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プロローグ(学生)

【大谷高校 新聞部(5)】
紡希『体調不良なので今日は早退します』12:25

 HRが終わってスマホを見ると、部活のLINEグループに通知が入っていた。
 送信時間は12 時25分。送信者は杉下紡希。同じ部活に所属している同級生の女子生徒だった。ちょうど昼休みが終わり5限が始まった頃にきたメッセージで気がつかなかった。
 倉田満は他のメンバーたちがスタンプで返信しているのに続いて『お大事に』と書かれたスタンプを送った。
 既読はすぐにはつかなかった。
 そして他にメールなどの通知を確認してから、満はスマホをポケットに仕舞って帰り支度を始めた。
 放課後の教室は、月末に開催される文化祭の準備で大騒ぎだった。大谷高校の文化祭は五月末に行われる。大概の文化祭は秋に開催されるイメージだが、大谷高校では『皐月祭』とも言われてこの季節に開催されていた。ちなみに秋には運動会が開催される。
 教室のあちらこちらには模造紙や折り紙が散らばっていた。クラスの催し物は『モザイクアート』の展示をすることになったのだ。黒板には大きな文字で『モザイクアート 〜日本を代表する文化〜』とテーマが書かれていた。
 モザイクアートとは、たくさんの折り紙や写真を組み合わせて大きな一つの絵や模様をつくる装飾美術のことだ。紙を切ったり貼ったりするだけで簡単に作れる展示作品で、全員で分担して一つのイラストを作るからひとり当たりの作業量も少なめに抑えられる。役割分担が少なく、各々マイペースに作業できて楽なので満場一致で決まった。
 満はさっそく教卓に置いてあるプリントを取りにいった。用紙が入っている箱には『ひとり8枚!』とメモ書きがされていた。
 適当に上から8枚取って、必要そうな折り紙の色を選ぶ。切ったり貼ったりする細かい作業は得意だった。ささっと終わらせてしまおう、とそう思いながら教室を出ようとした時、クラスメイトに引き止められた。

「なに帰ろうとしてんだよ、一緒に残ってやろうぜ」
「うわっ」

 同時にポンっと頭を小突かれる。びっくりして頭を押さえて振り返ると、文化係の山吹翔太だった。翔太が言った。

「お前、えっと悪ぃ、名前なんだっけ?」

 呼び止めておいて名前を思い出せないなんて失礼なクラスメイトだ。少しムッとしたが素直に答える。

「倉田満だよ」
「あ、そうそう、倉田! なぁ、お前が帰ったら女子ばっかりで男が全然いないんだよ。居残りしてやろうぜ」

 悪びれた様子もなく謝罪を口にして、放課後を誘ってくる翔太に満ははちらりと教室を見渡した。確かに教室は女子生徒ばっかりだった。普段交流がなくても同じ男子だということで声をかけてくなる気持ちが分かる。男子一人では居心地が悪そうだった。
 しかし、満は顔の前で両手を合わせて断った。

「ごめん、残りたいのは山々なんだけど、これから部活があって……」
「え、お前、帰宅部だろ? 帰宅部はクラスの文化祭準備優先だろ?」
「帰宅部じゃないよ、新聞部だよ」
「新聞部? そんな部活あったっけ?」
「うん。」
「マジかよ〜、えー? じゃあ今日残れる男子俺だけかー」

 翔太が大袈裟に肩を落として残念そうにする。

「ごめんね」
「いや、大丈夫〜」

 しかたない、と翔太が首の後ろを掻く。すると、すぐそばに座っていた女子生徒のグループが会話に混ざってきた。2、3人の談笑していたグループで全員こちらを振り返っている。

「あれ? 倉田くん帰っちゃうの? 一緒にやろうよ〜」
「ごめんね、新聞部の集まり行かなきゃダメで」
「新聞部? 初めて聞いた〜。そうなんだ、頑張ってね〜」
「ありがと、ばいばーい」
「ばいばーい、また明日〜」
「じゃーな」

 女子生徒たちに手を振られて、満も振りかえして別れる。にこっと笑いかけると、女子生徒が顔を見合わせて「やばっ、超可愛いんだけど」「女子力」と顔を見合せて囁きあった。
 そんな黄色い声が混ざるヒソヒソ声を無視して満は教室を後にした。
 廊下には下校を待ち合わせていた友達、伊勢優人がいた。優人は同じ新聞部のメンバーのひとりでいつもここで待ち合わせをしていた。

「かわいい〜、だって」
「うるさいな。コンプレックスなんだってば」

 ニヤニヤと笑う優人をジロっと睨む。
 あざといつもりはないのだが、小柄で女顔の満は周りからいわゆる “男の娘”の扱いを受けることがあった。15歳にもなって「可愛い」なんて馬鹿にされた気分で全く嬉しくないのだが、言っている方がきっと褒め言葉のつもりなんだろう。最初は「やめてよ」と抵抗していたが最近は無視するようにしていた。

––––筋トレしてるんだけどな……。

 自分が女顔だと自覚はあった。丸顔で子供っぽい輪郭をしているし、眼鏡を掛けていて、顔のパーツも大きくて丸くて、カッコイイとは言い難い。通りすがりに階段の踊り場の全身鏡に自分の全身が映り、その冴えない容姿に少しだけ落ち込んだ。
 顔立ちだけではない、体格も線が細くて色白で、女の子みたいとは言わないまでも、頼り甲斐のある男には到底見えなかった。成長期を迎えて声変わりでもすれば、と淡い期待が昔はあったが、それも少し低くなった程度で止まってしまった。
 しょんぼりと俯き加減で歩く満の横顔を優人が覗き込む。

「ごめん。もう言わないから」

 鏡を見てズーンと落ち込んだ満に優人が謝る。
 しかし、これはきっと隣に並んでいる優人には分からない悩みなんだろう。満はちらりと憂人を一瞥する。
 優人は満よりずっと背が高く、端正な顔立ちをした男子生徒だった。言うならイケメンという部類だろう。耳にピアスホールをいくつも開けて男子にしては少し長めに伸ばした茶髪もよく似合う。パルクールが趣味と言うだけあって運動は得意だし、少し低めなハスキー声が大人びた落ち着きを感じさせる。さらに彼は頭も良かった。ちゃらついた見た目では想像できないが、彼は学年一位の成績だ。廊下や階段ですぐ跳びまわったりしているのに口頭注意で済まされているのはそのおかげらしい。人は見かけによらない。

––––僕も茶髪にピアスしたら印象変わるかな……。

 決してそんな事はしないけど、そう思うのも仕方がなかった。

 □■□■□

 北校舎の一階北側。文化財保管室。
 北東に位置するこの教室は朝の10時を過ぎるとほとんど日光が入らなくなる。そんな学校で一番日当たりの悪い場所が新聞部の部室だった。
 部室と言っても、物置の一角をベニヤ板で仕切って半分にした狭くてお粗末なスペースだ。薄暗くて肌寒く、かなり埃っぽい。そのためこの部室は滅多に使わないのだが、今日は珍しく集合の号令がかかっていた。

「文化祭の予定を立てるんだよね」

 ほとんど来たことがない部屋のドアを前にして、満は少し緊張していた。
 普段、満たち新聞部は部室を利用せず、『Spring Bakery』という駅前のパン屋のイートイン席で集まって活動していたた。パン屋の店主が新聞部のOBで、店内の一角を部活の郊外活動スペースとして貸してくれているのだ。ここの薄暗い場所とは似ての似つかない、明るくて温かい、焼きたてのパンの香りが溢れる場所だった。ちなみに、先ほど優人と放課後に廊下で待ち合わせをしたのは、その流れがあってのことだった。

「昨日帰りにそう話したんだから、変更なければそうだろ」

 優人がガラガラと立て付けの悪い引き戸を大きな音を立てて横に滑らせる。部屋の中は薄暗く、埃っぽくて少しカビ臭い中古本の匂いで充満していた。長らく換気されず人が出入りしなかったことが窺える。
 しかし、部屋の鍵が開いていたということは先客がいるということだ。

「こんにちはー」
「お疲れ様です」

 大きな声で挨拶すると、部屋の奥から返事が返ってきた。

「おつかれ〜」

 声をたどって、日がささらないのに何故か日焼けした色の仕切りカーテンをくぐって奥を覗く。そこにはすでに2人の部員がいた。
 眼鏡をかけた茶髪の男子生徒と、黒髪ショートボブの女子生徒。2人は細長いテーブルにスケジュールボードを真ん中に座っていた。男子生徒は寒がりなのか長袖にベストを着ていて、女性生徒は暑がりなのか長袖のシャツを袖まくりしている。
 3年生部長の斎藤茶介と、2年生副部長の一色彩葉だった。
 満と優人は端っこの荷物置き場にカバンを置いて仲間に加わった。

「なにしてるんですか?」
「文化祭に向けてスケジュール組んでるところよ。ウチはこれからパンフレットを作ったり、展示のために部屋掃除したり、結構忙しいんだからちゃんと計画立てていかないとね」

 マジックペンでトントン、とホワイトボードを叩いて副部長の彩葉が言った。

「一気に忙しくなるから1年生くん達もよろしくね」
「へぇ……、うわ、本当だ。けっこう忙しそう」

 段取りが細かく書かれたスケジュールに優人が息を呑む。入部してまだ1ヶ月ほどしか経過していない満と優人にはまだいまいちピンとこなかったが、土日にまで予定が書き込まれているところを見るとかなりのハードスケジュールと読み取れる。文化部にしては予定がつめられている方だろう。

「具体的にどんな感じでやってくんですか?」
「そうね……、役割分担は相談しながらだけど、来週までに全部取材は終わらせて、再来週には記事を完成させて顧問に提出したいかな。変更なければパンフレットは印刷かけて、この日までには完成させて。それと、同時進行で大変だけど、当日の展示のためにこの部屋の大掃除もしなくちゃ」

 カレンダーの日付をなぞりながらスケジュールを確認していく。
 彩葉曰く、新聞部は当日の催しは過去の新聞記事の展示のみで楽なのだが、そのほかの仕事として文化祭のパンフレット制作を任されており、それが大変なんだそうだ。
 パンフレットは外部の来校者向けに配るもので、学校の案内図や写真などの他に、当日の催し物のスケジュールなどを乗せなければならない。そのために全クラスと文化部にコメントをもらいに行かなくてはいけなかった。2日間使うだけの薄い冊子だが、写真を撮ったり、見取り図を作成したり、なかなかの仕事量なんだとか。
 新聞部たった6人でどのように進めていくのか、役割分担が気になるところだ。

「予定立てるの苦手だから助かるよ〜」

 のんびりした口調で茶介が言った。
 新聞部は副部長の彩葉がほとんど仕切って活動していた。茶介は部長だが幽霊部員だ。不在の方が多い。習っているバイオリンのレッスンが忙しいらしい。
 ぼーっとしてばかりの茶介がバイオリンを演奏者なんて満には想像できなかったが、来年にはイギリスの音楽大学に進学予定だと言うのだから人は見かけによらない。

「茶介は今月はどれぐらいこられそうなの? 八月までは発表会も特にないはずよね」

 スケジュールと睨めっこをしながら彩葉が尋ねた。上級生を相手にタメ口なのは二人が幼稚園からの幼馴染だからだ。茶介が言った。

「来週いっぱいまでレッスンの時間を遅めにしてもらったよ〜。前回金賞を取ったご褒美に高校最後の文化祭楽しんで、だって〜」
「そうなの! やった! じゃあ今年は茶介もガッツリ参加ってことで」
「お手柔らかによろしくね?」
「よし! それじゃ。クラスの取材は各々の学年で分担してやっていきましょ。3年は茶介、2年は私、1年は伊勢くんと倉田くんと紡希ちゃん。六クラスあるけど分担したらすぐよね!」
「えー。僕3年ぜんぶ〜?」
「話聞きに行くだけなんだから、どうってことないでしょ?」
「そうだけどさ〜」
「文句を言わない」

 口を尖らせる茶介をピシャリと彩葉が一括する。

「パンフレットに使う写真は永谷くんにお願いしてもいい? 確か、倉田くんはカメラに興味があって入部してきたんだよね」
「はい。まだ勉強中なんですけど」

 満は頷いた。写真部のないこの学校では、カメラを使って活動できる部活は新聞部だけだ。

「じゃあ写真は任せるわね」
「はい!」
「俺は何したらいいですか? パソコンもカメラもあんまり得意じゃないんですけど……」
「伊勢くんはインタビューを中心にお願い! 茶介と相談して役割分担しながら、演劇部と吹奏楽部の当日の演目とか、生徒会の方にも当日のスケジュールがどうなってるのか聞いてまわって」
「了解っす」
「わ〜、伊勢くんが一緒だと心強いかも~。伊勢くんコミュ力オバケだし〜」
「コミュ力オバケって何すか」
「誰とでも仲良くなれる人ってこと」

 4人で談笑しながら予定を立てていく。

「パソコンに去年作ったパンフレットのデータがあるから、書式はそれ使い回せば良いわよね」
「うん。今年は1年生が三人も入ってきてくれたから助かるね〜、去年は2人で大変だったからさ〜」
「そうね、当日はぎりぎりで始発電車に乗って準備してたもんね……」

 ため息をついた彩葉に、今年はそうはならないことを祈る。
 すると突然、ピピピピピ、と電子音が鳴り響いた。

「あ、僕の携帯だ~」

 茶介が今時珍しいガラケーをポケットから取り出して、ぱかっと画面を見る。白黒画面のどこで買ったのかも分からないような煤けた携帯だ。機械音痴の茶介は未だにガラケーを使っていた。

「そろそろレッスンだから帰るね〜」

 茶介が席を立った。

「もうそんな時間?」

 ふと壁掛け時計を見上げると、針は16時をさしていた。すると、スマホでスケジュールを確認していた優人も立ち上がった。

「俺もそろそろ帰ります。約束があるんで」

 荷物をまとめる茶介に続いて、優人もリュックを背負い出す。
 その流れで、今日は解散にしようか、と満と彩葉も一緒に帰ることにした。下校にはまだ早いが、今日できることはこれ以上はなさそうだ。彩葉がスケジュールボードを写真に撮ってLIN Eのグループに投稿した。

「これでここに寄らなくても確認できるわよね」

 部室の居心地が嫌いなのは満だけでは無かった。
 そして部室の施錠をして全員で下駄箱へ向かった。4人で揃って下校するのは初めてだった。いつもそれぞれ別々に下校してパン屋に集まるのだ。
 大谷高校の近くには、校門を出て西へ五分ほど歩いたところに『きさらぎ駅』という小さな駅がある。今にも風で吹き飛びそうな木造の駅舎の古めかしい小さな駅だったが、大谷高校に通う生徒のほとんどが利用していて、ここにいる全員も例に漏れずだった。ちなみに降車駅も同じだった。二駅先の『汐御崎駅』。

「電車あと十分か。ちょうどいいタイミングだな」

 優人がスマホで時刻表を確認して言った。
 時刻は16時20分だった。
 ぼんやり電車を待ちながら雑談を交わす。

「そういえば、みんなクラスの催し物は決まった〜?」
「決まったわよ、ウチはスチームパンク風のコンカフェになったわ。衣装も大道具も手作りする予定なんですって」
「すごっ! 一色先輩、コスプレするんっすか?」
「そうよ、美術部が『部屋の壁も塗り替える!』って張り切ってたわ。さすがに先生にとめられてたけど。伊勢くんのクラスは?」
「俺のとこはお化け屋敷になりました。ほかのクラスと被らなければですけど、定番ですよね」
「へぇ、いいね〜楽しそう〜、仮装とかするの〜?」
「しますよ! ひとつめ小僧です!」
「スタイリッシュな小僧になりそうだね~。倉田くんは~?」
「僕はモザイクアートの展示です」
「展示かー、いいよね。当日ラクだし、準備少なめだし」
「はい。なので当日はゆっくりみんなのクラスまわれそうです」
「いいな~。じゃあ文化祭広報誌の写真任せちゃおうかな〜」
「広報誌?」
「そ〜、文化祭明けに月刊誌出すから、その時の写真撮らないといけないんだよね〜」
「いいですね! 任せてください!」

 満が張り切って返事をした頃、ようやく到着したきさらぎ駅は人がまばらで、大谷高校の生徒もほとんど居なかった。朝夕の時間はいつも混んでいるのだが、タイミングが良かったらしい。無人の改札口を順番にICカードで通り抜けて、ホームの停止線に並ぶ。
 電車は5分もしないうちにやって来た。黄色い塗装の三両編成の短い電車だった。座席はボックス席で、みんなで向かい合って座る。満は景色が見える窓側の席に座った。
 程なくして緩やかに電車が動き出し、閑静な住宅街をなぞるように走り出す。車窓はしばらく田畑の多い田舎町をうつしていたが、しばらくして木々の生い茂った林へ入り込んだ。夕日が遮られて車内が急に暗くなる。そして明暗の切れ目を抜けたところで、突然視界が切り開かれて、窓いっぱいに空の色を映し取った海が広がった。

「いい景色だね」

 満が呟く。水平線に浮かぶ島々は同じ青に挟まれて宙に浮いているように見える。感動している満の隣で優人はスマホから顔を上げて首を傾げた。

「そう? ただのど田舎の風景って感じだけど……まぁ東京都心じゃ見られない景色かもな」
「うん、東京はビルばっかりだからね」

 つい数ヶ月前まで暮らしていた地元を思い出す。コンクリートの灰色ばかりが目立つ東京の街並みでは夕日はキラキラ光らない。汐御崎に来て初めて天気は晴れと雨だけではないと知った。

「倉田くん、前は東京に住んでたの?」

 満の正面に座っていた彩葉が尋ねた。満は頷いて事情を話した。

「中学まで東京にいて、つい二ヶ月前こっちに引越してきたんです。親が海外赴任になって、僕は日本に残りたかったので、ついて行かずにこっちに住んでる歳の離れた兄と暮らすことにしたんです」
「へぇ、知らなかった」
「倉田くん実はシティボーイだったんだね〜」
「シティボーイはさすがに死語でしょ……。東京のどこに住んでたの?」
「目黒区です」
「うわ、超都心だ! いいな〜」

 満の言った住所に彩葉が目をキラキラさせる。

「私の好きな俳優も目黒に住んでるの!」
「目黒に住んでる有名人多いですよね。僕は住所が近いだけで何にもないんですけど」
「それだけでも羨ましい!」

 東京いいな〜、と彩葉が声を高くする。満は首を傾げていたが価値観は人それぞれだ。都会がいい人もいれば田舎に魅力を感じる人もいる。
 しばらく、他愛ない会話をしながら電車に揺られていると、もうすぐ降車する汐御崎駅に到着だ、というところで自動音声ではない車掌による放送が入った。

『えー、次の汐御崎駅をご利用のお客様へ、ご連絡とお願いを申し上げます』

 聞きなれないアナウンスに四人は顔を見合わせた。

『現在、汐御崎駅構内は正午に起きました事件により一部封鎖、通行止めになっております。ご利用のお客様には大変ご迷惑をおかけしております。構内では警察・警備員の指示に従って移動されますよう、ご協力を宜しくお願いいたします』

「事件? 何かあったのかな~?」
「さぁ?」

 その時、ピロリンと小さな電子音が鳴った。
 満のLINEの通知音だった。ロック画面にメッセージの文面が表れていた。誰だろう、とちらりと一瞥する。家族からの帰宅時間の確認のLINEだろうか。

「え?」

 しかし、流し目に見るつもりだったその一文が長く奇妙なことを語っていて、満は思わず眉を顰めて文面を再読した。

「どうかしたの?」

 急にしかめ面になった満に優人が尋ねる。

「それが……」
「?」

 満はスマホの画面を明るくして、他に見えるように指し出した。三人が身を乗り出してスマホの画面を覗き込む。
 それは『伏見春芽』という人からのLINEメッセージだった。

『突然失礼致します。ロック画面から返信をしています。このスマホの持ち主の方が汐御崎駅で事件に巻き込まれ、意識不明の重体で病院へ運ばれました。詳細は内海医療大学附属病院でお話しできたらと思います。警察です。ご協力をお願いします』 

   □■□■□

 伏見春芽というのは『Spring Bakery』(通称・春パン)というパン屋を営む店長だった。
 20代半ばの笑顔が朗らかな人で、大谷高校「新聞部」のOBだからと、いつも放課後にイートイン席の一角を活動場として提供してくれていた。

「なにこれ……。春芽さん、何かあったの?」

 そんな人からの警察を名乗る奇妙なLINEに満たちは顔を顰めた。

「分かんない……、ねぇ、この連絡きたのって僕のところだけ? 優人たちのところにはきてない?」
「来てねぇな……、満だけっぽい」

 満だけでなく優人も彩葉も茶介も連絡先を交換していたが、どうやら他には来ていないらしい。

「うーん、警察を名乗ってるけど、ちょっと気味悪いわね。新手の詐欺じゃないの? アカウント乗っ取られたとか」
「そんなことある?」
「駅に着いたら店に寄って確認した方がいいかもね〜、警察に聞いてもいいかも」

 茶介が言った。
 警察なんて大袈裟な、とメッセージの信憑性に半信半疑な満だったが、汐御崎に到着して降車すると、構内は今までに見たこともないような人数の警察官が往来していて瞠目した。もしかしたら、と胸の中に座わざとした不安が広がる。

「春パンに寄り道して帰ろうか」

 優人の提案に満は頷いた。
 春パン屋は汐御崎駅の西口を降りて正面にのびる『一番街』という商店街に店舗を構えている。満たちのいる場所から徒歩5分ほどの場所だ。4人はアーケードのある通りを直進して春パン屋を目指した。
 多くの警察官が往来する中、メッセージがタチの悪い乗っ取りやイタズラであってほしいと願う。
 しかし、玄関先立てかけられた店看板は『close』になったままだった。窓ガラス越しに覗いた店内も薄暗い。

「営業時間すぎてるよね、休業日でもないし……」
「本当に何かあったのかな」

 顔を見合わせて相談する。すると、通りすがった年配の女性が教えてくれた。

「今日はお店は開かないわよ。店長の春芽さん、昼間に駅前の事件に巻き込まれたみたいで、救急車で運ばれて行ったわ。警察が沢山いたでしょう? けっこう大きい傷みたいよ。しばらくはお休みかしらね、心配ね」

 あなたたちも気をつけて帰りなさいね、と年配の女性は去って行った。

「教えてくださってありがとうございます」

 ぺこりと会釈を返す彩葉の隣で満は不安の色を濃くした。

「どうしよう。病院に行った方がいいのかな」
「LINEにはそう書いてあるよね〜」
「誘われてるみたいでちょっとキモくない? 危ないよ」
「俺は行った方がいいと思うけどな。警察を名乗ってるんだし、相談した方が良いだろ。病院にも警備員はいるし。どうする?」

 賛否が分かれる中、最終的な判断を促されて満は唸った。しかし、優人の最後の一言を聞いてすぐに結論が出た。

「今から行くなら俺も同行するけど」
「行く」

  □■□■□

 内海医療大学附属病院へは汐御崎駅から直通のバスが出ていた。満は行ったことなかったが行き方は優人が知っていた。

「僕たちは用事があるからここまででごめんね〜」
「明日また教えて!」

 茶介と彩葉と別れて、満は優人について病院行きのバスに乗った。タイミングよくやってきたバスに乗り込むと、バスは駅から海岸の方へ南下して行った。

「内海病院は行ったことある?」

 バスの車内で優人が尋ねた。満は首を横に振ったが、その病院の名前ぐらいは聞いたことがあった。

「行ったことはないけど、兄ちゃんが大学の遺伝子工学研究室で働いてるんだ」
「え、そうなの?」

 優人が目を丸くした。

「満のお兄さんってお医者さんなの?」
「いや、医者じゃなくて研究員。どんな研究してるのかは知らないけどね」

 満と兄は14歳も歳が離れていた。汐御崎に越すまでずっと別居状態で兄弟仲は親しいとは言えない。満も兄もお互いに不干渉な生活を送っていた。

「どんな病院なの?」

 満の問いに優人はわかりやすく教えてくれた。
 内海医療大学病院は、全国的にも有名な医療大学病院で、研究室としてさまざまな分野を広く取り扱って研究している病院らしい。中でも遺伝子工学の分野に重きを置いているらしく、数年前には遺伝子改変についての論文で賞を取った研究者がいたとか何だとか……。
 検索するとホームページには外観の写真や診療科の案内や地図が乗っていた。地図を見たところ、病院は汐御崎駅から南へ真っ直ぐ進んだ、春日丘という丘の森林を切り開いて設立された病院らしい。住宅街と海岸を真っ直ぐ遮断するように建物が建設されていた。

––––兄ちゃんが勤務してるのはこっちの北棟かな。

 建物は東西南北に四つ棟が別れており、それぞれ東と南が外来や入院病棟、北と南は大学の研究施設と書かれていた。医療大学の案内ページもあったが、目次だけでも薬学や獣医学部、看護学、福祉など、医療に関して幅広い分野を取り扱っているようだった。
 田舎の学校だからといって侮れない。そう思っていると、バスのアナウンスが『内海病院前』と告げた。優人と満が停車ボタンを押す前にランプが光ったので、他の乗客も何人か降車するようだ。スマホに夢中になっているうちにいつの間にか目的地に到着だ。
 バスは剪定された街路樹が規則正しく並んだ広い駐車場へ静かに左折した。駅前の建物が入り乱れた窮屈さは無い。広々と贅沢に土地を使った駐車場を通って、バスは病院の玄関口の近くに停車した。
 ICカードをかざしてバスを降りる。
 病院はホームページの写真の通り、白くツルリとした塗装に規則正しく窓を嵌め込んだ箱のような外観をしていた。夕日の赤を写して壁一面の窓ガラスが朱色に反射している。
 満は思わず眩しくて目を細めた。

「とりあえず、外来窓口に行ってみるか」

 優人に連れられて満は病院の玄関をくぐった。
 背丈の2倍ほどもある透明度の高いガラス扉を通って、総合受付窓口を探す。病院の中は人が多いにも関わらず、それぞれが最小限に気配を抑えていて、さざなみのように静かにざわめいていた。

「すみません、救急外来で搬送された伏見春芽さんの見舞いに来たんですけど、病室はどちらですか?」

 受付の看護師は優人と満の方をチラリと見て、救急外来の受付窓口を案内してくれた。

「南棟一階に窓口がございます。そちらをお伺いください」
「ありがとうございます」
「いいえ」

 淡々と表情のない看護師に短く礼を言って、病院内案内図を頼りに進む。
 病院内は右を見ても左を見ても似たような白い壁が続いて、まるで迷路のようだった。満はただ優人の背中を追いかけて進んだので、目的地に到着した時にはすっかり帰り道は分からなかった。

「伏見さんは6階の手術室7号室だって」

 窓口で話をつけた優人がエレベーターホールの方を指差した。

「受付をタライ回しにされるかと思ったけど、ちゃんと教えてもらえてよかったよ」

 壁に埋め込まれたエレベーターの上昇ボタンを押すと、三つ並んだエ扉の右端が静かに開いた。エレベーターに乗るのは満たち二人以外に誰もいなかった。乗り込んで六階のボタンと閉ボタンを押す。チリン、と無機質な音と共に扉が閉まって同時に臓がぐずりと沈んだ。二、三、四、と動いているのか不安になるほど静かに上昇する。扉の正面上部にある回数表が六になったところで、チリン、と扉が静かに開いた。

「こっちかな」

 扉が開いた先も同じような白い壁が広がっていた。一瞬同じ場所に出てしまったのかと錯覚するほどだったが、壁の案内図がちゃんと六階になっていた。『7号室』を目指して廊下を左折する。外来と違ってすれ違う人はほとんどいなかった。並べられたソファーに座っている人もいない。
 しかし、目的の手術室の前にだけポツンと人が立っていた。まっすぐ伸びる廊下の突き当たりに二人、満たちに背を向けるようにして立っている。遠目からだったが、その後ろ姿は、一人は制服警察官、もう一人は背中にブランケットを羽織ったスカート姿の女性だった。

「声かけてみよう」

 足早に手術室まで向かう。

「すみません、あの」

 LINEで連絡を受けてきたんですけど、そう言葉を続けようとした満だったが、振り返った一人が意外な知人で驚愕した。

「杉下さん⁉︎」

 警察に紛れてそこには、体調不良で早退したはずの同級生、杉下紡希が立っていた。警察官と向き合って何かを話している。

「杉下さん、どうしてここに?」

 急に訪れたのは満たちの方なのに、疑問が先に口を突いて出た。突然のことに紡希は驚いて後退り隣の警察官を見上げて挙動不審にオドオドしていた。

「あ、え? 倉田くん、伊勢くん? え、えっと」

 言葉の出てこない紡希の代わりに、隣の若い男性警察官が口を開いた。

「君たちこそ、どうしてここに?」

 優人より少し背の高い中肉中背のほどの体格で、年齢は20歳半ばのさっぱりした警察官だった。目鼻立ちがハッキリした男の人で、腕組みをして訝しげに見下ろされると少し威圧感があった。満は慌てて名乗り事情を話した。すると、警察官はさらに眉間にシワを寄せて言った。

「そんなLINEメッセージは送っていないはずだけど……、何かのイタズラじゃ無いのか?」
「でも、本当に送られてきたんですよ」

 疑いを晴らすべくスマホを見せる。若い男性警官が背を屈めて一読した。

「誰かのイタズラか乗っ取りじゃないのか」
「心当たりがないし、事実、春芽さんが事件に巻き込まれてるんだから超怪しくないすか?」

 優人が言った。すると、少しは男性警察官も取り合う気になったらしい。


「そうか……、それなら他の職員にも確認してみよう。……君たち、その制服は大谷高校の学生さんだよね。名前は? もう一度聞いても良いかな」

 男性警察官がポケットから小さなメモ帳を取り出した。満たちが再度名前を告げると、サラサラと書き留められる。

「倉田満くんに、伊勢優人くんだね。私は汐御崎駅前交番勤務、巡査の黒瀬龍騎です。それじゃあ、担当の警察官を呼んでくるから、そこのソファに掛けて待ってて」

 黒瀬龍騎と名乗った若い男性警察官が、廊下の壁沿いのボックス型のソファをさした。黙って成り行きを見守っていた紡希にも同じように座るように促す。3人はお互いに聞きたいことがたくさんあったが、顔を見合わせて従った。

「……杉下さん、どうしたの? 早退するって言ってたけど、何か巻き込まれたの?」

 男性警察官、改め、龍騎がいなくなって、すぐに口を開いたのは優人だった。静かな廊下に響かないように最小限に声を顰めて紡希に尋ねる。紡希は、うんうん、と首を縦に振った。

「う、うん。わ、わ、私、学校を早退した後、あの、汐御崎駅前で、は、春芽さんにすれ違って……、間近に事件現場を見ちゃって……」

 身を縮めて、小さな声で紡希が事情を話す。身を守るように肩にかけたブランケットを胸元で握りしめて、言葉をつっかえさせる姿は怯えているようにも見えた。普段から吃音のクセがある彼女だったが、今はそれが更に顕著に出ていた。よほど怖い目にあったのだろう。満は丸くなっている紡希の背中をさすって声をかけた。

「そうなんだ、大変だったね……大丈夫?」

 紡希はまた、うんうん、と首を縦に振った。その拍子にブランケットの隙間からチラリと中の制服が覗いた。指先が白むまで強く握りしてているそのブランケットの中は影になっていても判別できるほど赤いシミが広がっていて、白いシャツを汚していた。

「あ、これ……」

 息を呑んで固まった満の視線に気がついて、紡希がブランケットの裾を握りしめる手を強めた。

「これ、は、春芽さんの、返り血……」
「うわっ」

 紡希の制服にはベットリと赤いシミがこびりついていた。胸元を中心に袖の方まで赤い点が飛び散って、ところどころ乾いて赤褐色になっている。

「これ全部……?」

 あまりの惨劇に満の声が裏返る。隣の優人も目を見開いて驚いている。紡希がうんうん、とうなづいた。

「わ、私の目の前で、春芽さん、男の人に刺されて……」

 当時の事を思い出したのか、じわりと目が滲みだす。嫌なことを思い出させてしまったとすぐに謝る。

「ごめん、僕なにも知らなくて……、こんなにひどい事になってたなんて……」
「ううん、怪我したのは私じゃないから……」
「春芽さん大丈夫かな」

 優人の言葉に手術室の扉を見る。『手術中』の赤いランプが急に鋭く感じられた。
 イタズラめいたLINEでしか知らなかったが、事件が起こったのは事実なのだ。春芽は無事なんだろうか。思わず、撫でていた手を離して紡希の様子をよく見てみれば、両サイドに三つ編みに結ばれた栗色の髪の毛にもところどころ濃い色の汚れがついていた。
 駆け足でこちらに近づいてくる二人分の足音が廊下に響いた。

「お待たせ、いや、すまない、君たちだけにしてしまって」

 龍騎が女性警察官を連れて戻ってきた。後ろをついてくる女性は小柄だが背筋をピンと伸ばして颯爽とした雰囲気の人だった。黒髪を肩下ほどまで伸ばして、キリッとした猫目が凛々しい顔立ちをしている。年齢は龍騎より少し年上の三十代後半から四十代前半ほどに見えた。
 龍騎がすぐに紹介する。

「こちら、––––––––」

 しかし、それを遮るようにして女性警察官が大きな声を上げた。

「優人? お前なんでこんな所にいるんだ」

 その声はまるで質量を持っているような透き通る大声で、女性警察官は優人を指差した。病院で話す声量ではない声に満は肩が跳ねるほど驚いたが、隣の優人は更に驚いていた。何時もクールな優人がたじろぐなんて珍しい。目を白黒させていた。

「叔母さんこそ。交番勤務の巡査部長がどうして?」
「それは一番に最初に現場に駆けつけたのが和たちたちだったんだよ。そこの杉下紡希さんの保護もしてな」
「そんな……」
「……あの、お二人はお知り合いですか?」

 素朴な龍騎の疑問に、女性警察官と優人はすぐにお互いが親戚であることを明かした。なんでも、家を空けがちな優人の両親の代わりに世話をよく焼いていたんだとか。

「優人のことはほとんど息子みたいに思っているが……それにしてもお前、厄介な事にはいつも絡んでくるな。警察沙汰に自分の親戚が巻き込まれるなんてそう滅多にあるもんじゃないぞ」
「スミマセン……」

 過去に思い当たることがあるのか、女性警察官の小言に優人は返す言葉もないようだ。どんな厄介ごとを今まで起こしてきたのか気になるところだが、閑話休題だと龍騎が話の先を促した。
 満は自己紹介をして、LINEのメッセージを女性警察官に見せた。
 女性警察官も名前は名乗らなかったが「巡査部長の伊勢優人の叔母です」と告げて満の事情に耳を傾けた。そして、彼女も首を傾げるばかりだった。

「被害者の私物を警察が勝手に触ることはない。なりすましかタチの悪いイタズラじゃないか?」
「でも送信元はちゃんと伏見春芽さんなんですよ、ほら」

 アイコンやチャットのログを指してニセモノではないことを示す。唸る警察官に、それまで静かに聞いていた紡希がふと口を開いた。

「あ、あ、あの、は、春芽さんのスマホって、い、今どこにあるんですか?」
「それは搬送した救急隊員が患者の私物として保管しているよ。でも、そうだね、確かめたほうが良いね」

 龍騎が答えた。それから、そのあとは警察の方で調査を進めてくれるとのことで、満は連絡先と住所だけ聴取されて帰宅を促された。

「事件の犯人はまだ捕まっていないから、気をつけて帰りなさいね。それとも送ろうか」

 紡希はこの後、両親と一緒に本格的な聴取があるらしい。
 満は龍騎の提案に断りを入れた。兄がもうすぐ退勤だから一緒に帰ることにしたのだ。優人もバスで帰宅するようにしていた。

「また何か心配事があればいつでも相談してね。駅前の交番にいつもいるから」

 別れ際、そう言って龍騎が初めて柔和な笑顔を見せた。

   □■□■□

「まさか杉下さんがいるとは思わなかったな……」

 エレベーターの中で優人と二人になると一気に緊張が抜けて、満は深く息を吸い込んで吐いた。無意識に力んでいた肩がコンクリートのように固い。首周りを伸びをしてほぐすとパキパキと音が鳴った。

「杉下さん大丈夫かな。きっと犯人の顔とか見ちゃってるんだよね」
「さぁ。ま、未成年には保護者同伴だろうし大丈夫だろ。俺らが心配しても仕方ない」
「まぁそうなんだけどさ。でも心配だよ」

 余計なお世話かもしれないが、あがり症で吃音がある紡希に警察の調書は相当なストレスだろう。龍騎や優人の叔母が担当するのかどうか知らないが、両親同伴でも紡希の精神負荷ははかり知れない。

「しばらくは学校休むだろうな」
「うん……。そうしたら春芽さんのお見舞いも兼ねて様子見に来てあげよう? 家にこもってるより、事情を知ってる友達と会って話したりする方が気が紛れるよね、きっと」
「面倒見いいんだな、満って」
「そんなことないよ、普通だよ」
「もしかして好きなの? 杉下さん可愛いもんな」
「違うよ! かわいいのは違わないけど僕はそうじゃなくて! 杉下さんはこっちに引っ越してきて最初にできた友だちだからさ」
「そうなの?」
「うん。新聞部に入部届出しに行った時に、廊下ですれ違って、迷子になってた僕を助けてくれたんだ。それが最初かな」

 話しながら4月の頭のことを回想する。それは入学式が終わった次の日のことだった。
 午前いっぱいの時間を使って体育館で部活紹介発表が行われた、その後、1年生たちは入部したい部室に直接入部届用紙を持っていく。それが大谷高校の入部の流れだった。
 教室では同じ中学校出身の生徒たちが既にグループを作っていて、みんなでどこに入部するか話し合っていた。満はそのクラスメイトたちの中で輪に入っていけず、誰に相談することなく、記入欄に『新聞部』と書き込んだ。

「新聞部の部室が分からなくてウロウロしてたら、杉下さんが『どうしたんですか』って話しかけてくれたんだ。あの引っ込み思案の杉下さんがだよ? 僕、学校で誰かに話しかけられたの初めてだったから、すごい嬉しくて! 杉下さん、すごいオロオロしてたんだけど、勇気かけて声かけてくれて有り難かったなぁ」
「へぇ、そんなエピソードが?」

 今では“男の娘”だと“かわいい”だのとチヤホヤされて、外見から放って置かれそうにないのに、満に無視されていた時期があったのかと驚く。

「じゃあ俺は二番目ってことだ」
「別に出会った順番に関係なく優人も大切な友達だよ。優人が困った時はなんでも協力する!」
「それはありがとう」

 早口になっている満に優人は笑った。
 それから2人で来た道を戻り、病院玄関口で別れの挨拶を交わす。外は既に日が沈み、空は闇の深い薄紫色に染まっていた。

「もう5月なのに日が暮れるとまだ少し冷えるな」

 両腕をさすって優人がそうボヤいた時、バスが来る前に背後から満の迎えが来た。
 薄手の黒いニットにダボッとしたカジュアルなパンツをはいた男の人だった。満が気づいて手を振ると小さく振り替えして小走りに近づいてくる。

「迎えにきたぞ、満。まったくお前は何処にいても面倒ごとを起こすんだな」

 走ってズレた黒縁メガネをなおしながら満の兄が言った。優人が軽く会釈をすると、彼はすぐにお辞儀を返して「こんにちは、兄の真澄です」と名乗った。

「友達にあんまり迷惑かけちゃダメだぞ」
「うるさいな。分かってるよ」

 真澄の言葉に満がムスッとした顔をする。ずっと別居をしていたと言う割には仲の良さそうな兄弟だ。

「じゃあ、また明日ね」
「ああ」

 短い挨拶をして別れる。優人は、兄弟で小さく小突き合いながら何かを話している背中をしばらく見送ってからバスの時刻表を確認した。


CAST:倉田満、伊勢優人、一色彩葉、斎藤茶介、黒瀬龍騎、先輩。、黒瀬真澄

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