禁断の果実

【神話アダムとイヴから紐解く】私たちが食べてはいけない禁断の果実とは?

こんにちは、いつもnoteを読んでいただき本当にありがとうございます。

どうでもいいかもしれませんが、noteの記事が200になりました!(※当時)

ここまで更新してこれたのもスキやサポートをしてくださる方々のおかげです。ひたすら感謝感謝です…!

そんな記念すべき今回のお話するテーマは「神話アダムとイヴに登場する禁断の果実」について持論をお話できればと思います。


※あくまで、ふらっと独自の個人的な意見が強く反映した内容となります。


・物語のあらすじ

聖書に登場する「失楽園」です。

何不自由なく幸せに暮らしていたアダムとイブが楽園から追放されてしまうお話となっております。

以下は簡単なあらすじです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

神はアダムを「エデン」という名前の園に住まわせていました。

アダムはそこでなに不自由なく生活していましたが、お互いに助け合える存在がいませんでした。そこで神様はアダムが寝ている間に肋骨から骨を数本抜き取って「イヴ」という女性を創り出しました。


それからしばらくは幸せに暮らしていました。彼らは「善悪」を知らずに、神に言われたことを忠実に守って暮らしていました。


ある日、イヴが1人の時に1匹の蛇が近づいてきて言いました。
「この園の中にある木の実は、どれを食べてもいいのですか?」
神はこの園の中にある木の実は(善悪の知識の木を除いて)すべて食べていいと言ってました。

「神は善悪の知識の木の実だけは食べてはいけないと仰いました。触っただけでも死んでしまう。だから善悪の知識の木の実だけはダメです。」

すると蛇は「食べても決して死ぬことはない。神が禁じているのは、食べると目が開けて神のように賢くなってしまうからです。」蛇の甘い誘惑に負けたイヴは善悪の知識の木の実を食べてしまう。あまりのおいしさにイヴはアダムにもこの善悪の知識の木の実を勧めて食べさせます。

ここでアダムとイヴは人類で最初の罪を犯します。
2人は急に自分たちが裸でいることを恥ずかしく感じて腰元を葉っぱで隠します。


そこに神が現れて「なぜ隠れるのだ?」と聞きました。
「自分が裸でいるのが恐ろしくなったからです。」
「なぜだ?まさか善悪の知識の木の実を食べたのか?」
裏切りを知って怒った神に、アダムはイヴにそそのかされたからだと言います。イヴは蛇にそそのかされたからだと言います。
2人とも言い訳したのですね。


そこで神はアダム(男)に「労働の義務」をイヴ(女)に「出産の苦しみ」を与えて、2人に老いと死の宿命を宣告したのです。


神の命に背いたとして2人に原罪を背負わせて、楽園から追放しました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここまでです。

神なんだから食べてはいけない果実のなる木をおいておくなよとか

神って怒り狂うの?というツッコミは今回省略させていただきますね笑


・禁断の果実がなる木の正体

物語のあらすじを読んでいただければ分かるのですが

お話に登場する禁断の果実とは善悪の果実でした。

「善悪の知識の木」からなる果実です。

つまり、禁断=善悪の分別する知識をつけることになります。


不思議に思いませんか?

禁断の果実は悪魔の果実ではないのです。善悪の知識の果実なのです。

( ・∇・)「善悪の分別ができる知識って必要じゃない?」

そうですよね。ぼくもそう思いました。


そこで、ぼくが考えた独自の見解はこうです。

あらゆる争いの根源は正義と悪の二極化ではないかと。

おれは正しい。だから、あいつは間違ってる。

これが正義なので、それ以外は悪だ。

この考え方こそが、人々が憎しんだり争いをおこすのです。

争いとは正義対悪ではなく、正義対もう一つの正義でおこなわれます。

自分たちは正しい(だから、彼らは間違っている)

→彼らは間違っているので、正義の名の下に攻撃してもいい。

この思考プロセスにならないために、神はアダムとイヴに善悪の知識の実を食べてはいけないと命じていたのではないでしょうか。



・最近の日本は正義を振りかざす人が増えている気がする

昨今テレビでは芸能人の不倫や政治家の汚職、スポーツ界のセクハラパワハラが大きく取り上げられています。

不倫や汚職、セクハラパワハラは許されることではありませんね。

しかし、SNSやマスコミの報道をみていると、第三者が正義感を振りかざして激しく攻撃している姿をよくみます。

それってストレス発散したいのを正義の名の下、自分を正当化して叩きたいだけじゃない?

とよく思いました。


自分は正しいことを言っている・している。

彼らは間違っている。

→だから叩いてもいいんだ。攻撃して当然だ。

もし、あなたがそんな思考プロセスになっていたら

知らない間に「禁断の果実」を食べてしまっているかもしれませんね。


・自分の正義は、自己実現と守るために使おう!

ここまで「善悪の二極化」の話をしましたが

正直生きていたら、自分の正義の1つや2つできてきます。

自分の過去の経験やまわりの環境、触れた文化によって構築されるのでとても自然なことです。

大事なのは、自分の正義との付き合い方です。

争いにつかうのではなく、自己実現に使いましょう。

自分が叶えたい夢や在りたい姿に近づけるように、自分の正義を有効活用しましょう。

あとは、誰かを守るときですね。

自分の大事なものや人を攻撃されたときに、倍返しするのではなく守るために自分の正義をつかえたら、豊かな人生になりそうですね( ´ ▽ ` )ノ



最後までnoteを読んでいただき、本当にありがとうございます(^^)

サポートして頂くと、ノリにのります。