マインドフルネス受講体験記

たびたびこのブログでも取り上げているように私はヨガに興味があります。
昨年、ヨガの先生に勧められてマインドフルネスを受講しましたのでその経験を紹介させていただきます。

瞑想に興味を持ったきっかけ

ヨガの先生から勧められたのもそうなのですが、大学生時代に下記の本を読んで興味を抱き我流で瞑想をしていました。

書物の中では瞑想をして得られる効果を著者の経験から語ってくれるので非常に読みやすいです。
著者は元々心の平穏を保ちにくかったみたいなのですが、瞑想を通してそこを落ち着けていくことができたみたいです。
特に興味深かったのは集中力が向上するということです。
私たちはしばしば身体と考えが一致していません。
テレビを見ながら洗濯物を畳んだり、テレビ会議中にマンガを読んだりなど1つのことに集中していないというのはよくあることだと思います。
100%1つの物事に集中すること、そんなことができたら人生の感じ方が変わるのかなと思って実践してみました。

当時は1年くらい続けたものの正直目覚ましい効果はありませんでした。
自分のやり方が間違っているのか?自分には瞑想の効果が出づらいのか?その答えを探すためにもマインドフルネスを受講することにしました。

どこでマインドフルネスを受講したか?

東京マインドフルネスセンターというところでMBSRを受講しました。
ここを受講した理由はヨガの先生も通っていたからです。

マインドフルネスの基礎的なコースで確か週一のレッスンを3ヶ月続けるという内容でした。
オンライン受講で18時開始から3時間の授業だったため参加するのは正直大変でした。

内容としてはマインドフルネスの考え方に触れながらも実践的に瞑想をする内容だったためそこまで退屈することはありませんでした。
毎週宿題をこなす必要があるため、強い自主性は求められます。

東京マインドフルネスセンターは治療としてマインドフルネスを処方している側面もあります。
精神的に辛い思いをされている方がしばしば受講することもあるようです。
私のように興味本位で受講することも全く問題ありません。

マインドフルネスの受講で得られたこと

結論から言えば、すごくスピリチュアルな体験をしたとか、実生活の感じ方が大きく変わったとかそういうことはありませんでした笑
これは私の精進がまだまだ足りないからだとは思いますが、普段から落ち着いている人にはもうすでに素養として備わっている部分もあるからなのかと思っています。

では通った意味がなかったかと言えばそんなことはありません。
下記の点などは通って良かったと思っています。

1. 参加者同士での瞑想体験の共有

授業の中では実際に瞑想も行い、その後にどんなことを感じたか共有します。
自分がどんなことを感じたか共有したり、クラスメイトがどんなことを感じたりしたかといった具合です。
1クラス大体20名くらいだったため、ブレイクアウトルームに分かれて少人数で共有した後に全体でも共有したい人はするといった流れが多かったです。
また課題を与えられることもあったため、そのアクティビティに応じた内容を共有することもありました。

この取り組みの良いところは人の考えを知ることができることです。
1人で瞑想をしていると自分がやっていることが正しいのかどうか、自分特有なのか?それとも普通のことなのか?よくわかりません。
しかも日常生活で瞑想の体験を共有できる友達なんて普通はいないわけじゃないですか。
ですが、このクラスでは最初から瞑想を目的に集まっているため、そこはすんなり共有しやすく勉強になります。
こういった場を提供してもらえること自体が貴重なのかなと私は感じました。

2. マインドフルネスについて体系的に知ることができる

書物を通しても理解することはできますが、実際にその場で説明されて実践してとでは理解のしやすさは大きく異なると思っています。
次からは私が実際に学んだ感想を記述していきます。

マインドフルネスを学んだ感想

私が学んだことはまず、人の頭の中は結局わからないし、自分の体験は自分のものでしかないということです。
同じ時間瞑想をしても、感動的な体験をすることもあれば、特に何も感じなかった人もいます。
ですが、どちらかが間違っているということはありません、結局は捉え方は人それぞれであり、自分なりに解釈をするのであって、誰かと比べることではありません。

私は瞑想にしろ、ヨガにしろ「自然な呼吸を観察する」ということが理解できていません。
呼吸は意識したその瞬間に自然ではなく、自発的に呼吸していると私は感じているからです。
そんな疑問を先生に質問したところ、
「観察できる、という人もいれば、観察できないという人もいる」
と言われました。
身も蓋もない回答だなと思いましたが、結局は自分がどう感じるかというのは外から測るのは難しく自分の中で収まりをつけるしかないんだと思いました。
私は観察できないと思っていますが、観察できると思っている人もいるし、結局はその過程で観察を深められたらそれで良いのだと思います。

マインドフルネスのコースでは大きく3つのタイプの瞑想をします。
座禅を組んでする瞑想、横になって身体を観察するボディスキャン、歩行を観察する歩く瞑想、これら3つです。
どれもやることは同じで、観察です。
観察対象は自分に重きを置くこともあれば、周囲に対して気を向けるということでもあります。

これらの瞑想はあくまで手段であり、どの手法、あるいはこれに留めず他の手法を用いても問題はありません。
特定の物事に対して注意を向けるということが大切なのだと理解しています。

では瞑想が到達しようとしているポイントは何なのか?どこを目指しているのか?
人によって違うと思いますが、1つのポイントは意識と無意識の一致です。
ボディスキャンがわかりやすいですが、横たわって自分の足の指の感覚を掴むというのは結構難しいです。
人に足の指をつままれてもどの指なのか意外とわかりません。
このように私たちは自分の身体を感覚器官として外界から情報を取り入れているにもかかわらず、そのセンサーをフルに活用できていません。
自分の身体が裏で調整している部分があるのです。
自分の感覚に重きを置いて、観察をし続けていけば身体への理解が進みます。
そうすれば身体の不調にも気づきやすくなりますし、自分の身体のパフォーマンスを最大限発揮しやすくなります。
瞑想にはそんな効果があるのではないかと私は思っています。

今の話は身体に重きを置きましたが、心にも適用していけます。
私たちは人から嫌なことを言われたり、されたりすると反射的な行動をしてしまいがちです。
ニュースでも「ついカッとなってやってしまった」なんてことがあります。
これは自分の身体と心を制御できていない状況です。
心に対して余裕を持って接することができるようになっていけば、嫌なことがあった場合にも反応は変わってきます。
それは反応しないのではなく、反応を受け入れていくことができるのです。
嫌なことがあったときに、
「私は今嫌なことを言われて、嫌な思いをしている、でもどうしてそう感じたのか?言葉の何が嫌だったのか?いま身体はどう感じているのか?」
観察を通して自分の状況を掴んでいけば冷静になっていくことができます。
もちろん怒りや嫌な思いはすぐには消えません。
ただ怒りに任せて行動して怒りを増大したり、反射的に暴力的な行動を取ったりというのは防いでいくことができます。
冷静になることで反応と反射の間で余白を作っていくことができるのです。
この余白が意識と無意識の差を埋めてくれるのだと私は理解しています。元々冷静だったり、そんなに怒ったりしない人はある程度、こういうことがもうできていたりして瞑想の効果が薄いのかなと思いました。

瞑想をすると無味乾燥な何事にも反応しない冷静な人間ができるのか?人間の究極的な姿は情緒を持たないロボットのような人間なのか?私もこんな風に思ったことがあります。
おそらくは逆なのだと思います。
情緒豊かに物事を感じますし、怒りも悲しみもあります、それを抑制していくことが目的ではありません。
それをありのままに受容していく、その過程をメタ的に観察している自分が常にいるのだと思います。
(めちゃくちゃ喜んでたり、めちゃくちゃ怒っていたりしてもどこか冷静に見ている自分って、あんまり人間らしくはないのかもしれませんけどね)

冒頭の10分間瞑想の中で心とのつながりをこう記していました。
「心は馬そのものである。無理に留めようとすれば暴れまわってますます手がつけられなくなる。でもまずは広い柵の中で自由に動き回らせる。そうして徐々に徐々に柵を狭くしていくことで心に平穏をもたらすことができる」

確かこんなような内容でした。
無理に抑圧しようとすれば無理が出てしまいます。
心の赴くままに自由にさせる、そこを観察していくことで徐々に徐々に柵を狭くしていくことができるのだと思います。

総評

マインドフルネスに興味があるという方は一度受講してみてください。
独学で瞑想をされている方はそのまま続けていけば良いと思います、おそらくたどり着く先は同じです。

私もまだまだ実践できていませんが、心と身体の行動を一致させて最大限に人生を謳歌していきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?