ジョン・カサヴェテスについて

(初出:映画の呪い日記 2007年)

1. カメラと戦った男 

 ジョン・カサヴェテスは、ニューヨークで最も早い時期にニュー・アメリカン・シネマ(撮影所の外で撮られたインディペンデント・フィルム)を撮った俳優・映画作家であり、その作品の特徴は「即興」である。1958年に完成した初監督作、「アメリカの影」の最後に誇らしげに掲げられた宣言、「この作品は即興的演出(インプロヴィゼーション)によって完成されたものである」は、有名である。ハリウッドの商業映画に俳優として出演しながら、そこで稼いだ資金をもとに徹底してインディペンデントな方法で自分の映画を作り続けたその道のりは苦難に満ちたものであり、彼をカメラの前と後ろで同時に戦うことを強いていた。カメラを相手にしたカサヴェテスの「戦い」とは一体どのようなものだったのだろうか? 

 夜のニューヨーク市街の光景が鮮烈な「アメリカの影」では、黒人と白人の混血である三兄弟(ジャズ・ミュージシャンを目指す黒人少年とその兄の売れない歌手、肌が白い大学生の妹)の恋愛や興業にまつわる苦悩の日々が描かれている。当時の映画製作における既成のシステム(商業主義的ハリウッド映画)の外に可能性を見出した「即興的演出」とは、カメラの前で起きたどんな計算外のノイズをも記録するというドキュメンタリー性の導入のはじまりであり、これを「カメラ・ワークのインプロヴァイズ」と呼ぶことができる。それは俳優の演技と、彼らを撮影するカメラの二つのレベルで起こっていた。ここで、俳優に限らず、カサヴェテスも含めた撮影スタッフさえも映画製作に関してはアマチュアであったことは注目に値する。『「アメリカの影」は全面的にひとつの実験であり、僕らの主目的はただ学ぶということにあった。役者は一人も自分の苦労に対する報酬を受け取らなかった、技術者も何ももらわなかった。僕らに仕事を続けさせたのは情熱だった……僕らは自分たちのしたいことをするっていう楽しみのために働いていた。どのみち馬鹿げたことに使う小金を稼ぐよりは、創造的な仕事をする方が重要だ。——「アメリカの影」は最初から最後までアクシデントの連続だった。僕らは自分のやっていることに興奮していた。そもそもぼくらには何もなかったから、創造し、即興しなきゃならなかったんだ。——「アメリカの影」を作り始めたときには、数ヶ月しかかからないだろうと考えた。3年かかったよ。——ぼくらは技術的にあらゆる間違いをしでかした。ぼくらがしたことで唯一正しかったと言えるのは、力が有り余っていて何か意味のあることをしたいと思っている若者たちを集めたことだ。』(*1)と、カサヴェテス自身は語っている。手持ちカメラによる野外でのロケ撮影、脚本無しの即興演技、既成の方法に囚われない無謀な編集、ノイズ混じりの録音の直接使用といった「インプロヴィゼーション」の革命が、このような自主製作のアマチュアリズムから生まれたことは疑いえない。
 黒沢清は「人間はおそろしい」というエッセイで、カサヴェテスの映画を「人間ドラマ」への還元であるとして簡潔に位置づけている。(*2)カサヴェテスの革新性は、「ハリウッド映画」という枠組みの中で、劇映画の役柄を離れた「ただの人間」を撮ることができたことである。カサヴェテスのフィルモグラフィーから代表的な作品、「アメリカの影」、「フェイシズ」(1968年)、「ハズバンズ」(1970年)などを並べてみてそこで見られるのは、強引に要約すれば、無数の人間の群れが様々な問題を抱えたまま(人種的なものであれ、家庭的なものであれ)、束の間の安息を迎えつつも、しかしどうすることもできず時間が過ぎていき、行き詰まったまま映画が終るしかないといったものである。そこには、人々のどうしようもなくやるせない感情が充満している。何よりも俳優の存在を尊重するカサヴェテスの演出では、照明やカメラといった既成の映画製作のシステムよりも、俳優個人の感情表現を重視し、いかにそれを引き出すかということが追求されている。そのような「感情のリアリティ」について、カサヴェテスは権威化したカメラ・ワークより大事なものがある、としばしば発言している。「ぼくは生きた感情的真実を伝えたかった。そうするには役者が、自分の役柄に息を吹き込み、その感情的真実を創り上げるよう考えるしかない」(*3)即興的演出における状況や台詞はカサヴェテス自身、あるいは俳優たちの実生活と実体験から具体的に引き出されてきたものであり、このようにカサヴェテスは身近な俳優たちとの共同作業によって映画に「感情的真実」を吹き込んでいくわけだ。(*4)そのとき映画は人生の「感情的領域と知的領域を通ってどうすれば苦痛を免れるかという解決を提供する道路地図」(*5)となる。そこでは、男と女の「孤独」や「狂気」が悲痛なものとなっている。とりわけ、「こわれゆく女」(1975年)のジーナ・ローランズは尋常ではない。
 1950年代までのハリウッドの撮影所システムは、物語を効率的に語る簡潔なカメラ・ワークの規範を確立していた。それはいかに脚本=演出という「一つの正しい視線」で映像を構造化するかを目的として、カメラ・フレームを意識させず、物語からのノイズの排除を原則とした「透明」なフレームの体制であった。そこではイメージを物語に奉仕させるために、撮ること=見ることが隠蔽されている。「アメリカの影」の「ドキュメンタリー化」はそこからの逸脱として試みられている。(*6)(これは「ハリウッド映画史講義」で蓮実重彦が提示した、50年代以降の撮影所システムの崩壊による「物語の優位からイメージの優位へ」という有名な図式とも並行している。)60年代にジョナス・メカスによって先導されたニュー・アメリカン・シネマは、そのようなハリウッド映画の虚構を暴き立て、撮ること=見ることを剥き出しにしたイメージの「リアルさ」を目指していたといえるだろう。例えばそれは、メカスによる「ニュー・アメリカン・シネマのための第一宣言」(1961年)に典型的に表れている。『芸術と人生の嘘っぱちにはもう飽き飽きした。他の諸国の若い仲間たち同じように、新しい映画を創造するばかりではなく、われわれは新しい人間を目指すのだ。芸術作品と同じくらい、われわれは新しい人生の創造に賭ける。ピカピカで奇麗に磨き上げられているが中味のほうは嘘っぱちだらけといったニセモノの映画はもう真っ平だ。たとえ荒削りでもいい。素顔の生きた映画のほうが遥かにましだ。観客にバラ色の夢を与える映画でなくてもいい。われわれの欲しいのは血の色をした映画なのだ』(*7)つまりこの時期にニュー・アメリカン・シネマは即興的でドキュメンタリー的なカメラ・ワークによって、ハリウッド的な視線の解体を実践しようとした。「正しいイメージではなく、ただのイメージ」(ゴダール)へ。したがってそこでは、「透明」なフレームによる「美しい画面」が破棄され、カメラはより撮ること=見ることの媒介性を露出させた「ノイズ」に接近していく。そのような状況から登場したカサヴェテスの映画においても、ハリウッドの硬直したフレーム=視線への「攻撃」として、ノイジーで魅力的な細部に満ちた、斬新なイメージが生み出されている。その特徴として強い印象を残すのは、無造作なフレーミングで刳り貫かれた顔・顔・顔……である。佐々木敦は、「カサヴェテスの映画からは、人称性を有したショットがほぼ完全に排除されている」として、カサヴェテスにおけるカメラという「他者」の位置について、次のように言っている。

 カサヴェテスの場合、ここに「映画」という「表象=代行」のシステムと、フィルミングという紛れもない「暴力」が関与する。誤解してはならないことだが、そこでは撮られる者=見られる者にも、また撮る者=見る者にも、何ら能動性は与えられていない。あるのは「他者」としての機械=キャメラと、それを動かすと共にそれによって運ばれている途方もない力−エ/モーションだけである。そして結果として、フィルムに焼き付けられた像においては、たとえば妻やよく知った友人の顔までが、見たこともないような異形へと変貌しているのである。
(……)
 そこには「夢」特有の非=現実感は希薄であり、寧ろあらゆる事物が表面へとせり上がってくることによって、眼前の「世界=映画」の、正しく物質的な意味でのリアルさ=「物自体」が顔を出しているのだ。だが、それは「現実」でもない。キャメラ=「他者」の暴力的な挿入がなければ決して生まれ出る筈もなかった、いわば「現実」でも「虚構」でもない第三の空間、宙吊りになった「他」の空間なのだ。「他者」による「他者」の現前化?そう、ここではもはや画面そのものが「顔」と化してしまっているのである。「表象=代行」の裂け目としての、「在ること」を剥き出しにされた「顔=映画」。
(EMOTIONAL RESCUE ジョン・カサヴェテス論)(*8)

 「誰のものでもない機械的な視覚、第三者の視線」である「他者としてのカメラ」によって媒介された感情=運動が、画面に「凄まじい力」を漲らせる。「それは何らかの別の言葉で名指すことのできる感情(=エモーション)を秘めた−つまり内面的に理解できる−「表情」や、俳優が持って生まれた「容貌」ではない。それはカサヴェテスの「映画=世界」に渦巻く「感情=運動」(エ/モーション)によって、外部から突き破られた「顔」、絶対的に見る者の視線を拒み、コミュニケーションを解さぬどころか、破壊さえする「顔」、字義通りの「他人の顔」(安部公房)である。」(*9)要するに、カサヴェテスはカメラを特定のイメージを表象してしまう人間の視線から解放することで、リアルな(「表象=代行」の裂け目としての、「在ること」を剥き出しにされた?)映像をつくりだしたということである。カサヴェテス作品の激しく動き回るカメラ・ワークは、「ただの人間」のあるがままの「顔」を撮るためにこそ、要請されている。おそらくカサヴェテスのおこなった「フィクションのドキュメンタリー化=カメラ・ワークのインプロヴァイズ」の可能性は、このような分析に尽きている。
 現在の映画史的状況から省みると、カサヴェテス的な手持ちカメラによる不安定な構図や、通常のストーリーテリングの効率性を逸脱する沈黙・停滞といった手法は、例えばラース・フォン・トリアーらの作品へと影響を与えている。物語から放り出されたような生々しい「時間」の感覚はいかにも「カサヴェテス的」なものだが、実際、そのような沈黙・停滞の演出はすでに手法として一般化してしまっている。(*10)しかし、それどころか、即興的な「ドキュメンタリー性」を導入することで、映画というフィクションはリアリティを簡単に装うことができるという感覚は今では自明のものである。その事態を端的に表すのが「疑似ドキュメンタリー」の台頭である。現在では即興性の導入は、「疑似ドキュメンタリー」というリアリティを偽装する紋切り型へと頽落してしまう危険が大きい(そこに陥らない慎重で繊細な方法もあると思われるのだが)。そこでは「現実」との関わりを抜きにしてあらかじめ一定の映像の「リアリティ」が想定されている。(*11)では、フィクションのドキュメンタリー化=カメラ・ワークのインプロヴァイズによる感情的真実=リアリティの生成は、もはや効果を失っており、カサヴェテスによる映画史的革命は、もうすでに過去のものとなったのだろうか?結局「カサヴェテスには才能があったからだ」という話に片づけられてしまうのだろうか?それとも、「アメリカの影」が「現代の現実を新鮮で型にはまらない方法で提示している」(ジョナス・メカス)のはいいとして、それが映画製作上のカメラというメディア・テクノロジーへの介入によって「技術的にあらゆる間違いをしでかして」初めて生まれ、それが普及した後は消えてしまうということは、「インプロヴィゼーション」によるその「リアリティ」は実のところ、メディア的条件−撮影所システムとインディペンデント・フィルムの落差(よりノイジーな方が真実らしい?)−による錯覚だったのだろうか。だとすると、「感情的真実」はどこへ行ってしまったのか?
 とりあえずここには、「掟破り」は一回しか起こらないという芸術とテクノロジーをめぐる残酷な事実がある。一回起きてしまった芸術的=技術的「革命」が、その後反復されることで手法として制度的に登録され、紋切り型となってしまうというこのような思考は、かつて佐々木敦が実験音楽における「即興演奏の定型化・ドラマ化」として論じたことと同型である。再び佐々木氏の思考を援用するならば、『それはひとつには、大方の「即興」と呼ばれるものが、一回性や生成変化を標榜しながら、実際にはもはや、一種の「芸」と化しており、ルーティン化されたテクニックと安直なコミュニケーションの反復へと堕しているということだった。つまり、なるほどそれは「再現」ではないかもしれないが、いわば「再演」なのである。そこには「確認」と「想起」ばかりが蔓延しており、「発見」や「驚愕」はほとんど存在していない。』(振動する「意志」と明滅する「自己」〜フィラメントをめぐって)(*12)かつての撮影所システム的な規範の只中で行われる「即興」と、すでに即興的手法が一般化した後のそれは、別のものなのである。というより今では、産業としての映画の、資本主義的な原理によって、「即興とそれ以外」が横並びになったということだろうか。単純には映像の趣味の違いでしかない。先にあげたように、黒沢清はすでにカサヴェテス的手法を相対化してしまっている。例えば、阿部和重は「アメリカの影」から約20年後に撮られた1977年の「オープニング・ナイト」では、リアリティを生成する(かのような)技法に関して、すでにカサヴェテスの自己言及的批判が起こっていると指摘している。演劇の内幕を描いた「オープニング・ナイト」では、劇中演劇の「即興」場面での不測の事態や、目的を果たすことの困難といった「ドキュメンタリー性=真実性」自体が演出によって芝居の筋書きに書き込まれているということが示されている。ここでは、カサヴェテス自身によって映画のリアリティは「作り上げられた」ものだという事実が、露わにされている。(カサヴェテスのメタフィクション的試み)(*13)
 今や、映画史におけるドキュメンタリーとフィクションと「現実」をめぐる議論は飽和状態に達しているといっていい。(ネオリアリズモ、ニューシネマにおける劇映画への現実の侵入、あるいはシネマ・ヴェリテから近年のプライベート・ドキュメンタリー論争に到る現実を写し出す政治性、スピルバーグとランズマンのホロコーストの表象不可能性の対立、等々)そこにあるのは、映像にとってリアルとは何か?というきわめて本質的な問題である。「アメリカの影」は「フィクションのドキュメンタリー化」によって「感情の真実性」を獲得し、「リアル」な、映画史を揺り動かす力を持ちえたが、それ以降ドキュメンタリー的に撮られた映画が必ずしも「リアル」とは限らない。この「リアル」さは、徹底してカメラというテクノロジーに媒介された「映像」の操作により作り上げられたものであり、単に現実の正確な再現を目指したものではない。だからそこで問われているのはいずれにせよリアルらしさ、「リアリティ」である。厳密なカメラ・ワークより俳優の感情表現を重視した「カメラ・ワークのインプロヴァイズ」で起こっていた「無造作」という操作は、後に「無造作という操作」として様式化されることにより、リアリティを失っていくわけだ。いわば、ヴァルター・ベンヤミンが主張したように「複製技術時代の芸術」である映画に代表されるメディア・テクノロジーの登場は、それまでの人間の知覚の在り方を書き換える。「ぼくらはカメラによって初めて、無意識の視覚を体験する。」したがって、ここにはメディア・テクノロジーの変化によってイメージのリアリティの条件も移り変わるという単純な事実も含まれている。「だからこそ映画による現実の描写は、現代人にとって、比類なく重要なのである。というのも、機構から解放された現実を見る視点を、現代人は芸術作品から要求してよいわけだが、その視点は、機構を利用した映画による徹底的な浸透に依拠しない限り、得られはしないのだから。」ベンヤミンの主張を踏まえれば、メディア・テクノロジーに浸透された現代人が「現実」を見る視点へと辿り着くためには、それらを「革命的に」コントロールしていくしかない。ここでいうコントロールとは、技術/手法の正しい使用であると同時に、正しくない使用、つまり批判的な使用でもある。カサヴェテスの「カメラ・インプロヴィゼーション」が、ハリウッド映画のメジャーな体制への疑いであったように。「機械から自由に現実を見る視点は、ここでは人工的なものに転化している。直接の現実の眺めは、技術の国の青い花となったのだ。」(複製技術時代の芸術作品)(*14)
 かつてカサヴェテスは、俳優の「感情的真実」を媒介する機械=カメラを革命的にコントロールすることで、映画に新たなリアリティを吹き込むことに成功した。このような彼の戦いはその後、80年代にヴィデオを導入した映画作家ロブ・ニルソンによって直接受け継がれている。『既にカサヴェテスの映画で、私たちは何度となくこうしたエ/モーションに出くわしてきた。しかしニルソンの「感情=運動」は、カサヴェテスのそれにはなかったある特性を持っている。それは「映画」のように、見ているそばから過ぎさって行くのではなく、寧ろ「ヴィデオテープ」のように(そして作中で重要な役割を演じる留守番電話のように?)何度も巻き戻して再生することの出来るものなのである。「ヒート&サンライト」では、ロッセリーニ=カサヴェテス的な「実在」のフィルミングと共に、本来は一回的なものである筈の「感情=運動」のレコーディングが成されているのだ。可逆性を持ち、しかも可変速のエ/モーション。この時、ニルソンは恐らくカサヴェテスの一歩先へ踏み出した。なぜならそこでは、比類のない力で「リアル」を露呈させつつ、同時にそれが疑われてもいるのだから』(SLOW (e)MOTION ロブ・ニルソン論)(*15)そして、現在その系譜に連なるといえるのが、同じくニューヨークから登場した映画作家、ハーモニー・コリンである。ニューヨーク郊外の盲学校や教会やアイス・スケート場の片隅で、非・俳優をまじえて撮影された「ジュリアン」(1999年)では、精神病を抱えた青年とその家族の日常が、デジタル・カメラの機動性を縦横無尽に駆使し、大胆にデジタル処理によって加工された、疑似ドキュメンタリーという閉域を突き破った、このうえなくエモーショナルな光景として切り取られている。9台もの小型カメラが飛び回るようにしてリズミカルに写し出す、デジタル・ヴィデオ特有の奇妙に虚ろでペラペラな顔たちは、カサヴェテス以降未踏の「感情的真実」を開拓している。この映画ではデジタル・カメラを巧みに使いこなすことと、映画の美しさは矛盾していない。もちろんフィルムという媒体が圧倒的に豊かな「光」の権威を誇っていることは言うまでもないが、映画のデジタル化が映画の質を落とすことになるのは、映画=フィルムという規範が十分に乗り越えられていないからではないか?(しかし現在のハーモニー・コリンの沈黙を思うと、死ぬまでインディペンデントな場所で果敢に戦い続けたカサヴェテスの強靭さに驚かざるをえない。)かつてゴダールは、映画とは一言で表せば美しい感情の表現だ、と言ったが、ここでは現実の生活に根付く微細な感情をイメージによって切り出すために、「繊細かつ乱暴に」小さな新しい機械=デジタル・カメラを操作する苦闘が、生々しいエモーションを生成する機能を果たしている。彼らは映画=エモーションを更新するためにこそ、カメラというメディア・テクノロジーと戦っているのだ。(*16)
 写真/映画を問わず、とりわけ映像表現に顕著な、表現と技術とリアリティをめぐるこのような問題は決して過去のものになったわけではなく、映像表現の技術的環境がヴィデオ、CG、映像/音響プログラミング・ソフト(MAX/MSP/JITTERなど)に代表されるデジタル・テクノロジーの台頭によって大きく変動してしまった現在でも、なお探求されるべき課題である。カメラが出会う新しい「現実」へと向けて、私たちは「撮ること=見ること」を鍛え続けなければならないだろう。カサヴェテスはハリウッド映画からカメラという武器を自分の手に奪い返すことで、つまり「見ること=撮ること」を取り戻すことで、新たなイメージをつくりだすことができた。俳優たちの生きた「感情的真実=リアリティ」をカメラでえぐり出すこと。ジョン・カサヴェテスという映画作家が挑んだのはこのような課題であり、それはまず、「一つの正しい視線」によって統合されたハリウッド映画のフレームの体制への抵抗として組織されていた。そこでカサヴェテスがおこなった「カメラ・ワークのインプロヴァイズ」とは、既成のイメージを切り崩し、感情的真実を捕まえるための、イメージの彼方のリアルに近付くための無謀な戦略(なぜなら映像がリアルに到達することは原理的に不可能だから)だったといえる。カサヴェテスのカメラ・インプロヴィゼーション=メディア・テクノロジーへの介入が、イメージにリアリティを与えたのはなぜか?私はこのような問いの周りをぐるぐる回ってしまっている。おそらく、その違いは、カメラ=視線を向ける対象との関係性が成立しているかどうか、だろうか?到達不可能な現実=他者の存在へと、撮ること=見ることが向かっている限りは、映画と「現実」との距離は失われないのではないか。(佐々木敦が分析したような、『宙吊りになった「他」の空間、「他者」による「他者」の現前化』。)このような「現実」=他者に対して、映画は「撮ること=見ること」の限界に突き当たり、即興的なカメラ・ワークは「ノイズ」の方へと空転するしかない。疑似ドキュメンタリーでは「現実」=他者が消え、撮ること=見ることは様式的なイメージに収まってしまうだろう。カサヴェテスの場合は、妻であるジーナ・ローランズや、友人であるピーター・フォーク、時にはカサヴェテス自身の俳優という具体的な「他者」とのコミュニケーションが、彼らの「顔」にはらまれる「力」こそが、その「リアリティ」を保障する機能を果たしていた……。カサヴェテスの「現実」を賭けたカメラとの戦いのダイナミズムは、ここまでの説明で明らかになったのだろうか?私はすでにメディア・テクノロジーの媒介に還元できない映画の「力」=エモーション=リアリティについて考えはじめてしまっている。このような方向自体がある種の袋小路だったのかもしれない。カメラ対世界の存在論……。この戦いは、映画が「現実」を媒介するカメラを相手にしなければならない限り、まだ続いている。

*1 レイ・カーニー編「ジョン・カサヴェテスは語る」、幻冬舎 
*2 黒沢清「映画はおそろしい」、青土社
*3 「ジョン・カサヴェテスは語る」
*4 余談だが、このような方法はロバート・フラハティが「極北のナヌーク」(1922年)というエスキモーを描いたドキュメンタリー映画で使ったものである。フラハティはエスキモーの人々と共同生活し、その体験から得られた観察をもとに彼らにエスキモーの日常生活を演じさせることで、映画に「リアリティ」をまとわせることに成功している。
*5 「ジョン・カサヴェテスは語る」
*6 蓮実重彦の指摘を参考にしている。「たしかに、視覚的な情報の満遍のない配置と画面の透明化を目指す美学的な要請との調和によって維持されてきた「ハリウッド的」なメディア性への配慮は、ここでは小気味よく無視されている。」(カサヴェテス「アメリカの影」、「映画に目が眩んで」中央公論社)
*7 アダム・シドニー編「アメリカの実験映画 <フィルム・カルチュア>映画論集」、フィルムアート社
*8 佐々木敦「ゴダール・レッスン あるいは最後から2番目の映画」、 フィルムアート社
*9 「ゴダール・レッスン あるいは最後から2番目の映画」 
*10 その延長として、「他者としてのカメラ」(=機械)による「凝視」という逆説的な可能性を最も過激に推し進めた成果が、例えばペドロ・コスタの「ヴァンダの部屋」(2000年)であろう。
*11 こういった手法でよく知られている映画は「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」や「ダンサー・イン・ザ・ダーク」である。疑似ドキュメンタリーではフィクションをドキュメンタリー的に(非・作為的に)撮るのではなく、ドキュメンタリーがフィクション的に(作為的に)撮られている。程度の差はあれ要はやらせということだが、そこではフィクションにリアリティを与える根拠となる「現実」の位置が消えてしまっている。「フィクションのドキュメンタリー化」が進んだ結果、「ドキュメンタリーのフィクション化」が起こる……。そもそも映像は現実の世界を写し取ったものである以上、少なからずドキュメンタリー(記録)的であり、しかしその「記録」映像自体もフレームという制約を受けたカメラに媒介されて作り出されたものであり、少なからずフィクション的である。映像は、現実と虚構のあいだに独自の世界を形づくっている。「疑似ドキュメンタリー」とは、カメラに写る現実、のフレーム外の「現実」など、映像という虚構には必要ないという開き直りなのかもしれない。これはいわゆる「イメージによる現実のスペクタクル化」なのだが、イメージによる現実のスペクタクル化-に抵抗するカメラ・ワークのインプロヴァイズ-がさらにスペクタクル化される、という込み入ったものである。「疑似ドキュメンタリー」問題について詳しくは「映画覚書 Vol.1」阿部和重・著を参照。
*12 佐々木敦「テクノイズ・マテリアリズム」、青土社
*13 阿部和重「映画覚書 Vol.1」、文藝春秋
*14 ヴァルター・ベンヤミン「ボードレール 他五編」、岩波文庫
*15 「ゴダール・レッスン あるいは最後から2番目の映画」
*16 このことは、カサヴェテスと同時期に商業映画とは無縁の場所で活動し、ニュー・アメリカン・シネマとも関わりのあった弧高のカメラ・インプロヴァイザー、スタン・ブラッケージと比較するとより興味深い。「現実」を撮る=見ることをめざした「カメラによるインプロヴィゼーション」の起源は、映画史上ではジガ・ヴェルトフの「カメラを持った男」(1929年)まで遡ることができるが、即興によるノイズに満ちた映画といっても、カサヴェテスが作劇=物語という制約をとどめた映画の「ロー・ファイ化」ならば、ブラッケージはフィクションでもドキュメンタリーでもない、詩的で断片的なイメージの散乱する「ノイズ・インプロヴィゼーションの全面化」だといえるだろう。(しかしブラッケージの場合、作家自身の神話的ともいえる強烈な観念性が作品単位の統一性を支えている)「ドッグ・スター・マン」(1964年)等の作品で彼がたどりついた即興撮影は俳優さえ必要としない、様式化不可能なほどラディカルなものだったが、やがて関心の対象がカメラ―フィルムによる撮影行為からカメラの技術的改造に向かい、最終的にフィルムそのものへの物質的介入へと行き着いている。

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