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中平卓馬さんとの遠い思い出

----一緒に沖縄に行こう----



中平さんと会ったのは、中平さんが急性アルコール中毒から復帰し、その前とは全く違った写真を撮り始めて、2冊目の写真集を出版したころだった。
新宿の薄汚れたビルに、マンションとしゃれた名前がついており、FOTODAIDOといったしゃれたギャラリーの名前がついていたが、実際は古い集合ビルの4階の部屋だった。
そこの狭い部屋をギャラリーとして使って、中平さんの写真展が開かれていた。
そこには、カビネ~4つ切り程度の写真がべたべたと壁に貼られていたような記憶があるが、古い記憶なので定かではない。
そこに、おかしい感じの中年の男性がたたずんでいて、それが、中平さんだった。
私は、そこで中平さんと話し、意気投合して、隣の主の住居兼暗室に入った。そこの主は、FOTODAIDOの主であり、当時は、パリで苦闘していた森山大道という写真家だった。
もちろん、その事は承知で、その迷路のようなビルにたどり着いたのだが、また、前年には、そこは、別の名前がついていた。
それは、ROOM801という名前であり、そのギャラリ-を作った事を、その主である森山さんから、当時私の住んでいた松江のアパートに、案内状が届いたのだった。

そこで、中平さんと話すうちに、意気投合した事は覚えており、別のブログに書いていたのだが、最近(2週間前)、古い手紙やはがきを整理していると当時のこの写真展に行って、中平さんと意気投合した事が書かれていた。


そこには、なぜ意気投合したか書かれており、私は、その事を全く忘れていた。

中平さんは、漁師の息子だった。 子供のころから、海に潜り、魚を突き、魚介類を取っていた。
私も同じように、海に潜るのが大好きだった。
そこで、話が盛り上がり、意気投合したのだった。

まったく・・・・忘れていた。

中平さんとは意気投合し、横浜の住所と電話番号が書かれたメモをもらった。中平さんは、盛んに、沖縄の憧れを語り、一緒に沖縄に行こうと何度も何度も誘った。



そして、これも、また、まったく覚えていないのだが、中平さんは、私の事を「面白い人だ。変わった人だ。」と言って、気に行ってくれたようだ。
田が見に、私がそう書いている。
中平さんこそ変わった人のように思うので、そうした人から言われるのは、どう考えたらいいのか・・・とも思うが、まあ、喜んでいいのだろうと当時の私は思っていたようだが、また、それほど、本人は思っていなかったような気もするが、あまり覚えていない。
好奇心と興味とおかしいもの、あやしいものにも、特に気にしないようであったろうとは思う。



今、東京で、中平さんの20年ぶりの大回顧展が開催されている、
出来れば、駆け付けたい気もするが、少し遠くて、旅費が高い。
話によるとすごいようだが、そもそも、中平さんの初期のオリジナルのプリントは、ほとんど残っていない。
今回の展示も、初期の写真は写真集や雑誌から作成したものが、多くあるような事を聞いている。 それならば、いまの人、学芸員が中平さんの写真をどのように解釈しているのかを見せている写真展のように思える。

それならば、やる気になれば、手元の写真集や雑誌から、写真展が再現できるではないか・・・
中平さんの写真は、本や雑誌から、複写して再現しても、その力は、まるで衰えないような気がする。
そういった事を考えたりする。

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