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無職最強説

そもそもなんで、私が水泳を始めたかって言いますと。
夏だったんですよ。
暑いじゃないですか。

思えば私、親の手を離れた学生時代から、夏らしいことを1度もやらなかったなぁと思って。
気持ちはいつだって夏を楽しみたかったのに。
なんで、やらなかったんだろ。できなかったんだろ。

そんな自分が嫌になってね。
だから自分一人でも夏らしいことをやりたくなって、ふと泳いでみたくなって。
でもプールなんて小学生以来行ってないし、もちろん水着も何もないし、何が必要かも分からない。
でも昔の記憶を思い出し、悩みつつも勢いで必要なものを買って。

世間は夏休みの平日、家族連れ天国のレジャープールにですね。

無職の30代独身女が突入したわけです。
(もちろん、泳いでる人の中の多くは30代以降の方なんですよ。ただし全員子連れだけどな)

楽しかったけど流石に一人でレジャープールは無かったなと(ひたすら浮くことしかできないから)、もう少しまともに泳げる場所を探そうと思って、冷静になって思い当たったのが公営プールだったというわけです。

本当にね、これは今だったら多分できない。いや、絶対無理。
当時はほんと、どうかしてたんですね。
なんかもう、やっちゃえ感が強くて。メンタルが強かった。
自分で自分の馬鹿さ加減をよく理解して、逆に逆手に取ってたんです。
失うものなんて何もないと。だから、馬鹿みたいなことやっても恥ずかしくはねぇと。

無職は最強って言うけど、あれはマジだ。
あの時ほど、自分の中で行けや打てやな時期はなかったんですから。
どうにでもなれと、恐ろしい日程で旅行組んだこともありました。

今にして思えば、人生で一番生きてる実感やら達成感を得た時期だったなぁ。。
ある意味、そこでネジが何本も抜けた可能性はある。
生活がまとまり出してからは、またネジを締め直したけども。

でも、どうなんでしょうね。
例えばどこかにお勤めすることで、自らのそういう貪欲さとか。パワーだとか。
そういうのを隠してしまうのって、本当はどうなんだろう。

平均的な何かにはなりそうだけど、それって、本当にその人が輝く道なんだろうかって。
本来なら、制限がなければ、ものすごく飛躍する人も中にはいるんじゃないかって。

普通にお勤めしていたら、一応はマトモに生きてけるけど。
日本には、もうそんな人が山のようにいるじゃないですか。
そんな多くの人が、長期休みの後は死んだような顔するじゃないですか。
電車は毎日、止まるじゃないですか。

平均的な何かより、突出した才能だとかパワーやら行動力の方が、ここまで停滞した国には必要なのかもって時に考えることがある。

それを安易に結びつけるのはどうかと思うけど、でも今、何かが違うことはみんな分かってるのに。

なんで変わらないんだろうか。
なんで電車、止まるんだろうね・・・?

まあ、だからこそそれを悪い方向に、人を傷つける方向に使っちゃいけないのよ。
それじゃあまるで、人が人を殺さないのは、人目とか守るものという砦があるおかげみたいになっちゃうじゃないですか。

ある意味、仕事=役割を持っているということは、お互いの監視の意味もあったかもしれないね。
何しでかすか分からないって怖く思うのも、そういうところがあるのかもしれぬ。

さて、そんな風に無敵な気持ちを持っていたのは事実だけれど、その一方で不安を感じていたことも知っていた。

つづく

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