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秋の到来

 台湾へ行って、そのじめっけと暑さに閉口していたと思ったら、帰ってきた日本は急に涼しくなって秋のようになっていた。台湾旅程中の日本は非常に暑かったらしいが、月曜日に帰ってきて、水曜日頃にはそんなことも全く感じさせないほど涼しくなっていた。
 先週末くらいから自然とエアコンを使わなくなった。少しでも暑いと躊躇なく使う方なので、自然と全く必要としなくなるほどに過ごしやすくなっているわけである。窓を大きいのと、小さいのとそれぞれ開け放って、蚊取り線香を焚いて、日中を過ごすと、庭からはリンリンと鳴きやまない虫の声が聞こえてくる。
 夏に草が生い茂るスピードというのには驚異的なものがあって、五月頃に庭に敷かれていた養生シートをはがして以降というもの、真っ黒でつるつるだった地面を忘れてしまうほどに草はにょきにょきと生え、地面を覆い尽くしてしまった。これを書きながら、シートを剥がした翌日、翌々日ごろに、緑が小さくぽつぽつと増えたようなのをみて、少し緑になってきてる気がするね、なんて話をしていたのを思い出したが、もうそこからは草木の伸びの変化に関する話をした記憶もあまりなく、地面の色が目立たなくなるほどにあっという間に庭は覆い隠され、そうなるともういくら伸びても大きな差異は感じられなくて、話題に上ることもなくなったのだろうなと思う。
 ぼうぼうと草が生え荒れ果てた庭を見て、しかしこの暑さの中で草を処理するのは無理だから、涼しくなるまで待たなきゃね、と先々週頃に話した際には、そのことを二か月先くらいのことに思っていたが、あっけなく処理をすることができた。ふと、まだ明るいけれども涼しい時間だったから軍手をつけ黙々とむしっていたら、三十分もしなかっただろうか、庭は割とこざっぱりとしてきれいになった。今は中央に好き放題に生えたバジルと紫蘇と茄子だけが残っている。
 今朝は昨日や一昨日に比べれば少し気温が上がったように思われたが、久々にジーンズを履く気になったので、秋の訪れをより感じた。定番の形のジーンズを一本くらい欲しいものだ、と思って昨年の秋口に購入したものだが、洗濯をあまりしないほうがいいということを店員さんに念押しされたため、汗をかく時期になってからほとんど履いていなかったのである。このジーンズを履けるのもしばらく先だと思っていたので、急な秋の訪れを様々な形で体感して驚いている。
 みかんも店に出てきたし、近くの銀杏並木は銀杏臭くなり始めている。

 月の初めにnoteを書いたきり、間の期間は駆けるように進んでいったので、今、乱れた息を整えつつある。仕事で休日が食われたり、旅行でまるっと週末が終わると、息つく間もなく時が過ぎていて、落ち着いてきたタイミングで秋がきたのである。
 月の初め頃は黙々と本を読んでいたのだが、旅行でたくさん歩き回ったこともあり、その後の仕事も立ち仕事が続いて身体もへとへとになったので、旅行から帰ってきてからはぼーっとしていることが増え、今週に入りそろそろまた本でも読むか、という気持ちが一週間ぶりくらいにやってきた。
 文章を週に一回書いていると、一週間程度のジャンプもたいして大きく感じないが、書かないでいるからか、その隙間が意外と大きく体感されて、言葉があまりない状態で身体のことに焦点があわせ続けていると時間の大小の感覚が混乱するな、と思った。
 多分またすぐに暑くなるのだろうが(というかその予報がすでに出ているが)、確実に秋が顔を出していて、去年の今頃から一年経ったのだということを強く意識した。
 

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