深田晃司『淵に立つ』

2016年11月3日(木)
 
 今週の横浜シネマジャック&ベティは深田晃司監督『淵に立つ』を観た。糸が切れたのになかなか沈まない凧のような際々なバランスで何の変哲もない平和な私鉄沿線の住宅街の一角に引っかかっているハードコア擬日常家族の行く末の転変を描く。線路と河岸が交差する近所の高架下の曲がり角の道で母親役の筒井真理子が信仰している神の信心の話題が出てからのテオレマ的展開がぼんやりとした予測を裏切られる鋭利な角度だった。 

 劇中時間内のライブで家が崩壊していく石井聰亙監督で小林よしのり原案の『逆噴射家族』(1984年)と違うのは、一命を取り留める不慮の惨事が起きてから8年の時間を挟んでも一向に丸く収まる気配がないという周到な残酷さ。他人への振る舞いは折り目正しいけど何をするのかわからない出所直後の浅野忠信が突然住み込みで同居する、という特殊な操作を加えた籠の中のマウス一家を実験観察しているような冷徹かつ執拗な手順の描写で抉ってくるので、冒頭の食卓の場面からメトロノームが正確に刻んでいた静かに不穏な時間の漂流が存分に掬い取られていてぐうの音も出ない。

 入江悠監督のイキウメ・前田知大による戯曲を映画化した『太陽』でも門脇麦の父役だった古舘寛治がそのまま自宅兼作業場の金属加工工場の社長になっている。
 特筆すべきは、3人家族が暮らす工場を飛び出した腐れ縁の旧友・八坂役の浅野忠信が道端で白い作業着のツナギの下から赤いシャツを覗かせる瞬間と、オルガンを演奏するのが得意な男の息子が絵を描くのが好きだったっていう血筋の設定がアンモラルな「好奇心」に変貌する脚本上の不協和音と響き合っているのが秀逸である。「普段と見え方が変わるから」……同じく浅野忠信が出演していてカンヌ映画祭の「ある視点」部門で受賞している『岸辺の旅』でもやっていた色調の演出が目覚しいのも奇遇な点。不透明に曇った河の流れのグレーや夜なべして赤いドレスを縫う手の動作が後半の伏線になる。

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