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魂は答えを知っている

(写真は「こうへいパンダ」さんの作品をお借りしました)
昨日の記事のコメントにお返事を書いてるうちに気づいたことです。真冬に水の話題でごめんなさい。昨日の続きです。

私が子どもの頃、25mを泳ぐ練習をしなかったかわりに、あの無限に続くような小学生の夏休みのひとときを、誰にも邪魔されることもなく、水や太陽の光とともに自由に過ごせたことはよかったのではないか。
今になって思えば、それは私の魂にとっては必要なことだったのだと、水泳の授業の嫌な思いを補って余りある大切な体験だったと、昨日、コメントにお返事しながら急にそう思ったのです。

ずっとピアノを習っていましたが、練習しない子どもだったので、下手なまま大人になりました。しかしはじめてドビュッシーを弾いた時、それまで酷評していた先生からはじめて褒めてもらいました。
ドビュッシーは、それまで習ってきた古典派のハイドンやモーツアルト、ベートーヴェンのような形式美ではなく、印象派と言われるだけに、まさに、水や光や風など、自然の透明感のあるゆらめきを感じさせる音の流れでしたので、私は弾きながら水の輝きや影、月の光など、大自然の空気を音で表現するのが新鮮で、またうれしくて、はじめて練習するのが楽しいと思ったのが、ドビュッシーでした。

だからと言ってピアノが上手になってコンクールに出たわけでもないし、目に見えて得るものがあったわけではないのですが、私の心の中の大切な何かのために、すべての体験はつながっているとそう昨日思ったんです!
はじめて水と光の美を感じたのが、あの小さいプールでの体験でしたから。

そしてまた、その年にわずか10歳で最愛のお母さんを亡くしたばかりの友人にとって、コーチもなくたった一人で、自分の意志で大きなプールに行き、人をかきわけかきわけ練習し続けたこと、あれは彼女の無意識の覚悟の泳ぎだった、その経験がその後の彼女の人生には大きな自信になり、力になったに違いない!とそう思いました。

のん気過ぎる子どもの私にとっては、当時の彼女の行動は全く理解できなかったのですが、ただ不思議なことに彼女の必死に泳ぐ後ろ姿だけは、水と光の輝きとともに、私の脳裏に焼きついているのです。

コメントを下さったあっちゃんさんの優しいお気持ちが私に大きな気づきを与えて下さいました。そしてやはりコメント下さったRIVERSPYさんも今、音楽をお仕事にされています。泳ぐことよりもただ「水を感じる」ということが、今のお仕事につながったのかもしれないなと、ふと思いました。

「そうしたい」という気持ちには、その人にとって必要な何かがあるのですね、きっと。その答えはすぐにわからなくても、こうして何十年もたってわかることもあるんだなと思います。

noteを書きながら、読みながら、私にとっての大切な何かを思い出している感じがしています。

今日も読んでくださる方に感謝して過ごしていきたいと思います。

本当にありがとうございました。



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