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慌ただしい週末

 演劇が終わったら次は映画、ということで、週末は映画学校に通う友人の映画の撮影にほとんどを費やした。日・月と朝から夜まで、間に友人が我が家を訪問するというイベントを挟みつつ撮影を敢行。
 映画撮影のメンバーはほとんどが先月の間、一緒に演劇の練習をしていた面々で、お互いに意思の疎通は取りやすいが、映画は演劇とはまた気をつけるべき点が異なり、その慣れてなさという点で意思の疎通を図る難しさがあった。

 以前、ある俳優が私は単なる映画の材料であり、必要な素材を提供しているだけで、作るのは監督なので、というような趣旨のことを言っていて、その時はあまりピンと来ていなかったのだけれど、自分で映画の画面に映る方をやってみて、そういうことを言うプロの俳優もいるだろうというのは、感覚的にわかった気がする。演劇と比べると、作品を構成するピースとして俳優の演技が占める割合はまぁまぁ減る。演劇の稽古場は演技を作っていく場の感覚が強く、映画の撮影現場は画を作っていく場の感覚が強い。
 日曜と月曜はカメラを回すちょっと前にセリフを確認して、その場で軽く合わせて撮る、を繰り返していて、頭に入れておく必要のあるセリフ量が演劇と全く異なるもんだ!と思った。
 とは言っても、演劇も映画も本当に最低限の人数でやっているし、脚本や作品の性質によっても全く違うのだろうと思うけれど、舞台も映画もやっている俳優というのはすごいなと世の俳優に対して思う。あと何テイクも同じセリフを言うのが難しい。

 それにしてもとにかく外は暑く、一日移動をして、軽くテストのテイクをして、撮影され、また移動をするというのは大変に疲れた。予定の組み方が悪かったのだが(というかこういうのは、どちらも参加したくて参加しているので、組み方が悪いというよりは、行きたい用事が悪いタイミングに重なっただけだと思っているが)、撮影の前日に朝の四時くらいまで飲んでしまったので、体力的には非常に厳しかった。自分の出番がないタイミングで、かなりガッツリと寝た。

 月曜日の夜、へとへとになって『君たちはどう生きるか』を観た。へとへとだった割に集中して、頭の裏で観ている内容を整理しながら色々考えて観た。そして、観終わってへなへなになった。
 私にとっては好きな作品ではなかったが、それを端緒にして様々なことを考え、言葉にしたくなる作品であり、宮崎駿という偉大な作家のことを考えたり、もう少し深く知りたいと思った作品ではあった。
 やはり、彼の作品の中では自分が幼い頃に繰り返し観ていた作品や自分にとっての思い出深いエピソードがある作品が結局一番好きである。先だって一番観ていたであろう『トトロ』を観直した時の、この大人になって様々なアニメーション作品を観た後で改めて観てもなお素晴らしい、というか観たからこそわかる作品の素晴らしさに興奮が抑えられなかったことをしみじみと思い出した。カット割の素晴らしさやアニメーションの動きの単純な面白さ、そして単純なセリフの節々に満ちるキャラクターの面白さ。
 記憶の中のそれを反芻しながら、初期の作品を観直したいと思ったが、日本ではストリーミングサービスでアクセスすることができないので、ひとまずは家にある漫画のナウシカを読むのなんかどうだろうか、と思っている。

 最近は自分が昔から読んできた存命の作家の老いに直面することも多く、それについて思いを巡らすことも増えた。死んでいる作家については揺れ動かないような感情の揺れ方で、生きている作家と向き合うことも多々あるし、これから増えるのかもと思う。そもそも出会った時から既に死んでいた作家ともたくさん触れ合い、たくさんの繋がりを持ち、生きている周囲の人以上に親しみを持つことも多いが、やはり生きている作家との別れを、同時代を生きながらに経験するのはまた違う悲しさがある。

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