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山から降りて

 フジロックに行ってきた。初めてのフジロック、三日通しで前日入り、最終日翌日朝帰宅、キャンプ泊というフルセットのフジロックだった。

 音楽フェスと呼ばれるものにはこれまでにも何度か行ったことがあって、それは主に国内アーティストがメインのフェスで、アイドルやJロックなどが主な出演者だったのだが、その頃にはまさか自分がフジロックに行くと思っていなかったし行ってこんなに楽しめるとも思っていなかった。何より過酷で準備がかなり必要だが、海外のアーティストがメインディッシュなので、そんなに海外アーティストに詳しくない自分が行くことはないだろうなぁという見込みだったのである。

 昔から音楽で身体を揺らすということに快を覚える方ではあったが、音楽が好きであると公言するほど音楽が好きである自認がないままに生きてきていて、今も音楽が好きというよりは普通の区分に入るタイプだとは思うのだが、それ故に自分が好きだと思う音楽に到達するまでにまぁまぁな時間がかかったんだな、というのがフジロックの間に感じていたことの一つだった。
 行きの新幹線の中で、TSUTAYAでメチャクチャな枚数のCD借りてiPodにダウンロードして聴いてみたいなことを中高生くらいの頃にめちゃくちゃたくさんしてたよね、と、家人と友人が話しているのを聞きながら、そういうこと全然してなかったんだよなーと思ったところから帰ってくるまでで明確にその認識が芽生えた。

 そこまで興味は深くないにしろ、音楽を聴いていなかったわけではないのは、スマートフォン及びYouTube、ストリーミングのおかげと言って過言ではないと思う。高校の頃はYouTubeと、TSUTAYAで(ちょっとは使ってた)、大学の頃はストリーミングで、と言った塩梅で、概ね周りの人の聴いているものを自分も聴いてみるという具合だった。結果的に高校の間は国内の音楽を聴いていることが多く、大学の間に聴くものの幅が広がって、卒業して以降は海外アーティストもぼちぼち聴くような塩梅だった。

 フジロックに大学の友人が来ていることがわかり、一番広いステージでのんびりしているというので、しばらく一緒にのんびりしていたのだが、ちょうどそのステージでは自分が高校生くらいの頃にたくさん聴いていたようなタイプのバンドが演奏していた。こうして目の前にしてみると、全く今の好みからは遠く感じるな、と、そこでやけにくっきりはっきりと感じて、その頃の自分の感覚との距離に少しびっくりした。

 ラジオに神回があるように、ライブにも神回というものがあるわけだが、フェスに行くとライブにも良し悪しがあるというのが、実感としてとてもよくわかる。あまり生で音楽を聴くことに慣れていないと、生なだけで、なんとなく良かったなという気分を持って帰ることになりがちだと思うのだが、フェスはあまりにも直前直後でアクトを比較できるので、比較するという価値観がグッと芽生えてきて、その良し悪しに一喜一憂するという、自分の普段の音楽の嗜み具合ではなかなかできない音楽の楽しみ方ができる。

 そして、ライブと音源というのは全く違うというのもまた面白くて、音源ではピンときていなかった楽曲が、ライブではめちゃくちゃかっこよく聞こえたり、音源で気に入っていた楽曲が、ライブでは全然ピンと来なかったりした。
 ライブでピンとくる時、というのは、ライブの方がその楽曲のことをよく理解できる、という感覚に近い気がする。音源とライブの間の差は、書かれた文章とそれを書いた人が朗読したその文章の差と同程度ある気がする。朗読した時に、あ、この人はこういう間でこの文章を読んでいたのだ、とか、ここの声色はこうだったのか、とか、そういう驚きで文章に息が吹き込まれ、より理解が進むということがあるのだが、それに近い。音楽に対してどのように身体が呼応し踊るのか、どう乗るのか、とか、その音楽が下敷きにしている音楽ジャンルが見えるとか、そういうことがあった。
 そうやって比較する中で自分が好きな音楽の傾向が明瞭になる部分があり、自分の好きな音楽っていうのはこういうものか、と納得した三日間だった。

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