に出てましたし、昇格を決めた試合も先発でした。最終節のアウェイ沼津戦。相手には、尾崎選手(当時沼津所属)がいましたね(笑)その当時は面識はなかったですけど。その試合に、栃木から2,000人(※注2)ぐらいのサポーターが詰めかけてくれて。スタジアム着いた瞬間、真っ黄色で。J3とはいえ、こんなにたくさんのサポーターが応援に駆けつけてくれて、凄く思い出に残る試合でした。

※注2
愛鷹スタジアムの半分を黄色で埋め尽くすほど、アウェイの地に栃木サポータが詰めかけたという2017シーズンJ3リーグ最終節の首位決戦。リーグの公式記録では、観客数8,649人。

J2昇格を決めた沼津戦後の記念撮影。和田選手はシャーレを掲げる廣瀬選手の右隣 ※本人提供

― 在籍中は大きなケガもありました
J2に昇格後の2018シーズンの夏ぐらいですかね。その当時はスタメンとかで結構試合に出させてもらって。良い流れだったんですけど、そこで前十字靭帯をやってしまいました。前十字靭帯の怪我は初めてだったので、リハビリもうまくいって試合にもすぐ復帰できました。田坂さん(現上武大学サッカー部監督)が監督の時でした。ただ、2019シーズンにまた前十字靭帯をやって…。2回目っていうのもあり、復帰までに時間がかかりましたし、自分自身そこからいろんなケガが増えて、ナイーブになって。なかなかサッカーできないシーズンが苦しかったですね。

自身のプレースタイル

もともとはトップ下とか、ずっと攻撃的な選手だったんです。僕もいろんなポジションを経験しているんですけど、小学校の低学年のころはスイーパーをやったんですよ。最終ラインで、後ろでカバーしてみたいな。4年生からサイドハーフ、ボランチ、トップ下をやるようになって、ガンガンドリブルで仕掛けてというタイプでした。
中学生でもトップ下で。高円宮杯の大阪府の決勝戦で2点取ってるんで、結構攻撃的な選手だったんですよ(笑)高校に行ってからは4-1-4-1のアンカーと、もう1個前のフロントボランチをやっていましたね。

― 今のスタイルとは違っていた?
なんですかね。上のカテゴリーの大学生とか、Jリーグのチームと練習試合をしていくと、限界じゃないですけど、スピードとか身体能力的なところで勝てない部分がわかってきたんです。そこで、ドリブルじゃなくて、間で受けて捌くようになっていった。それこそ、本当に目標にしてたのはバルセロナで。チーム的にもバルサのスタイルでやってたんで。

― 興国の高校のユニホームもバルサを意識して?
もちろんです。システムとかもベップ(グラウディオラ監督)が偽ウイングとか、ゼロトップをやり出したとき、僕らもそれに倣っていました。「頭を使わないとサッカーできないぞ」という監督でしたから、サッカーを考えてやるようになりました。スペインに行って、スペインの人たちにもポジショニングを褒められました。ポジショニングを褒められるとかって、なかなか日本ではないことなんですけど、それをスペインで評価してもらえました。自分はここで生きてくのかなって思っていたんですけど、卒業後に松本山雅っていう超フィジカルを強みにしたチームに入りまして(笑)

― ちょっぴり後悔のような?
今思えば、もっと色々な選択肢があるなかで選べば良かったのかもしれないです。でも、中学の時は僕の相方となる選手が守備をするっていう存在だったのに、松本で、プロで生きていくには守備ができないといけませんから、ハードワークと守備は、松本で鍛えられたと思っています。自分の中学、高校時代を知る人が見たら、プレースタイルも全然違うと言うと思います。栃木に移籍して最初の監督、横山さんはもともと曺さん(現京都監督)のところでコーチをやっていた人なんですけど、それで身体に染みつきましたね。

― 自分の強み、見てもらいたいプレーは?
やはりポジショニングとかを見てもらいたいですね。例えば、攻撃の時のボールを受ける位置とか。今はアンカーなんで特にそうなんですけど、攻撃のこと、守備のことだけじゃなくて、攻撃からの守備の切り替え、味方がボールを失いそうなとき、取られそうなときはより強く意識しています。横山さんと田坂さん、栃木時代の監督二人には、"危機察知能力はすごく高い"と評価してもらっていました。この部分は試合に出て、経験として身についた感じはあります。今ではチームがボールを失いそうなときの予測や、試合の流れを読むっていうのは意識してる部分と、これまでの経験で身についているもので、勝手にカラダが反応している部分とがありますね。

― アンカーとしての意識していること
アンカーは攻撃の一番の基準だと思います。以前のバルセロナとかの試合を見ていると、ブスケツ(現インテル・マイアミ)が自分でボール受けるためのポジションと、周りの選手に受けさせるためのポジション、味方に運ばせるポジションなど、意図を持ってプレーするのを見ていたんで。自分でボールを受けるだけじゃなくて、受けないときのポジショニングとかも、福井ユナイテッドみたいなプレースタイルのチームには、特に大事なんかなと思っています。

― 自分のキャラクターは?
いわゆる大阪の人じゃないですね。栃木時代もそうでしたけど、チームには居たんですよ、ザ・関西人が。大黒将志(現ティアモ枚方コーチ)さんとかがそうでしたけど、ザ・関西人なんですよ。福井では樽谷選手とかね(笑)
僕は、いわゆる関西人のガメツイところが苦手なんで。強いて言うならですけど、僕のお母さんは、完全に大阪のおばちゃんて感じで(笑)。僕が膝の手術で入院したとき東京まで来てくれたんですが、"売店に水を買ってくるわ"って言って出ていって、1時間半くらいナースステーションを回してたんです(笑)。その反面教師じゃないですけど、そういうの見てるんでね、自分では、あんまり大阪人って感じは出てないと思います。自分のキャラはなんですかね?関西弁はあんまり出ないですね。末っ子感かな?でも、いろんな人としゃべるのは好きですよ。聞くのも、喋るのも好きですね。

 プライペートの過ごし方

栃木の頃からゴルフを始めました。福井に来た2022シーズンは1回もできてなかったんですけど、去年オシくん(押谷選手)とツグさん(大石選手)が来てから1回だけ、OFFの日にコースに行ってきました。コース出るために、練習するじゃないですか。その練習に魁(野中選手)と響(榎本選手)を"打ちっぱ"に連れて行ったら、ふたりともドハマりしちゃって。あの二人の先生みたいになって教えてるんですけど、僕もそんなにできる方じゃないから。いつかゴルフ部ができるかもしれないですね(笑)

ー 最高スコアは?
言えないです。ほんとに恥ずかしいです。
ゴルフって本当に性格出るっていうじゃないですか。行ってて思いましたね。オシくんは疲れてきたら、めちゃめちゃでしたもん(笑)。一方で、ツグさんは本当に堅実なんですよ。ラフとかに飛んでいっても、しっかりとフェアウェイに出すだけとか。でも、オシくんはガツンと狙っちゃう系。面白いですね。僕は、どちらかというと堅実派だと思います。

ゴルフ雑誌の取材?と見間違いそうな写真 ※本人提供

ー チームの中では釣りをする選手も多いと聞きました
釣りはしたことないんですよね。響が釣りをするので、誘われて1回行ったんですけど、その日がすごい風が強くて。響が"コーヒー飲みましょう"と言ってコンロとか準備して持ってきてくれたんですけどね。それきりです(笑)

スクールコーチについて

ー また、平日夕方にやっているスクールコーチの仕事についても教えてください
スクールコーチは初めてですね。Jクラブのときは、試合のイベントなどで子どもと触れ合うことはありましたけど。実際にコーチをやってみるとめちゃめちゃ難しいです。人に教えるのってプレーするのとやっぱ違うというか。
ただ、Jリーグでプレーした経験を持っている選手達が、スクールコーチとして指導しているのが福井ユナイテッドサッカースクールの強みだと思うので。なるべく子どもたちに混ざって、一緒にプレーすることは意識してやっています。だけど、本職の指導者と比べたら、指導の引き出しはないので、なるべく見せてわかるようにはしています。

サッカースクールで子どもたちに大人気の”和田コーチ”

― 難しいところは?
やっぱり、まずは子どもたちに話を聞いてもらうところですかね。あとは、メニューを考えている時間。特に福井ユナイテッドのスクールに関しては、楽しんでやってもらうことプラス、上手くなるということをコンセプトにしているので、子どもたちが飽きないような練習や、全くかなわないような練習はしないように意識してメニューを作ったりしています。

― メニューも選手自身で?
各々スクール担当のコーチがやっています。一人のコーチがメニューを作るのではなくて、いろんな選手からメニューがそれぞれ出てくるんで、子どもたちにとっても、いろんな練習ができるっていうのは、すごく良い刺激になるのかなと思います。

― やってみてよかったこと
基本的な止めて蹴る、パス、トラップにしてもアウトプットをするので、改めて自分でプレーする時にも大事だなと思い知らされます。また、いろんなメニューを考える段階で、Youtubeなどいろんなサイトから探したりするんですけど、それも改めて自分のプレーにつながる部分がありました。子どもたちに伝える部分も、チームメイトに伝えるっていうところに繋がるのかなと思います。

― 将来、指導者への思いは?
今は、あんまりないです。もちろん、この経験はサッカー選手が終わった後にも活きると思います。僕の後輩も高校とかで指導者をやっているんですけど、そういう人たちと話していても、やっぱり難しいという話になります。今後、僕が指導者となるとき、タメにもなるかなとも思うし、もちろんキャリアの一つの選択肢としてあるのかなと思いますが、ライセンスもまだないし、その辺はこれからですね。

最後に

― ファン・サポーターへメッセージをお願いします
今年は福井に加入して3年目で、よりチーム愛も出てきました。だから、このクラブ、このチーム、このメンバーでJFLに上がりたいという感情が強いです。リーグ戦はもちろん、最後の全国地域サッカーチャンピオンズリーグまで厳しい戦いが続くと思います。サポーターの皆さんも最後の最後まで、一緒に戦ってくれると嬉しいです。よろしくお願いします。

昨年サポーターが選ぶアワードで、優秀選手賞に選出された和田選手。今年も活躍が期待される

インタビュー/細道 徹