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小説|魔女見習い

 魔女というのは、どうにも面倒くさい職業である。
 古くから童謡の中に取り入れられてきた、悪役の象徴ともいえる魔女。大抵はしわがれた皮膚に大きな鼻、曲がった腰に黒いローブ。薬草の匂いが充満した薄暗い部屋の中で、気味の悪い色をした鍋を掻き廻す、そんな悪い人物のことを指すのだろう。過去の魔女はそうだったのかもしれないが、今は全く違っていた。
 魔女と一口に言っても、たくさんの種類がいる。何かを操る者から、何かを知る者、そして何かを守る者。いまや職業として認められるくらいには一般的となった魔女という肩書き。これは、欲しくてももらえるものではない。むしろ、押し付けられるようなものだった。

     ……

 朝日がカーテンの隙間から漏れ出してくる。その柔らかな日差しに私は起こされた。瞼の上に残る優しいぬくもりをしっかりと抱きしめながら、身体を起こし、ベッドから抜け出す。洗面所で顔を洗い歯を磨き、髪の毛を濡らして寝癖を直す。寝巻を洗濯機に放り込んで壁にかけておいた制服に袖を通した。スカートをはいたが、今日はどうも涼しいらしい。このままでは腹を冷やしてしまうだろう。クローゼットからタイツを取り出し、慎重に足を入れた。少しきつくなったかもしれない。これは、昨日のドーナツのせいかもしれない。私は悪くない。ちょうど大事な時に、半額セールをやっていた店のほうが悪いのだから。
 鞄に教科書をいくつか放り投げ、筆入れを投げ込む。綺麗な放物線を描いて鞄に入り込んだ筆入れに向けて、私は小さくガッツポーズをした。それとは別に、古めかしい装飾のなされた文庫本サイズの本を鞄に丁寧に入れた。これは、私に託された未来である。約束された、退屈な未来。母親から受け継いだこの本は、魔女の血について書かれたものだった。私の身体には魔女の血が流れる。今はそんなに珍しいことではないけれど、それでもほかの人間とは少しだけ違うのだった。少しだけ、ほんの少しだけ人間じゃない私たちは、その特異性を隠すように本を携帯する。この本には、魔女の血を抑制する魔法がかけられているのだった。
「…………」
 心の中で小さくため息をつき、私は革靴に足を入れた。かかとと靴の間に指を入れ、履きやすくする。靴入れの上においておいた家の鍵を手に取り、私は一日を開始した。

「おはよー」
「おはよー」
 学校へと続く通学路には、飽きもせずに笑う中学生たちであふれていた。すれ違う生徒全員に声をかけて小走りで駆け抜けていく男子生徒や、止まるほどゆっくりに歩く女子生徒たちが道中にあふれている。私はどの塊にも含まれずに、静かに朝を過ごしていた。
「よっ。今日も暗い顔してんなー」
「私が暗い顔なのは今に始まったことじゃないし。それに、私は今から学校に行くの。出てこないでくれる?」
「ちぇっ。つまんないなー」
 あからさまに不満な態度をとりながら、彼はつぶやいた。私の手の甲を小さく跳ねながら、袖の中に隠れる。
 彼は、私に与えられたパートナーだった。魔女にはよくある、血の力を保管しておく相方みたいなものだ。昔は烏とか梟とか、どこにでもいるような動物だったのだけれど、今は違う。刺青のように皮膚に張り付いているのだ。それらが自力で立体的に飛び出てくることはまずない。必ず、私たちの許可が必要になる。普段はこのようにして身体のどこかにシルエットとしているのだった。
 なぜ兎なのかはわからないけど。
「それよりよ。今日は本、読んだのか?」
 彼は飽きもせずに私に話しかける。少しは考えたのだろうか、鎖骨の下あたりに小さく丸まっている。
「そんなこと聞かなくても、あなたは全部見ているんでしょう?」
「オレをそんなストーカーみたいに言わないでくれよ。傷つくからさ」
「そう。でも私、本なんて読んだことないわよ?」
「あぁ、知ってる。魔女になりたがらないことも知ってる。だからこそ聞いたんだ。もしかしたら気が変わって受け入れようとしてるんじゃないかってね」
「……そんなことあるわけないじゃない」
 私の呟きは彼に聞こえてしまっただろうか。
 少し歩く速さを上げる。彼も、私の意図を読み取ったのか喋ることはなかった。
 校門にはジャージを着た教師が立っている。禿が始まっていることを気にする、体育教師だ。私は彼に会釈だけして進む。下駄箱でも、教室でも、私と会話をする人間はいなかった。自分の席に座り、静かな時間を過ごす。
 その間、考えていた。
 魔女という生き物について。
 これは、職業として認められた特別例だ。普通はこんなことはないのだろうけれど、科学が限界に達した時というタイミングのこともあったのだろう。皆こぞって私たちの血の力を欲しがった。これまで非科学的だと信じてこなかった人間たちも、次第にその情報に頼るしかなくなった。私たちもできる限りのことをしていた。血の力を乱用するなんてことは、絶対にしなかった。できなかったともいえる。
 それからは、魔女というものが世界を廻すようになっていた。天気を変え、未来を予測し、病を治す。これまでほかの人間がやっていたことを、総じて魔女がこなしていた。もちろん反対する者もいたが、それ以上に魔女という存在は固定観念の塊であるがために、皆うかつに口を開けないと思いこんでいたようだった。「下手なことを言ったら殺されるかもしれない」などといった噂も流れる。しかし普通の人間はそんな言葉など相手にもしなかった。
 魔女がどの仕事に就くかは、血の力の種類による。必ず何かの力に秀でているのが私たち魔女だ。自然に近いものは空を操る。人間の限界を超えるものは時間を視る。生物の源を知る者は異常を正す。ほかにも色々な種類がある。そしてそれに合った職業が与えられる。
 多くの人間は魔女の血を得ることに喜ぶが、正直いいことばかりではない。大人になれば比較的簡単に制御できるこの力も、私たちのような年代ではいつ暴走するかわからないのだった。そのための本であり、印なのだけれど。
「…………」
 教師がつまらなそうに板書をする。周りの生徒は眠そうにそれをノートへと書き写していた。
 私は、授業とは違うものをノートへと書き連ねる。
『一階の空き教室の窓が割れる』
 その文字か書き終わったと同時に、耳をひっかくような音が学校中に響いた。皆目が覚めたように外を見て、そして窓から乗り出して下を見る。体育の時間にやっていたソフトボールの球が、こちらまで流れてしまったようだった。一階にある空き教室の窓が割れてしまったらしい。
 私はノートに書かれた文字と今起こったことを見比べて、小さくため息をついた。
「おい。もしかして、さっきのお前がやったのか?」
 彼が小声で呟く。
 私は首を横に振ることしかできなかった。
 私に流れる魔女の血は、少しだけ違う。
 風の向きを変えることもできなければ、時間の経過を言い当てることもできない。ましてや、傷ついた人間を癒すこともできない。
 物事の、終わりを知っているのだった。
 どんな些細なことからでも私は知っている。いつも頭の中に言葉が漂っているというよりは、ふと思い出したように、昔の記憶がよみがえってくるように、その事実を認識する。すると、その言葉を追いかけるようにあらゆるものが壊れていくのだった。誰かのシャープペンシルの芯が折れることも知っている。誰かの親族が亡くなることも知っている。世界のあらゆるところで起きる事故のことも知っている。そして、この世界が長く持たないことも知っている。
 私が魔女の血を受け入れるということは、それらの事実を周りの人間に言わなくてはいけないということだった。そして、物事の終わりは人々を怖がらせるだろう。緊張させるだろう。何より、多くの人間が混乱してしまうはずだ。事前に対策を練ることもできるだろうが、魔女の言うことに間違いはないから、今のうちにやれることをやらなくてはいけない。そう考えるはずだ。
 その責任を、背負うことが私には出来なかった。魔女としてではなく、一人の女子中学生として、重みに耐えられなかった。だか私は、誰にも言わない。魔女の血を腐らせるつもりで、口を閉ざす。そして、近づく世界の終焉にのみこまれて、綺麗に消えるのだ。
『遠くの国で空が二つに分かれる』
 ノートに書かれた一つの文章。
 ついに、始まってしまった。

【情報】
お題:朝、魔女、最悪のヒロイン

2012.09.26 21:57 作成
2023.12.03 22:42 修正

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