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3月読んだもの観たもの

アントニオ・タブッキ『インド夜想曲』
小説。須賀敦子訳で気になっていたので読んだ。読み心地として面白い部分もありつつ、めっちゃ最高?と聞かれると、うーん、となる部分もあり。
カラクリみたいなものはあまり面白がれなくて、どちらかといえばその傾向の作家じゃないかなという感じがしたのでしばらく読まない感じがする。

山本直樹『RED』1〜4巻
漫画。連合赤軍の山岳ベース事件から浅間山荘に至るまでの話。東大の全共闘が終わった後からスタートというのが印象的。
友人が、めちゃくちゃギャグ漫画として読んでて、その話が面白すぎたので読み始めたのだけれど、確かに北さんは面白かった。
めちゃくちゃ現実の話なので、山場も何もなく、ぽろぽろと人が死んでいく。盲信みたいなものというより、もっと人に馴染む良くない性質が抜群に発揮されてしまったという感じ。
何がなんでもそうなのだ!という原理に詭弁っぽい論理武装がされちゃってて、疑問を呈す奴は考えが足りない、総括する、死、なので誰もその状況を覆すことができない最悪環境だった。

ホメロス『オデュッセイア』上下
松平千秋訳。たっぷりしてて最高。
上巻でオデュッセウスの船旅の話ほぼ終わっちゃうんだ!と思って驚きながら読んでいた。しかも1つ1つが結構な冒険譚になりそうなのにあっさりと語られていく何も驚いた。
んだけど、下巻がめちゃくちゃ面白い。オデュッセウスが求婚者たちを殺すところまでじわじわといくぞ、この苛立たしい求婚者たちを、ついに殺すぞ……と、ボルテージが上がってくる。
戦闘シーン、思いの外荒々しくて面白い。
アポストロペーの手法がめちゃ面白かった。「エウマイオスよ、お前はこう言ったな」という呼びかけが、急に三人称の地の文に入り込んでくる手法。解説も面白くて、抜群の良さ。
イーリアスも読もう〜

オウィディウス『変身物語』上
ギリシア神話づいている。連綿と語られる物語たちで、テンポよくコロコロ読める。ぬるーと舞台移動する書き方なの、ちょっとこういうのやってみたいなと思うけど、面白い小話を神話に頼らずめちゃくちゃ作るのって大変だろうな。
あと、ゼウス(ユピテル)の浮気祭りなんだけど、流石に神の美女のつまみ食いがすぎる〜〜というのと、ヘラはいつも女の方へ嫉妬してめちゃくちゃしすぎ〜〜、という気分になってしまう。あかんすぎる。でも面白い。

鳥公園『ヨブ呼んでるよ』
演劇。観劇ギリギリ前までカレーを食べていた。
この作品自体が、当事者じゃない地点からその言葉をどう表せるか、という試みにあって、でもやっぱりそれが難しいというのを感じさせられるところがあった。作る過程のあれこれも、一通り追い直そうと思った。
当事者じゃないものを、当事者ではない地点から描くという時に、ただあるものを淡々と描くというのが結構重要になってくる気がしていて(ただしかしフィクションで作る意味もそこには組み込まれていて、ただストレートに作られる以外の面白さや意味がそこには眠っていると思う)その時に、現実的には深刻なのに既視感のあるわかりやすいストーリーに感じられてしまう、みたいなことがおそらくあって、淡々とやりながらも、そこの切実さや深刻さはどうしたら浮かび上がるのかというのが難しいのだろうというふうなことを思った。
結構感触としては、埋め込まれた記号がわかりやすく感じる部分もあって、もっとわかりにくい感覚であれこれが表現されていてもよかったのかも、と思う部分があった(よく、小説を書きながらどれくらいまで明示させて、どれくらいさせないかという塩梅は難しいなと思うことなども思う)。

『掃除機』
演劇。連日、ほぼ変わらないメンツで演劇を観る。見終わった後、あれこれを話す。
引きこもりの姉、仕事についてない弟、妻に先立たれた父とがいる家でのあれこれ、というのがあらすじ。
事前に観ていた友達から、ちょっとあんまり、という話を聞いていたが、結構面白かった。というか、環ROYのシーンが、身体が強くて、それが面白かった。
未練の幽霊のときに、栗原類の棒立ち感も面白いなと思って(直面っぽい良さ)、今回もそれは少し感じたものの、環ROYの身体はもっと面白かった。
ステージ上で観客の圧を受けながら、それを跳ね返したり、そこに逆に圧をかけ返すということが、堂にいっていた。ラッパーは演劇の俳優がもつ観客との関係性に比べ、双方向性のある関係を持つのが普通だからそういう能力が鍛えられるのかな、とか、余計なことを考えながら観た。
観ていてぐっとくる俳優というのは、観客たちに見られるという被暴力の状態に対して、その暴力を歯牙にも掛けない横柄さや、その自らの視線を受けているはずの人物がその視線を操るような反撃を感じさせる強さがある、ということが重要なのだなと改めて思った。実際にやっている動作は第四の壁を超えていない振る舞いなのに、実感としては超えていて、観客である自分の視線が掌握されていくことが、観客としての快感の根にあるのかもと思った。
ここまで書いて、第四の壁を破るようなメタなやり方、というのはそういう効果を狙って観客を緊張させ、舞台に熱く視線を注がせるやる飛び道具的な手法な訳だが、今回の環ROYの役は、それでいうとメタな立ち位置のため、観客にとっては一番己に牙を向いてこちらを見返してくる役回りであり、一番目を惹かれるのも無理はないのだけれど……、と気がつく。でも、そうだとしてもその役回りに十分に呼応してびっちりハマっててよかったんだけども。
結構演出によって、話し方に感情が乗っていて方向付けされることによってちょっと過剰に感じるように思って、うーんとも思っていたが、家の中か外かという境界線のことや、環ROYの外部感も演出によって強められていたゆえ、それを面白いと感じる瞬間が多かったのかもと思い直してきた。あくまで家族の人々は掃除機や家族に話していたが、環ROYは半ば観客に話しており、常に靴を履き、PAのような役回りに組みすることで舞台を形作る背景の方にもいる越境者だし、変なタイミングで舞台を横切るなど、常々家の外のものでもあるし舞台の外のものでもあったからだ。
ただやっぱり家族の人々のトーンは、どのようにあるのが一番届くのかというのが難しいな〜と思った。父親の下に降りてきなさいと言っているのに、雪が綺麗だという話をするエピソードなんかは結構面白かった。そういう捻れ方。

『キラー・ビー』
ドラマ。めちゃめちゃビンジで観ちゃった。
1話がずば抜けてすごかったので勢いづいて観た。4話もかなり良かった。

スター・ウォーズ
映画。オリジナルとプリクエルと6本分観た。
4・5・6は、おいおいおいおい〜!とツッコミを入れつつ観て、1・2・3は向かう先がわかっているので、ひぃん、となりながら観たのだけれど、プリクエルが好きだった。
悲劇的な未来がわかっていて観るというのはすごく面白い。1はかなりしんどい気持ちで観ていたけれど、2と3になってくると、もうお前はダメだよ……みたいな諦めがついてくるのでちょっと気分が楽だった。
ヨーダの活躍タイムで、すごく盛り上がった。

あと、村上朝日堂など、読んでいました。

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