松岡古墳群、二本松山古墳を訪ねて

2016年4月20日(水)

 天気が良かったので、ひとりで古墳に行ってきた。古墳に行くのはもうずいぶん久しぶりのことだ。別に古墳熱が衰えた訳ではないが、しばらく足が遠のいていた。前々から行こうと思っていた古墳のある場所に向かって、ゴールデンウィーク前の水を張ったばかりの田園地帯を、民族音楽のCDを聴きながら車で走っていく。

 最近僕は民族音楽の著名な研究者であった小泉文夫さんの本をちまちまと読んでいる。それで彼の没後30周年コンサートのライブCDがあるのをAmazonで発見して、すぐに取り寄せた。そのCDにはイランからアフガニスタン、インドやアイヌまで様々な民族音楽が収録されている。これは部屋で聴くとあまり入り込めなかったが、どういう訳か晴天の田んぼを眺めながら聴くととても気持ちよく胸に響くのだった。

 国籍を問わず、田んぼのような土着的な風景と古くから伝わる土着的な民族音楽は、それだけで相性が良いのかもしれない。田んぼの風景というのは、時代が変わっても(基本的には)弥生時代から現代までそう大きくは変わっていないはずで、だから僕はよく田んぼを見ながら昔のことを思い浮かべる。

 余談だけれど僕はとりわけ水を張っただけの田んぼと、その少し後の田植えが終わったばかりの田んぼの景色が好きだ。湖のようにたっぷりと水を張った田んぼは最初はかなり濁っているけれど、時間が経つと徐々に澄んできて、やがて本当に湖や海を四角く切り取ったような状態になる。そんな田んぼには風が吹けば波がさざめくし、時にはくっきりと空を映し出している時もあるのだ。

 でも今では福井にもそうした水田がどこまでも続く風景には滅多にお目にかかれない。多くの田は稲の代わりに麦を栽培しているからだ。六条大麦というブランドで、今や福井はこの麦の一大生産地となっている。この時期の麦は青々とした実を鈴なりにして風に揺られている。この景色も決して悪くはないのだが、僕は水田が鏡にようにどこまでも続く風景が見られたらいいのになあ、と思ってしまう。

 さて、古墳に行く前に、僕はトイレに行こうと思ったが近くにはコンビニはない。中部縦貫道(364号線)から外れてすぐの山の上にある施設、そこに行ってみることにする。

 多くの人は、そこに「永平寺緑の村 四季の森文化館」という施設があることを知らないだろう。僕も数年前までは知らなかった。たまたま仕事でその緑の村にある体育館に行ったときに、その小さな山の山頂にその施設があることを知った。そこに行けばトイレくらいあるだろう、と思い小さな山を車で登っていく。山頂にはかなり広い駐車場があるけれど、そこには工事業者のものと思われるヴァンしか停まっていない。四季の森文化館は、一見するとどこかの宗教団体の施設のようにも見える。

 館内に入ってみると入り口に案内図があった。どうやら館内には近隣の縄文遺跡の紹介コーナーがあるようだった。トイレを済ませてから、無料で解放されている1階の古い農具や家具を集めたコーナーを見て回る。中々見事な展示だ。昭和、よりも少し前の時代の遺物がずらずらと並んでいる。でもやけに暗いと思ったら館内の明かりが点いていなかった。普段、余程人が来ないのだろう。

 2階にある展示を見るためには入場料が100円掛かるとあったので、受付で人を呼ぶと奥から少し年配の女性が出てきて明かりを点けてくれた。そこでこれから行く二本松山古墳のことを尋ねてみる。係りの人は詳しくないようだったが、何か資料があれば見たいと伝えるとカウンターの裏を探してパンフレットを何冊も出してくれた。『成仏木原町遺跡とその時代』、『越の国・創世−福井の古墳時代の始まり−』、『えいへいじのお宝 里がえり 松岡古墳群出土品展』、それに小学生向け松岡古墳群の学習向けパンフレット。どれも過去にこの施設で催された展示のパンフレットだった。古いものは2001年に印刷されたものだ。こんなものを欲しがる人は余りいないのかもしれないが、言うまでもなく僕にとっては貴重かつ興味深い、お宝のようなパンフレットだ。思わぬ収穫に思わず胸が踊る。

 2階の展示ではこの山のすぐ麓で発掘された成仏木原町遺跡という縄文遺跡からの発掘品が中心だった。死者を埋葬するために作られた大きな甕がケースに入れられることもなく素の状態で展示してある。他に縄文土器の欠片や石斧などなど。この遺跡があった場所は今では田んぼになっているようだ。

 僕がこの日向かったのは二本松山古墳という前方後円墳だ。この古墳は松岡古墳群という古墳群のひとつで、この古墳群は北陸でも最大級の前方後円墳が揃う言わば古墳の聖地である。福井県内で2番目に大きい手繰ヶ城山古墳と5番目に大きい二本松山古墳、そして周辺大小の古墳をまとめて松岡古墳群と呼んでいるようだ。ちなみにこの松岡古墳群には含まれないが、北陸の古墳の中でも最大の全長141mを誇る六呂瀬山古墳はこのすぐ近くにある。

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 六呂瀬山古墳と手繰ヶ城山古墳は車で近くまでアクセスすることが出来る。車を停めてから徒歩2-3分で墳丘まで行くことが可能だ。しかし二本松山古墳はそこまでアクセスが容易ではない。ちょうど福井北インターから昨年一部が開通して北陸自動車道と繋がった中部縦貫自動車道の、永平寺へ行く途中にある長いトンネル。その真上の山中に位置しているからだ。

 古墳探訪に興味を持った者なら、一度は頼りにすることになるであろうサイト、「古墳とかアレ」でも、二本松山古墳へのアクセスは容易ではなく、松岡公園というところから山を登って尾根伝いに行くと往復で2-3時間は掛かると書かれてある。他のサイトでも同じルートでのアクセスを紹介している。それでこれまで僕は二本松山古墳に行きたくても、そこまで時間が掛かるんじゃなー、と二の足を踏んでいる状況だった。

 しかし実は今では、この古墳には車で近くまで行くことが出来るのだ。フレッグ食品工業さんと幸伸食品さんとの間にあるこの看板。これがそのルートの入り口だ。

 ここから山道を登っていくと小さな駐車場と地味な看板が立っている。ここから山を登っていく。

 途中山道と沢が合流しているところがあり道がぬかるんでいるので、汚れても良いスニーカーで来ると良いだろう。10分程登ると松岡公園から続く正規の尾根伝いルートに合流する。お地蔵さんが目印で、ここを右に行くと鳥越山古墳と石舟山古墳に、左に行くと二本松山古墳がある。


 二本松山古墳に到着すると、墳丘の上には三角点があり、福井市側の開けた場所には割と新しいベンチがふたつ設置されている。左から鯖江市、福井市、坂井市、あわら市と遠く日本海まで見渡せる本当に素晴らしい景色が広がる。よくもこんな良い場所に古墳を作ったものだなあ、と感心してしまう。ここでのんびりピクニックがてらお弁当でも食べながら景色に見入るのも一興だろう。

 せっかくなので隣の鳥越山古墳の方にも行ってみる。これが本当に「お隣さん」と言えるほど近くで、徒歩3分ほどで着いてしまう。さらにお隣さんに行くと石舟山古墳がある。この規模の前方後円墳がここまで至近距離で隣接しているのは福井県でも(そしてたぶん北陸でも)ここだけである。

 それぞれ二本松山古墳ほどには整備されていないので、墳丘には木が生い茂っていて眺めは良くない。しかし古墳の建造当時はこれらの木はなかったはずだから、きっと当時は景色も良かったのに違いない。



 というわけで、大体この三つの古墳を見て回るだけだと車から1時間ほどあれば十分に楽しめる。

 この日は定休日だったけれど、この山から近くの永平寺駅周辺には良さげな古民家カフェもあるし、天気が良い日にはとても良い行楽スポットである。


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