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内発的動機づけには限界があるのかも

内発的動機づけには限界があるのかもしれない

内発的動機づけとは、自分の内部にある動機づけ(モチベーション)のことだ
楽しいとか好きとかいう感情がこれにあたる

対義語は外発的動機づけで、自分の外部にある動機づけのことだ
お金や他人からの承認はこれにあたる

一般的に、外発的動機づけは長期的にはやる気を削ぐ
仕事などではお金を報酬とするのが普通だが、人の精神には悪い影響ももたらす

そんなわけで、自分は大人になってから、できるだけ内発的動機づけで行動しようとしてきた
こどもの頃は周りの期待に応えることが生き甲斐で、常に外発的動機づけで行動していたからだ

好きなことや楽しいことに時間を割いてきた
ブログも好きなことの一つで、3年間(ほぼ)毎日更新してきた

これを積み重ねれば、最終的に活動的で成功した人生が送れるのではないか、と考えていた
好きなことをし続けるにはお金が必要なので、嫌なことにも取り組まざるをえないだろうと思っていた

だが、ここに来て、そうではないらしいことがわかってきた

昨日のブログで、目標を課さないことで行動のハードルを下げ、とにかく好きなことに取り組んでいく、という指針を立てた

これに基づいて行動しようとしてみたが、体が動かなかった
むしろ行動することへの不安が募った

この経験から、好きなことのために行動し続けるって無理なのかもしれない、と思うようになった
内発的動機づけには限界があり、ある程度満足すると行動をやめてしまうのかもしれない

人類はおそらく、探索のために最適化されているわけではない
では何に最適化されているかというと、生存だ

(最適化という言葉には語弊がある)
(現在まで種として生き延びるだけの能力を身につけた、という方が正確だ)

人間に限らず、生物は生存のためなら全力を出せる
生き延びたものしか遺伝子を残してこられなかったので、必然的に、生存意識の高い個体や種の遺伝子が残ってきている

探索欲だけを利用して、生きるのに必要だけど嫌なことに取り組むのは難しかった
かわりに、今度は生存欲求を使うべきかもしれない



自分は根性論が嫌いだ
短期的には効くが、長期的には心身の負担になり、デメリットが大きくなると考えている

だからこそ、自分の納得のいく形で行動できるようになりたい
今後は、生存欲求を動機づけとして用いて生きていく方法を探ることにする



じゃまたね
読んでくれてありがとう



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