ヨクジョウ【創作】

部屋に戻ると、薄暗かった。ポロンと寂しげに響くアコースティックギターのアルペジオが響く。思わず後ろからぎゅっと抱きしめて、「ただいま」と呟く。ギターの音はすぐに消え、抱きしめた長身の男は私を捉えると「おかえり」と呟いた。嬉しくなってキスをせがむ。だけど、それは聞き入れられなかった。そのままギターを置いた手で腕を掴まれ、風呂場に押し込まれる。服を着たまま、冷たいシャワーを浴びせられる。焦る私と少し罪悪感を含んだ男の顔が風呂場の鏡に映る。静寂から生み出される、噛みつくようなキスによって生まれる唾液か段々と湯気が上がっていくシャワーの水滴か、どちらかはわからないけれど、水滴が落ちる。嗚呼、鏡が見えなくなった。段々痛みと深みを増すキスマークに快楽が乗ってくる。理性がまだだと焦る。悦く蒸気した顔が私を覗く。控えめで細く、優しい、いつも慈愛を讃えている瞳が一抹の発狂を取り込んで、その先の人間を映す。加虐、圧迫、緊縛、呪縛、色情。それらがいっそ憎らしいほど私の身体に巻きつかれた理性を剥ぎ取って貫いていく。

それにしても愛情とはあまりにも机上論でありながら理想論ではあるまいか。たった唇と唇が、舌と舌が、重なり合うというそれだけの儀式に、誠実な男の仮面の裏、その一抹の発狂が見出されてしまう。接吻ごとき、抱擁ごときがなんだ。そう思う。リップ音が響く浴場は、今日も私と男の化かし合い。濡れた髪の毛はずるずると蛇になり螺旋状に滑落していく。徐々に脱がされていく服は最期の処女という理性が生み出す矜持で、それは男からすると必要のないものらしい。それにしたってその暴力性は人間の欠陥であるような気がするのだが世間はそれを認めない。物事はそんなに白黒がつくものなのだろうか。まあ、そんなに社会は単純化されていないが複雑化もされていないということなのかもしれない。

男が私のブラホックに手をかけた。じっと見つめた男の瞳の奥には厭らしいというには高尚で、可愛いというには低俗すぎる闇が垣間見える。純粋と乙女と淫乱と情欲が己を食らいつくしていた。

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