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胸で感じる

noteをしていなければ
たぶん読んでいないという本が何冊もあって
ありがたいなあと思っています。
その中の1冊、「アミ 小さな宇宙人」
(エンリケ・バリオス著 石原彰二訳 徳間書店)。
C.omorebiさんのこの記事がきっかけでした。

この本は、児童書コーナーにありますが、
小さな宇宙人アミの言葉が
深くて温かくて本質をついていて、
なかなかにすごいです。

~~~

「われわれは脳をふたつもっているんだよ」
「ひとつは頭、これはいってみれば 
”コンピューター”で地球人の知っている、
ゆいいつのもの。
でも胸にもうひとつ別の脳をもっているんだ。
こちらのほうが頭より重要で・・・
われわれにとって、ほんとうのインテリとか
賢者というのは、このふたつの脳の調和が
とれているひとのことを言う。
つまり頭の脳が胸の脳に奉仕するというかたちで
あって、多くの地球の ”インテリ” のように
その反対ではないということだよ」

「思考では愛を味わうことはできない。・・・」

「頭でなにかを考えるのを少しやめて、
胸に注意をするようにしてごらん。
そうすればたぶん(神からのメッセージを)
感じ取ることができるよ。・・・
もっとからだをリラックスさせて、目を閉じて、
注意深くしてごらん」

~~~

私は毎朝、瞑想をしていますが、
まず胸に手を当てて反省をする・・
のではなくて(笑)
胸に手を当てて、
なんとなくうれしくなるようなことを
思ったり、思わなかったり、ただ
自分自身の中に「ありがとう」「大好きだよ」
という言葉を投げかけてから、
胸が温かくなるのを感じてから、
深い呼吸をはじめます。

ですから、この「胸」で感じるというのが、
なにより大事だということは
とてもよくわかります。
それをして、はじめて
自分自身と「調和がとれた状態」になります。

「あ~幸せ~♡」って思う時、
必ず胸が温かかくなりますよね。
思考ではないんですよね。

病気になる前、私はずっと自分を認められなくて、
自分に自信がなく、自分のことが嫌いでした。
自分への声かけはいつも厳しいものでした。
そうすると、なぜか周囲も厳しくなります。
自分が自分に接している通りに周りは私に
接しますから。
そうなると、
胸はますます冷たく固くなっていきます。
幸せとは真逆の方向へ行くんですよね。
「愛」とは真逆の方向へ進んでいきます。
(まあそれも私の人生には必要だったのですが(^_^;)

「愛」という日本語ほど、
本質とかけ離れる危険性がある言葉は
他にないのではと思っていますので、
使うのに勇気がいりますが、
この本を読んで感じたのは、
「本物の愛」は、所属や所有などの、限定された
狭いものではないということです。
夫婦愛、親子愛、地元愛、愛社精神、愛国心・・・
そういう壁のある感じではなく、
もっと広い、

非常に広い感覚、とてつもなく大きなもの、
つまり大いなる存在、そのものだということ
それを感じました。

そしてそれは、わたしたち人間の心(胸)の中に
誰の心のなかにも、
もともと備わっている。
それを思い出す(つながる)ためにも、
自分自身を認め、許し、受け入れ、
深い呼吸でリラックスし、
できる限り「調和がとれた状態」でいたいなと
改めて思っています。

そうしているうちに、自分以外の他者に対して
「犠牲なき献身」という高く尊いところへ
いくこともできるかも、ですね😊
私には遠い道のりですが(^_^;)

最期まで読んで下さってありがとうございます。
よい一週間にしましょう♡




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