推し曲のダンプラが世に出ない

 CHIPSのダンスプラクティス動画が世に出ない。

 CHIPSとは4人組ボーイズグループ、TOZのデビューアルバムに収録されている良すぎ曲である。十代の少年の恋心を賭け事にたとえて歌い上げたダンサブルなメロディが魅力で、キャッチーなコレオ、バチイケのダンスブレイクには目を奪われること間違いなしである。

 以前CHIPSについて熱く語るだけのnoteを書いたのでここに貼っておこう。

 読んでも読まなくてもよいが、とにかく私のCHIPSに対する熱量はわかってもらえただろう。歌詞やメロディもさることながら、ダンスが良いのである。

 のに、ダンスプラクティス動画が出ない。

 K-popを知らない方のために説明しておくと、ダンスプラクティス略してダンプラとは読んで字のごとくダンスの練習風景を映した動画だ。事務所にもよるが固定カメラで撮られることが多く、パフォーマンスの全景が確認できる。すべての曲のダンプラが世に出るわけではないが、タイトル曲(リード曲)のダンプラは公開されることが多い。

 しかし残念ながら、CHIPSはタイトル曲ではない。

 あのグレイテストチューンがタイトル曲ではないのは甚だ信じがたい事実だが、実際のタイトル曲であるMagic Hourも負けず劣らずワンダフルチューンなのでそこは認めよう。

 が、タイトル曲でないからと言ってダンプラが出ないとは限らない。現にTOZのデビューアルバムからはMagic HourのほかにDUNKのダンプラが公開されている。ダンプラを出すか出さないかは事務所のさじ加減だ。出そうと思えばどんな曲のダンプラでも出せるのである。

 つまり、TOZの所属事務所YYエンタはCHIPSのダンプラを出す気がないのである。なぜ?

 なぜ?

 あのウルトラスペシャルグレイテストチューンのダンプラを、何故出さない?

 CHIPSはタイトル曲ではない。だからMVもない。TOZは韓国デビューしていないから音楽番組でも披露していない。その上ダンプラがない、ということは、公式からパフォーマンス動画が上がっていないということである。

 公式から!! パフォーマンス動画が!! 上がっていないということなのである!!!!

 このような蛮行許せようか。暴君ネロが民に強いたがごとき過酷な仕打ちである。

 ダンプラとは、ダンスを味わい尽くすためには必須の動画。全景が映っているから群舞のそろい具合もわかる。フォーメーションの妙も楽しめる。一人をじっくり見る分にはチッケムに劣るが、それぞれのパーツが組み合わさって作り上げられた一つの芸術作品を見渡すことができるのは何にも代えがたい喜びである。ていうかそもそも音楽番組出てないからチッケムもないし。

 なのにそのダンプラがない。パフォーマンス動画がひとつも、ない。今のところCHIPS関連で存在しているのは、TOZがファンサイン会で踊ったものをファンが撮影した動画だけだ。もちろんこれが存在するだけでありがたく、額を床にこすりつけて拝む勢いなのだが、しかしこれは小物を持っていたり小物が飛んでいったり力を抜いて踊っていたりして、本気のパフォーマンスではない。

 TOZが本気で踊ったCHIPSはどこにも存在していない。そのことを思いだすたび私は悲しみに悶え、部屋の床をごろごろと転がり、雄たけびを上げ、しまいにはキングギドラになって光線で梅田一帯を火の海にしてしまうのである。もはやゴジラにも止められない。

 しかし、真剣な話、なぜあのミラクルダンサブルドリーミーチューンのダンプラを出さないのか。考えられるのはひとつだけである。

 彼らが韓国デビューする暁には、CHIPSがタイトル曲になるのだ。

 まずコンセプトフォトが公開されるだろう。少年らしい爽やかな装いだろうか、もしくは賭け事を思わせる大人びたシックなたたずまいかもしれない。小物やセットにもきっと凝っていることだろう。

 そしてティザーが上がる。これはあくまで予測だが、おそらくアントニーがディーラーに扮してカードを投げるシーンがある。イケメンとポーカーと言えばカード投げだからである。そしてユウトはタイトルにもなっているチップの山の中で不敵に微笑んでいるに違いない。手札はもちろんロイヤルストレートフラッシュだ。ハルトとタクトはたぶんかっこよくババ抜きをしていると思う。

 デビュー当日には晴れてCHIPSのMVが公開される。カジノのようなラグジュアリーなコンセプトと少年の心情に沿ったカラフルでポップな世界観の交錯するMVは、全世界の老若男女を虜にし一億回再生される。

 その数日後、ついにCHIPSのダンスプラクティスが世に出されることになるのである。今CHIPSのダンプラを出さないのは、そのときまで温めているからにほかならない。

 そう考えれば、ダンプラが出ないのもうなずける。私たちは待たねばならないのだ。そう遠くないはずのその日を。クリスマスを待つ子どものように純粋な気持ちで待つのみである。

 信じるものは救われるのだ。ラドンも、いやTOZもそうだそうだと言ってくれている気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?