粗悪ビーツ/『川崎ミッドソウル』とLOCUST創刊号/渋革まろんと『This is America』/バッド・ジーニアス

2018年11月10日(土)

 多摩モノレール沿いに山を切り拓いたニュータウンオブニュータウンな風景が広がっている元小学校の校舎、が現在はデジタルハリウッド大学の撮影スタジオとして使われているロケ地で開催中の「CINRA」主催の文化祭に迷い込んだ。

 その校舎内で企画されていたのが、「郊外を、生き延びろ。」(Survive in Suburbia.)をテーマにした美術展『SURVIBIA!!』。キュレーターの中島晴矢が司会を務める関連トークイベント『死後の〈郊外〉—混住・ニュータウン・川崎—』では、2017年に新たに『郊外の果てへの旅/混住社会論』を刊行した登壇者の小田光雄が『ルポ川崎』を読んで深作欣二監督が「ヤクザになるかボクサーになるか」な環境に生きる港湾労働者のスラムを舞台にした1970年の映画『血染の代紋』を思い出したという話を喋っていた。ボクサーとラッパーを置き換えるとBAD HOP「Kawasaki Drift」の歌詞そのままなシナリオ。

 人口が急増する地域の一つ、武蔵小杉のタワーマンションとショッピングモールのラゾーナ川崎を境い目にした南北問題。そしてスルガ銀行の不正融資事件が氷山の一角なほどマンション経営の実態が見えない来たるべき日本版サブプライムローン危機から考える『〈郊外〉の誕生と死』。

 あと鉄道とデパートが空間的に接続された近代モデルが階級上昇志向の生活様式だったのに対し、自動車でショッピングモールに通う郊外文化はファッションセンターしまむらが支持を得たようにとにかく「安くて便利」が追求されるようになってどこまでもフラットという比較。

 京浜急行に乗ってコンビニとファミレスしかない住宅地(4年前に近所のツタヤとブックオフすら潰れた…)から映画館やレコード屋がある猥雑な黄金町方面に「降りる」ことで良くも悪くもサブカル化した自分のような人間にとっては地理的な実感と合わせて読める南北問題。

 音楽制作の傍ら犬と生活する川崎市中原区周辺の写真+映像が展示されていたSURVIBIA展で登場人物本人から入手した『ルポ川崎』の姉妹編、テキスト:磯部涼+写真:細倉真弓によるZINE『川崎ミッドソウル』は駅周辺の再開発で変容する「ふたつの顔」を辿り、元工場地帯で労働者の街・南部とニュータウンの病理を描くドラマ『岸辺のアルバム』の舞台にもなった「平坦で清潔な」北部が衝突・侵犯していく過程で生じた歪みの問題を抱えていると考察する。
 2015年に起きた中学生殺害事件が多摩川沿いに建つタワーマンションのすぐ隣の河川敷で起きたことと、その“被害者、加害者グループ共に、ネグレクトに近い家庭環境にあったことも問題視された”事件で逮捕された17歳から18歳の容疑者グループ3人の中にハーフの少年がいたという噂が飛び交ったことから駅前で排外主義を掲げたヘイト・デモが過激さを増していった、と取材の発端になった一連の経緯を振り返る前半では、川崎南部の工業地帯における、軍需産業を担っていた時代から“在日コリアンが定着した後は東南アジアや南米からの流入者が増加した”移民コミュニティが根付いていて地域の公共会館を拠点にして多文化共生を模索していた「市民運動の歴史」、そして“労働者の街としての川崎を体現していたロックンロール・バンド、キャロル”の系譜が付け加えられている。
 さらに後半で戦後の高度経済成長期に完成したばかりの平坦な街並を訪れて「ここで生まれた子はいったいどういう情感を持つんだろう」と「不穏なものを感じていた」脚本家の山田太一がドラマ『ふぞろいの林檎たち』を歌詞に引用するニュータウン育ちのシンガーソングライターが登場したことに驚いたというエピソードからの、小沢健二が“もともと60年代にイギリス北部の工業都市に住む若者たちが愛好したソウルミュージック”になぞらえて「川崎ノーザン・ソウル」と呼んだその系譜を託された“日本のラップ・ミュージックにおける不世出の鬼才”として焦点が当たるのがdodoのインタビュー。(※WEB版

 ラップが生み出す“もうひとつの人格”について「XXXテンタシオンだってラップをしていなかったら死ぬようなことはなかったわけですよね。ラップをするということは確実にリスクを上げるんですよ」とインタビューで語られていましたが、
 2018年にリリースされた『default』EPから最新作の「history」まで、人知れず楽曲を量産しているけど未だ正式なアルバムに纏められていないdodoのプレイリストはどれも鏡に向かって多重人格的問答をぶつぶつ呟いているような荒涼とした心象風景が深まるばかりの自虐的リリックが録音されている。のだがしかし、卑屈なキャラの屈折が極まると目覚ましくアクロバティックな押韻技術を発揮する言葉選びの特異さに意表を突かれる。

・“LOVEとHATEは姉妹”

 なおかつそこで切り取られている“日常の罪深さ”に相反して浄らかに研ぎ澄まされていくメロディーセンス、というようにアンビバレンツに継ぐアンビバレンツな魂の遍歴が胸を打つ郊外版地獄篇な孤高の宅録リズム&ブルース。レコーディングで使う部屋の名前は10GOQSTUDIO(天国スタジオ)……

“生きるってことは傷つけること
オレの行動で今後 が変わる奴もいるってこと
今日の午後 この頃気づいたわけじゃないけど
今じゃヘドが出る思い出もこうしてゲット
謝りに行かなきゃいけない
だけど戻らない絶対
彼の傷は癒えない、今更何も言えない
祟られるよ映画以外にも、それが神の願いなら
いやそれが俺の願い、俺の世界
(……)
なんでこうなったって思うこと、もう嫌だ
答えは一つなのに隠す、この世から
俺はただの偽善者、未だに済んでない清算
これも神の計画って思いはただの幻覚
HATE LOVEとHATE
HATE LOVEとHATE
今も残る頭にHAZE 出口がない ここは迷路
結局はただのオナニーけど黙って終わりにすることはできない
果たす役目、それしか他に”
(dodo – ya9ma)

 幻となったdodoのアルバムが然るべきレーベルからリリースされるまでしつこく言い続ける所存ですが、2016年の粗悪ビーツとのEP『FAKE』についてはここのベスト10の記事をどうぞ。で、粗悪興業で予約したらトラックメイカーの手形+サイン色紙付きで届いた粗悪ビーツの2ndアルバム『crude』は、ダウンテンポに引き延ばしたビートの隙間に久石譲色が強めの浮遊感のあるダーク・アンビエントなシンセの残響が揺蕩う瞑想的効果が作り込まれたトラックが並ぶ。
 フィーチャリング歌手の入江陽、徳利と歌寄りの曲から始まってだんだん「Say My Name」feat.Young Celeb Sicalaから怒気が昂ぶると関西弁に変化するfeat.Jin Doggの「Fall」でラップの圧が強まり、“稼ぎ方知らない/使い方知ってる Money/超・底辺でごめんね/無理して欲しくはない/頑張り屋は死んでく”と商業的フリースタイルバトルから脱落した「永久無職」の気だるいマインドに沈んでゆくonnen「Money」に続いてMinchanbabyが加わった「Leave Me Alone」、ドロドロに濁った流れに身を任せるままのダウナーな倦怠感は台本に書かれている通りだから諦めろと神学的運命論な境地に結実するdodoの 「Die Horn」がここでもエンディングテーマにふさわしい圧巻の咽び鳴くフロウ。
 これまでの日本語ラップ史が囚われてきた上下関係や身分階層制下克上レース(ハイ&ロウ…)よりも孤絶した脳内トリップを優先するという点で、(色々な速度制限解除が半合法化された環境である)LAでのレコーディングを敢行したゆるふわギャング『Mars Ice House Ⅱ』のあてどない無重力感とも通じるアルバム。

“俺らは飛んでるJAXA
地球を彷徨うAliens
発射したら止まらない奴が
リバース口から銀河
Very JAXA very JAXA
何が起きてるのかわからない
知らない
Alienかもしれない
発射したらもう止まらない
俺らは飛んでるJAXA
無重力superjaxa 無重力superjaxa
無重力superjaxa”(ゆるふわギャング「JAXA」)

2018年11月25日(日)

 あの批評再生塾3期を中心メンバーにして発足した「イナゴ集団による旅行×批評」がコンセプトの『LOCUST』創刊号を文学フリマ東京で入手。「目的地にメンバー全員で旅行に出かけ、その土地での体験をもとに批評を書く」千葉内房特集の元ネタは『ルポ川崎』と田原総一朗による1978年のルポ木更津(『塗りかえられる街の風景』)だったという論考が小川和キ「〈擬〉東京論:下町の発見」で、第1部の座談会では川崎の不良ラッパーが体現するリアリズムに氣志團やYOSHIKI(X JAPAN)の出身地である千葉が背負う「木更津のファンタジー」を対置する議論に発展している。そこでの“神奈川側のリアルサイドと千葉側のファンタジーサイド”という東京湾の対岸を考える設定から第2部の東京ディズニーリゾート特集につながる。

 各メンバーの論考および共同討議の中でも繰り返し「ルポと批評の違い」を強調する通りに、行って見て考えたこと=紀行文の複雑構造化が文体のレベルでさらに多層化されていてもはやその土地の第一印象の原形をとどめなくなっているほどの〈群れ〉を成しているロカストはイトウモの「五百羅漢→ジャック・ラカン」にしても、渋革まろんの「木更津駅前の倒立した狸像→折口信夫の芸能論」、伏見瞬の「『イッツ・ア・スモールワールド』の作曲家・シャーマン兄弟→OPN(移民二世的想像力)」にしても谷美里の「山崎公園の旧山崎医院跡地→光クラブ事件(を題材にした三島由紀夫『青の時代』)」にしても、その土地固有の記憶を遡るために呼び出す歴史的・文化論的言説が書き手ごとにそれぞれバラバラに食い違っているのも刺激的。なだけでなく、南島興による川村記念美術館〜東山魁夷記念館の解説など、それぞれの得意ジャンルから引き出された各スポットにまつわるカルチャーガイドが充実しているので、コンパクトな装丁を裏切る情報量が詰め込まれている。

 ところで気になったのは、第一部のロカスト共同討議『内房、擬態と混入のイマジネーション』の中で“貧困とアウトローとユースカルチャーを抜き出し、ひとつなぎにしている”『ルポ川崎』が記述する「抵抗の街」に対して、“それは東京の人が喜ぶような「抵抗」のイメージで、結果的にルポが「東京の欲望を反映する」構造になっている”のではないかという疑問が呈されているのだが、日本社会が抱える問題の縮図としてある街の取材対象にディストピア的情景を語らせる「スラム・ツーリズムの功罪」が、『ルポ川崎』の本文中でも磯部本人によって鋭く内省されていたのを単純に読み落としているのではないか。
※ちなみに「抵抗の街」としての川崎像は“ネグリ=ハートの言う「マルチチュード」を感じるんですよね。韓国系の人や他の国籍の人が混ざって住んでいる。だからこそ、そこに連帯が生まれ、差別に対する抵抗運動が起こったりする。グローバリズムの結果生まれた抵抗というものがマルチチュードだから、まさに川崎の例が当てはまる。”と要約されているのだが、「東京側が求める川崎像を描き出してしまっているのではないか」と括られているけど磯部涼は千葉県千葉市出身で確か『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』でも千葉県の工業地帯の風景について書いていたはず。

 サイゾーでの連載時は「番外編」の扱いだった「川崎論、あるいは対岸のリアリティ」では、1994年に岡崎京子が描いた『リバース・エッジ』の物語と重ね合わせて川崎の街で起きた一連の事件に見出される「暗い側面=彼らが巻き込まれる負の連鎖」は川に隔てられた「対岸の火事」なのか?と自問自答している。

 スラム・ツーリズムは、文字通り、スラム=貧困地域という、現在進行形で人々が生活している場所を訪れるため、たとえ慈善や学習のような目的があったとしても、より倫理的な問題が発生しやすくなる。(中略)
 もちろん、この連載にも同様の側面がある。また、それは何も編集部からのオーダーではなく、筆者が心の奥底に抱えているスラム・ツーリズム的な欲望の表出にほかならない。事実、世田谷から川崎に向かうために多摩川を渡るたび、自分が「今日の取材ではどんなヤバいことが起こるのだろうか」と興奮していることに気づくのだ。とはいえ、そのような欲望を一概に否定するわけでもないし、地元の不良少年の中には外部からの下世話な視線を内面化し、アイデンティティを形成している者も多いので、問題は入り組んでいる。それでも、当連載がいわゆるスラム・ツーリズムと違うのかどうかは、単に見物をして帰っていくのか、それとも、訪れた先のために何かをするのかにかかっているだろう。
(……)
 そして、筆者も対岸の火事を取材するため、何度も川を渡るうちに、その火を消す手伝いができないだろうかと考えるようになっていった。スラム・ツーリズムの気分で訪れていた場所は、“スラム”や“多文化地域”といった記号で捉えていた場所は、行きつけの店ができたり、友人ができたりすることによって、馴染みのある街になり、同時にそこで起きている問題は自分の普段の生活と地続きになっていった。いや、そもそも、こちらとあちらを隔てる“川”なんてものは存在しなかったのだ。
 もちろん、自分がまずやるべきなのは、書くことだ。…
(『ルポ川崎』の「INTERLUDE--川崎(リバーズ・エッジ)、あるいは対岸のリアリティ」より)

 ではなぜ、磯部は「ダークサイドばかりを強調する」と批判されるリスクを冒してまで“過酷な状況から抜け出すために死に物狂いになっている「対岸のリアリティ」”を書く必要があったのか。

 そういえば個人的にサイゾーで連載中の時に『ルポ川崎』を読んでいて、「貧困や差別に好奇の目を向けるスラム・ツーリズムの功罪」から連想したのが、『岬』『枯木灘』で小説家としての評価を得た直後の1977年の中上健次が自身の故郷である和歌山県の紀伊半島へと半年に及ぶ取材旅行を敢行して書いた『紀州 木の国・根の国物語』だった。
 「聖なるものの裏に賤なるものがあり、賤なるものの裏に聖なるものがある日本の文化のパターン」としての〈差別の構造〉を探る、「この日本において、差別が日本的自然の生み出すものであるなら、日本における小説の構造、文化の構造は同時に差別の構造でもあろう。」というテーゼが提起されるこのルポルタージュも事実が歪められているとしてそこに住んでいる当事者たちからの批判にさらされた。

 そして半島をまわる旅とは、当然、さまざまな自然とそれへの加工や反抗、折り合いを見聞きする旅である。観光用の名所旧蹟には一切、興味はない。私が知りたいのは、人が大声で語らないこと、人が他所者には口を閉ざすことである。
(『紀州』序章より)

 さらに序章では「何度も言うが単なる観光旅行でもないし、風土記でもない。むしろ、アメリカの作家ウィリアム・フォークナーが、ミシシッピ州ヨクナパトーファ、ジェファスンの地図をつくり、フォークナー所有と記す方法と似ている。」と取材の方針を立てているのだが、神話的想像力の「プリズム」を通して描き出される、表向きにはないことになっている「日本の文化のパターン=差別の構造」。中上は『紀州』を旅する過程で「差別とは、構造の事であり、その構造的差別は人の眼につきにくい。構造的差別の露呈する事はほとんどない。」という認識に至っている。

 なぜならこの作品は、通常の意味でのルポルタージュとするには、あまりに異質な手法で記されているからです。(……)「電波少年」なみのアポなし取材の連続で、ほとんど行き当たりばったりのようにすらみえます。
 かなりの分量を費やしている「空浜」や「同和船」差別に関する記述についても、事実無根であると地元住民から抗議され、中上は再取材した上でその抗議を受け入れています。しかしそれでも、中上は次のように書かずにはいられません。
「私の新たに知った事実は、こうである。差別事象、差別現象は存在しない。ただ構造的差別は現に在る、という事である。」
 ならば、構造的差別とは何でしょうか。
(……)
 ノンフィクションにもまた、物語の制度が及んでいると考えるなら、端正なノンフィクションの手法だけでは、差別の構造は取り出せなかったかもしれません。「差別」を語るのは、それほど難しいことなのです。それは当事者、非当事者を問いません。
 とりわけ、表向きには差別が禁じられた現代社会にあっては、当事者ですら「もはや差別は存在しない」と感じたり、発言したりしかねないからです。しかし、当事者が否定しているのだから差別は存在しない、などとみなすことは、これはこれで素朴な「当事者性という物語」への迎合にほかなりません。
 『紀州』を読めば、中上の中に、「差別」を凡庸な物語に回収したり、あるいは逆に普遍的な構造へとあっさりと抽象化して済ましてしまうことへの、きわめて強い抵抗があったことがわかります。
(……)
 してみると、『紀州』はもはや、単なる紀伊半島の人と風物を巡る、事実に忠実なルポルタージュなどではありえません。一個の小説機械を宿した作家が、さまざまな人々や風物と交感し関係し、その結果として、自らの身体に去来する印象や感情、物語の断片を自動筆記のように書き記していった、その記録にほかならないのです。
 つまり本書は、中上健次と紀州という土地が関係してゆくプロセスをめぐっての、きわめて忠実なノンフィクションなのではないでしょうか。 
(『紀州 木の国・根の国物語』角川文庫版の斎藤環による解説より)

 ところで話を戻すとTV局のBSスカパーが主催する『高校生ラップ選手権』で勝ち上がるまでのサクセスストーリーが「地元の悪い大人のしがらみからラップの才能を見出されて引っぱり上げられるしかなかった」少年達はストリートビジネスが忙しすぎて実は高校に行っている場合じゃなかった(!?、中学の卒業式が人生のピーク)……というように紹介されている、この連載の主役と言っていいグループ・BAD HOPは2014年にネット上のミックステープの形式でフリーアルバム『BADHOPBOX』を配信していた。
 そこに収録されている、文字通り吠えるようなドスの効いたMCスタイルのBark feat.Tiji jojoの「live in ikegami」に続いて「Buraku」という曲を続けて聴いてみると、どちらにも彼らが生まれ育った地名、臨海の京浜工業地帯に半島からの労働者が移り住んできたことから周辺の町からは「朝鮮部落」と呼ばれていた(『ルポ川崎』第3回より)池上町への愛憎がリリックに刻まれていることに気づく。
※ミュージックビデオも制作されていたが、放送禁止用語のコードに抵触するというコンプライアンス上の事情によるものかどうかは定かではないのだがYouTubeでは非公開になっている。現在この楽曲はラップの歌詞を共有するサイト・Geniusにリリックだけが記録されている。

“町 夢なんて無い 未来なんてfuckin’
Ready to die
少女は 先が不安でdive するために乗り越える金網
三番地のblockじゃ当たり前
気が付いたらもう朝になって 彷徨う部落の片隅
目を真っ赤にして溺れる快楽に 再確認する ここの町はheavy
警察みたく追ってくる金が そう敵(……)

[Hook]
未来が見えなくて震える 誰もが下を見つめてる
貧困に悩みながら生きる 希望も工場の煙に消える
Braku Boy,Braku Boy いつまでも 見えない何かに囚われてる
Braku Boy,Braku Boy いつの日か 抜け出すその時を夢に見る”
(Bark – Braku)

 今時ここまで地元の若者によって正面から一点突破なパンチラインが歌われたことがあっただろうか。かつて文芸評論を通して「被差別者としての部落民ではなく、絶対的な差異としての「部落民」ーー中上は自らそのような存在であろうとしたのである。」(絶対的な差異としての「部落民」 中上健次)と出身地域を「路地」と呼び換えて生涯その物語空間のモチーフに囚われ続けた小説家を評しており、差別表現の問題は表象=代行(イメージ)の力をめぐって「二重の闘争」にならざるをえない、と「賎」の美学化を批判している『「超」言葉狩り宣言』の絓秀実と『日本近代文学と〈差別〉』を書いた渡部直己に聴かせてみたいと数年前に思ったのは一旦置いて、日本の「部落差別」とアフリカ系アメリカ人にとっての「民族(人種)差別」はそもそも歴史からして異質なものだという留保付きで言うと、ラッパーの物語を生む原動力としての中上的な「差別」の問題がインターネット時代になってもバリバリ現役なのは確かである。
 なのだが、しかしジャパニーズ・ヒップホップを語る時にブラックミュージックの系譜を遡っていって1960年代のジャズ文化を背負っている中上健次の小説のイメージになぞらえることがしばしばあるけど、中上サーガの登場人物や主題系と平成生まれのラップの言葉とが具体的に何がどう通底して継承されているのか否かは意外とはっきりしていないので(“路地とゲットー”を直喩するコメント止まり)、今後の批評的な課題は残る。

 ここからしばらく日本語ラップ批評の話題へと脱線するので専門的な関心が薄い方は適宜飛ばしてください。一方のUSヒップホップの場合、アフリカ系アメリカ人が元々過去のBlack Lives Matter(1990年代に起きた白人警官による黒人青年への暴行事件の前後でそのテーマへの関心の流行り廃りはあれ)から来る人種差別への闘いを原動力としていたとすると、音楽シーンが日本人にとっての被差別部落(出自)の問題とそこまで向き合っているのか?というと疑問があり、「日本語ラップ史が闘ってきた政治的争点」はECDとライムスターとキングギドラetc.を比較するだけでもかなり違いがあってざっくり一括りにはできない上に、個々の地域やクルーごとに主張の特色が分かれると思いますが、これが『ルポ川崎』に登場するような日本語でラップする在日韓国人のアイデンティティの場合だとむしろわかりやすいわけです。
 『日本語ラップ批評ナイト』の第1回で韻踏み夫が般若の「家族 feat.KOHH」と中上健次の「地の果て 至上の時」を結びつけてコメントしていた他に、福島県いわき市小名浜出身の鬼の例みたいに血縁や出身地を直接主題化できるのは、磯部氏が2000年代後半になって積極的にメディアで取り上げていたハスリング・ラップが登場して以降の傾向で、それまでの日本語ラッパーはもっと見えにくいアブストラクトなものと闘っていた気がする。
※これに関しては、“日本のラッパーのパイオニアたちの多くが、米国のヒップホップ・アーティストの中でも、ハードな「問題」よりも「日常」にラップの題材を求めた、いわゆる「ネイティヴ・タン」にシンパシーを感じていったのは当然のことである。端的にいって、彼らはそうするしかなかったのだ。”と「日本のヒップホップ」の言葉が抱え込む空虚を聴き取る佐々木敦の日本語ラップ論『微かな抵抗としてのヒップホップ』も参照。

 2016年に出た『ユリイカ』日本語ラップ特集に載っている磯部涼と大和田俊之の対談では、日本のB-Boyたちの「黒人になりたい!」というモチベーションがねじれた結果一時期のZeebraが保守系論者の小林よしのりに接近して「『ゴーマニズム宣言』はパブリック・エナミーだと思う」と発言していたような、「80年代のアフリカ系アメリカ人の若者たちが自分たちの歴史に向き合ったのに影響されて、彼は日本人は日本の文化に向き合わなくてはいけないと考えるようになり、その果てに“日本語ラップの右傾化”みたいに言われる現象が起こった」と磯部が分析する「ヤンキー文化」的な流れの危うさについて大和田俊之がこう言っていた。

 ただそれはそもそもアメリカ社会におけるアフリカ系アメリカ人のポジションを決定的に見落としているというか、ブラック・ナショナリズムはいわばマイノリティの戦略的本質主義なので、それを日本のマジョリティの保守思想と混同してはならないという大前提は押さえておかなければならないと思います。その上で、日本が今でも実質的にはアメリカに占領されているという現状認識に立つとすれば、たしかにアフリカ系アメリカ人と日本人をパラレルに思考することは不可能ではないというか。(日本語ラップ批評の現在)

 それに続いて、K DUB SHINE×牛田悦正の対談では司会の磯部涼からこのような指摘がなされている。

--ただ、日本においては日本人がマジョリティなんじゃないかとも思うんです。日本の中にも、日本人に抑圧されている民族的マイノリティはいて。それについて考えると、アフリカン・アメリカンを、日本人に置き換えると歪みが生じませんでしょうか?
Kダブ あるいは、地球という枠で考えても良いよ。
--なるほど。Kダブさんはあくまでも白人至上主義が蔓延した“ホワイト・プラネット”というスケールでもって考えているわけですね。
(……)
--ラップミュージックには社会の映し鏡のような側面があって。だからこそ、アメリカのラップにも暴力やドラッグやミソジニーの問題が入り込んでしまうんだと思うんですが、翻って、ラップが変われば社会が変わるんじゃないでしょうか
 一方で、ラップにおける政治性にはふた通りあるようにも思います。ひとつは、Kダブさんがそうしてきたように直接的に政治についてラップするということ。あるいは、牛田さんがそうしてきたように、ラッパーが政治運動に参加するということ。そして、もうひとつ、図らずも政治性を孕んでしまうというパターンもあります。前者の代表がパブリック・エナミー、後者の代表がN.W.A.と言っていかもしれません。N.W.A.は、もともと、政治的なグループではなくて、むしろ、ギャングのライフスタイルを偽悪的なエンターテインメントに仕立てあげたところが、政治的な議論を呼んだわけですよね。また、個人的な見解としては、後者こそがラップミュージックの個性なのではないかと。
牛田 僕も後者が好きなんです。というか、ヒップホップが光るのは後者なんです。
Kダブ オレは根っこはひとつだと思うよ。ストリートは政治の皺寄せの果てみたいなところがあるから、どうしても、社会の不完全な部分が見えやすくて、N.W.A.みたいなものが生まれてくるんじゃないかな。
牛田 そうですよね。N.W.A.が歌っていることは、「自分たちが置かれている状況はこんなに悲惨だぞ」っていうことで。そういうものって、国は隠したがる。だからこそ、「オレたちはここにいるぞ!」と叫ぶことで、問題を浮上させることが出来る。
--そういう意味では、初期のスチャダラパーが、例えば『WILD FANCY ALLIANCE』(1993年)でやったように、徹底して日本のモラトリアムな状況を歌うということも、凄く政治的に思えるんです。
Kダブ オレのヒップホップ知識から言わせてもらうと、その頃のスチャダラパーはヒップホップというよりもラップミュージックに感じた。そして、申し訳ないけど、キングギドラが出てくるまで、日本のヒップホップはただのラップミュージックだったと思っていた。特にあの頃は、「コミュニティ意識だとか、社会に対する変革意識だとかがないとヒップホップとは言えない」と考えていたから、そういうことに無関心な奴らは非建設的だなって、舐めてたね。(系譜の意識--インディペンデント精神と民主主義)

 2018年5月に刊行した『アラザル VOL.11』に掲載の映画評『大和(カリフォルニア)』とも関連するので長めに引用させていただいたが、唐突に本題をまとめよう。
 以上のように、2015年に伝記映画化もされたため“ギャングのライフスタイルを偽悪的なエンターテインメントに仕立てあげた”ラップは必ずしも写実的なドキュメント一辺倒ではなく、治安の悪い近所にたむろする「他人=本物のギャングスタから聞いた話」を自在にサンプリングしていく「作り話」的話芸の賜物だったことが判明しているN.W.A.の『ストレイト・アウタ・コンプトン』から約30年後にセカンドアルバム『Mobb Life』を完成させたBAD HOPに所属するBarkがラッパーとして「警察すら調べない無法地帯のエリア」を幻視する、半分幻影と踵を接しているように思える表現によって「見えない何かに囚われてる」と直感した「地域の隠れた差別構造」を言い換えると、平等にフラット化をもたらす再開発計画の皺寄せとして都市の一部がスラムを形成する力学であろう。以前言語化を試みたことがあるが、「ラップでしか結晶しない都市の多面性」が映し出されているのはNORIKIYO&BESの「2FACE」を聴いてください。

 さて前置きが長くなってしまったが、おそらくはもう一方の参照元である東浩紀『観光客の哲学』をベースにしたロカストの「ルポと批評は違う」という基本方針は、小川和キによる論考のこの部分に凝縮されている。

 言説のレベルにおいて、東京湾沿いの土地が都市の下層というカテゴリーから解かれ、理解される。これこそが、筆者の提案したい新たな都市文化批評、「下町」論に他ならない。都市の一部分としての「下町」は、必ずしも暗い雰囲気を一辺倒に纏った静的な場所ではない。むしろ有機的で自立的な小街がざわめく動的な場所でもある。
 これまで、東京湾沿いを舞台にしたルポルタージュは都市の下層性を強調していた。しかし「下層」であることを強調するために、東京の欲望に対して様々な方法で対処していく「下町」のダイナミズムと多様性は言説から失われることになったのだ。カウンターの性質、あるいはその変化を土地の特徴として発見するのではなく、下層から生まれるカウンターの様を固定された像として描写することに終始してしまう。
 (……)都市の下層としてではなく、自立的、有機的に都市との水平な関係を持つ土地。都市部の影響を独特な形で受けながら、かつ都市の内部に潜在していた不思議な土地。東京からの影響を自覚的に利用する(都市に対して能動的な態度を持つ)存在として土地を捉えていくこと。
 そして、そのために必要な読み替えのプロセスには、対象から距離を保ったメタな視点が必要とされる。これこそが批評にしかできないことであり、こうして「下町」論は批評に接近するのである。
(小川和キ『〈擬〉東京論:下町の発見 〜ルポ木更津を読む〜』)

 おそらくこれは「ルポはルポとしてジャンルの区別/法則に従って読む」と「ルポだろうが批評だろうが同じく書かれたものとして読む」というスタンスの違いから来るものかもしれないが、「社会実験」を冠した県知事の政策によって3000円以上かかっていた通行料が大幅に値下げされた2009年以降、アクアラインの交通量が倍増し、頻繁に橋を渡ることができるようになったという身近な変化から小川和キが“「東京湾」の力によって、千葉県や神奈川県との区切りは半ば溶けているようなところがある。”と提示する下層(地方都市)と中央(東京)のヒエラルキーを更新する擬-東京論と、『アフター・ルポ川崎』で郊外(の病理から生まれる音楽・文化)論との緊張関係が炙り出された南/北問題を並べてみると、新たに議論が組み立て直されるはずだ。

 ついでに年末の義として振り返りつつ寄り道すると「サイゾー」2018年4月号では東浩紀と磯部涼の対談『貧困地域を観光するのはタブーか? “スラム・ツーリズム”の本質と功罪』が行われている。

東 パキスタンで思い出したのですが、昔、日本人バックパッカーのインド旅行がはやりましたよね。あの一部は暴力的なスラム・ツーリズムだったと思います。自分探しのために、現地のスラムを見物したりする。そこに住んでいる人を、自分を鍛えるために利用しているだけなんですよ。
磯部 最近だと、『クレイジージャーニー』(TBS系)という“秘境”を訪れる旅番組が人気ですが、回によって下世話なスラム・ツーリズムになっています。
(……)
 『ルポ川崎』の良い点は、“当事者”自身が声を上げているところ。往々にして、「スラムの住人は声を上げられない」と捉えられがちですよね。だから、ジャーナリストが現地に赴き、その惨状を“書いてあげる”と言う姿勢のノンフィクションが多い。しかし、この本は、ラッパーをはじめ川崎のアーティストたちの表現に尊敬の念を持ち、その背景について聞こうとしている。そのスタンスが大事なんですよ。ここで引き合いに出したいのが、小説家の中上健次です。表現者として優れている彼を理解しようと思ったら、やはり“路地(中上のルーツである被差別部落)”が見たくなる。僕も見に行きました。でも、それは差別的なツーリズムではないと思う。このように“当事者”が何を表現しているかを出発点にすることが、堕落したスラム・ツーリズムを回避するひとつの手立てになるのではないでしょうか。
 表現の場ということでいえば、僕は五反田で文系・理系問わず論客がトークを繰り広げるイベントスペース「ゲンロンカフェ」を運営しているのですが、五反田はものを考えるのに向いているんですよ。あの街は風俗街というイメージがある一方で、近辺には池田山(東五反田5丁目)という美智子皇后の実家がある超高級住宅地もあり、街の正体がよくわかりません。でも、だからこそダイナミズムがあると思う。深夜までトークショーを開いているイベントスペースも、風俗嬢が行き交う場所も、“真っ当”な勤め人から見れば、同じようにあやしいものかもしれませんけど、そうした雑多な環境だからこそ、思想もアートも生まれる。その意味では、川崎も似たところがあるんじゃないかな。
磯部 『ルポ川崎』について、「川崎区だけが貧困や差別の問題を抱えているわけではない」といった意見をときどき聞くんですが、もちろんそうで、ただ、川崎区の特徴として凝縮性がかなり高いということはいえると思うんですね。それは東さんの言い方だとダイナミズムがある、ということになる。ショッピングモール、風俗街、ドヤ街、多文化地区、工場群……狭いエリアにそれだけさまざまな側面があるわけです。(『サイゾー』2018年4月号より)

2018年12月11日(火)

 批評再生塾第3期の最優秀賞を受賞した渋革まろんの論文『チェルフィッチュ(ズ)の系譜学--新しい〈群れ〉について』が主任講師の佐々木敦による“ここで彼が素描しつつある「新しい〈群れ〉」は、山縣太一という特権的な存在も、舞台芸術という範疇をもはるかに超えて、社会や国家の次元にまで敷衍される、来るべき共同体のモデルとなり得るようなポテンシャルを湛えている。”とコメントする解説「来るべき演劇批評のルネッサンスに向かって」と合わせて『ゲンロン9』に掲載されているので読了したその途端に何やらわたしの脳内では山縣太一を飛び越えて、『This is America』のチャイルディッシュ・ガンビーノの暗号的に黒人表象が寸断・パッチワークされたダンスも何かになり損ねた群生するモノ達のうごめきとして捉えたくなってきたので報告します。

 「デタラメに群生する身振り」によって“間違えうることの悲惨と驚きを一身に受け止めようとしているように見える”山縣太一たち(=オフィスマウンテン)と、「金を稼ぐんだ、黒人として生まれたなら」「ディスイズアメリカ、何をやらかしても捕まるなよ」と憑かれたようにリフレインするチャイルディッシュ・ガンビーノの共鳴。

“お前はただの黒人だ/ただのバーコードでしかない/高価な外国製を乗り回してるだけの/お前はただのデカイ犬さ”
【洋楽歌詞和訳】This Is America / Childish Gambino

 閉ざされた空間で何かに追われるガンビーノの半裸の身体にアフリカ人音楽家=フェラ・クティの映像、19世紀の大衆演劇として南北戦争以前に盛んだった白人が黒人奴隷の物真似をするミンストレル・ショーのキャラクター=ジム・クロウ、類人猿のゴリラとゲリラの襲撃のダジャレ、煙草を一服する労働者、最近のクラブで流行っている振り付け(Shoot Dance)、ストリートで新たなスペクタクルとなる銃撃戦などが次々にとり憑いて彼の表情が分裂していく『This is America』と『アトランタ』については2018年の出来事を総括するアラザル増刊号の中で途中まで書きました。

・参考:FNMNLのコラム『Childish Gambino - "This Is America" | アメリカからは逃げられない

 結果的に今年最後に映画館で観た作品はイメージフォーラムのロブ=グリエ特集の『快楽の漸進的横滑り』でしたが、その前にイオンシネマみなとみらいで観たのがナタウット・プーンピリヤ監督『バッド・ジーニアス』。タイの高校生のあいだでも情報技術でつながる仮想空間を経由したカウンター的連帯がグローバル化しているのがわかるキラキラ映画(※いわゆる漫画原作+イケメン俳優主演で中高生向けに様式化された、シネコンの経営を支えるライフライン的ジャンル)なのだが、そのキラキラ世界が裏口入学と賄賂塗れでズブズブな金の力で成り立っていることを暴くのが貧しい教師の子で成績上位者が受けられる奨学金特待生として迷い込んでしまった主人公のリン。

 過酷な貧富の差に対する階級闘争という反骨のテーマをスタイリッシュな青春サスペンスコメディへと移植する痛快さと、ガール⇄ボーイの性別が逆転したイエジー・スコリモフスキみたいなラストの痛切な傷心も含めてタイランド・ニューシネマ。タイの映画界ではニューシネマ運動がいつ始まって今第何世代なのかはわかりませんが……。

 元々モデル活動をしていて主演に起用されたジョンジャルーンスックジンが、最初は怖気づいた転校生だった冒頭場面から恋愛とパーティと芸能活動にうつつを抜かす富裕層のドラ息子&娘を頭脳の優秀さだけで手玉に取るにつれてどんどん精悍に垢抜けていく劇中での変貌の過程も見所。

 留学生資格試験を通過するために実家の印刷工場の生産ラインをハッキングしてバーコード式の秘密兵器を密輸するスマホとSNSとマックブックの連携作戦、ここでも身分や出自の境界を超えて地元のしがらみから抜け出すための協働、の儚く短命に散っていく瞬間的な凝集性が描かれていたのだった。

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