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Google Bardについて

 前にChatGPTについて書いた事がありました。茶道のことは、良く知らないので、解答が正解かどうかもわからないですね。ChatGPTと同じ質問をBardにもしてみました。以下が、質問とChatGPTとBardの解答になります。

質問:茶道において、「見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」とは?

ChatGPTの解答:「見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」とは、茶道の流派である武者小路流の祖、武者小路千家宗旦が詠んだ歌の一節です。
この歌は、秋の夕暮れの風景を描いており、浦辺にある茅葺きの小屋から見渡すと、花も紅葉もなく、ただ静かな風景が広がることを詠っています。茶道では、このような自然の風景を見ることによって、心を静め、自然と調和することが大切であるとされています。茶道では、季節感を取り入れた盆物や花などの道具や、庭園などにも自然美が大切にされ、自然と調和することが重要な要素とされています。


Bardの解答:「見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」は、藤原定家が詠んだ有名な和歌です。この歌は、花や紅葉などの美しい自然の風景ではなく、荒れ果てた小屋に秋の夕暮れが差し込むという寂寥感(せきりょうかん)のある風景を詠んでいます。この歌は、茶道の精神である「わびさび」に通じるものがあるとされています。
 「わびさび」とは、不完全さや欠点の中に美を見出すという日本の美意識です。この歌は、華やかで美しい花や紅葉が描かれていないにもかかわらず、寂寥感の中にある美しさを感じさせます。これは、茶道においても、華美なものよりも質素なものの中に美を見出すという「わびさび」の精神に通じるものがあります。
 また、この歌は、秋の夕暮れという時間帯も重要です。秋の夕暮れは、一日の終わりの寂寥感を感じさせる時間帯です。この歌は、秋の夕暮れの寂寥感の中にある美しさを感じさせます。これは、茶道においても、一日の終わりに静かに茶を点てて、日常の喧噪から離れて心を落ち着かせるということを大切にするという精神に通じるものがあります。
 このように、「見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」は、茶道の精神である「わびさび」に通じるものがあるとされています。

この二つの解答だけを見れば、Bardの方が、正解に近いと考えられますね。この「見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」という詩は、藤原定家が詠んだ和歌です。そして、詩の解釈においてもBardの方が、正しいように感じます。

二つともに見事な日本語であり、説得力もありますね。とても優秀な学生の解答を読んでいる気になります。解答を並べたので、比較はしましたが、この質問に対しての比較だけであり、全てではないですね。

AIチャットボットは、とてもわかりやすい日本語で解答をしてくれます。正しい解答をしてくれたのかは、人間が精査する必要がありそうですね。そのまま信じることは、危険だと感じています。あとAIには、学習能力もあるので、日々変化をしているので、人間を超えていくことも考えられますね。
毎日進化を続けていくAIは、どこを目指す事になるのかなと感じました。

2023年5月18日(木)岐阜県大垣市墨俣の一夜城のあやめ

ここまで読んで頂き、ありがとうございます。


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