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観光災害と復興について

 観光は21世紀の基幹産業と言われている。実際にスペインやイタリアなどの南欧は観光大国であり、スペインは外国人観光客が6800万人、国際観光収入では565億ドル。世界第3位を記録するスペインの観光産業は国のGDPの10%も占めている。スペインは2012年に深刻な経済危機に直面して、2013年には失業率が26.4%を記録するほどであったが、その中でも観光産業だけは伸び続けた。これまでは生活者相手に商売していた多くの人々は、観光客を相手に商売を始め、それで救われた部分も多分にある。

 しかし私がバルセロナに住んでいる限り感じるのは、街の中心部の状況はもはや観光客に完全に占拠されている状態であると言ってもいいかもしれない。地価はどんどん高騰し手頃な部屋は無くなってきている。街の目抜き通りであるランブランス通り沿いや旧市街地で提供されるランチは毎日の生活者が食べられるような価格ではない。しかもその大半はツーリスト向きの冷凍パエリアだったりする。

 しかも地元の人が経営しているのではなく、居抜き物件を買い取って中国人が経営しているものや、チェーン展開されてているような店も目立ってきている。20年前は地元の買い物客で賑わっていたボケーリャ市場の中には、ツーリスト向けのオープンレストランに代わってしまった場所もたくさんある。

 もはや街は一体誰のものなのか。急激に観光化が推し進められることによって完全にテーマパークと化していく。こうした事態を私は「観光災害」と呼ぶことにした。
 しかし観光災害と呼んで批判するのは簡単だが、ではそれに代わりうる方策はあるのだろうかという疑問が立つ。バルセロナの観光化は目に余るものがあるが、それを生業に生きている人々もたくさんいる。経済的な問題がある中で代案がないにもかかわらず、観光客を規制し、その観光客を相手にする商売を規制することも現実的には難しい。
 しかし一方で街の中心部に街の人が住まない街のリアリティとは一体何であるのか。そう考えるとやはり観光災害と呼ばざるを得ない状況がある。日本もこのまま行くといずれそうなるであろう。観光災害があるのであれば、そこからの復興も必要になるだろう。

 バルセロナは現在観光災害が進行中であるが、そのような観光災害がいち早く訪れたのはイタリアのヴェネツィアである。潟の中で隔離された都市なので、テーマパークと化すのは早かった。
 しかしそのような中でも何とか地元に根付いて観光業を進めていけないかと模索する動きはある。今回翻訳した記事はヴェネツィアで活動する夫婦についてだ。バルセロナはヴェネツィアほどではないが、このままいけばいずれ近いうちに同じことになるだろう。その前に対策が打てるかどうかが鍵だ。

"観光はヴェネツィアを破壊しているが、生存のための唯一の方法でもある"

Catherine Edwards 18 July 2017 08:41 CEST+02:00
日本語訳 花村周寛

 ヴェネツィアは数世紀に渡って観光地のトップを占めてきた。しかし近年、ヴェネツィアはマスツーリズムに対して奮闘しており、訪問客と地元住民との間の緊張は日に日に大きくなっている。
 17世紀よりヴェネツィアへの旅は、欧州北部の上流階級がイタリアへのグランドツアーをする際の通過儀礼のような道で、貴族や上流階級たちは、この干潟にある都市に旅の途中に集まってきた。
作家や芸術家は水面に反射してきらめく印象的なヴェネツィアの町並みから受けるインスピレーションに酔いしれ、ヴェネツィアはイタリアのロマンスの象徴になっていた。
 21世紀まで話を早送りすると、この都市は観光の重みによってうめいている。安い航空券、巨大なクルーズ船、そしてインスタグラムでのシェアなどが、数多くの旅行者を引きつけ、今や訪問者の数はベネト州の州都の住民より多くなっている。観光の種類と数には制限がなくなり、訪問客の大半がこの都市に宿泊しないという問題が起こっている。つまり観光客の大半が同じこの小さなエリアの中で、時間とお金を費やしているためである。
 スモールビジネスや地元の伝統的な職人の店は、同じような土産物を売る売店やファーストフードのレストランに代わり、日帰りでバーゲンを買い漁る客に応じて商売するようになった。近年では、地価を上げ故郷から多くの家族を追い出すマスツーリズムに対して、ヴェネツィアの住民達は頻繁に反対運動を起こしている。
 しかし、観光客はヴェネツィアを救う鍵を握っているのだろうか。
「ヴェネツィアは観光という一つの産業に依存した都市である。それは私たちの体が生きるために食料に依存しているようなものだ。」と地元住民のセバスティアン・ファガラツィは言う。
「しかし発展や繁栄のためには、適切な食べ物、適切な観光が必要だ。もしそれが適切でなければ死に至るだろう。」

セバスチャン・ファガラツィの家族はマスツーリズムによって生まれた圧力で、経営するテキスタイルの店を閉めざるをえなくなった。彼の友人たちも全員が街を離れたと彼は話している。

ファガラツィとそのパートナーでフランス生まれのヴァレリア・デュフロは、ヴェネツィアでの責任ある観光の促進と地域ビジネスのサポートを目指して、「ヴェネツィア・アウテンティカ」というベンチャー企業を立ち上げた。
 昨年の夏に、怒った地域住民たちが「観光客は出て行け!お前たちは街を破壊している!」というフライヤーを街中に貼った事件があり、それを起点に観光客へのフラストレーションは大きくなってきている。このカップルは観光客がヴェネツィアを救う助けになることを信じているだけでなく、もしツールが与えられれば、かなりの数の人々が同じような抗議行動をしたがるだろうことも理解している。
 「観光は大きな問題であるが、同時に唯一の解決法でもある。」ファガラツィは地域にそう語りかける。「誰もが“度を超えた観光”には反対するが、誰もすぐに効果が出る方法を模索しようと努力しない。」


デュフロが今のパートナーのセバスチャン・ファガラツィに出会ったのは、まだ彼女がここに住む前のヴェネツィアだったが、この街に観光客の場所とゴンドラ以上に何かリアルな側面を発見するのを難しかったことを覚えている。
 「地元の人と話すようになり、そしてセバスチャン・ファガラツィに会ったことで、私はこの街のことたくさん学び、以前よりも楽しむことができるようになりました。しかし最初はそうした情報を手に入れるのも非常に難しく、街へのポジティブな影響についてはほとんど分かりませんでした。」と彼女は言う。

 この30歳の女性がヴェネツィア・アウテンティカのアイデアを思いついたのは、街のメインストリートを歩いているある日のことだった。彼女は片側にクルーズ船の観光客の群衆が見え、もう片側に若いヴェネツィアの住民が旗を掲げて地元の歌を歌っているのが見えた。

「その時に頭の中に閃光が走りました。もしこの二つのグループがお互いに知り合うことができたら、素晴らしいことになるのではないかと。他の人々はこうした観光客がヴェネツィアに悪影響を及ぼすことを気にしていることはわかっているけど、もしこの観光客のほんの少しの割合でもこういう風に考えるなら、特に今のヴェネツィア住民の中にほんの少しでもそういう考えが広まれば、それはより大きな影響を持つことが出来るのではないか。」デュフロはそう説明する。

ヴァレリア・デュフロは2014年にヴェネツィアにやって来て、今は街を自分の家だと呼んでいる。

この二人は、都市の遺産の保護を目的として市当局によって近年導入された、新しいホテルの禁止や歴史的街区でのテイクアウトフードの規制といった対策に対して懐疑的である。

「基本的に市当局の対策は後の祭である」とファガラツィは言う。「観光を規制する市当局はそうすべきであるかもしれないが、それは無意味な政策である。週に40時間の労働をした後に休暇でやってきてリラックスしたい観光客に街の深い部分まで知ってもらうことは期待できない。すでにそうした施設は何百もある中で新しい施設にのみ規制が適用されるが、市当局に適合するような場合には例外にするべきだ。」

新しい政策に欠けているのは、ヴェネツィア住民や地域住民による起業家に対する免税や、若者への住宅支援といった具体的な支援策である。

このヴェネツィア人夫婦は自分たちのビジネスの中で、地元の起業家や職人による店舗にハイライトし、ヴェネツィアンマスクを作る専門知識や長期間かけて行う彼らの仕事を観光客へと紹介するということを通じて、地元の人々のサポートをしている。

ファガラツィは地元のビジネスが直面しているプレッシャーを敏感に読み取っている。2015年に、彼の家族はマスツーリズムの影響に伴って増していくプレッシャーに直面し、市内中心部で運営していた人気のあった衣料店を閉鎖しなければならなかった。
 彼が32歳の時、友人の大半はもはやヴェネツィアで暮らすことが出来なくなったために、街を離れざるを得なくなったとファガラツィは話した。「そしてそれは子供を持ち始めた私の世代です」
「人はヴェネツィアが洪水によって消えてしまうことを心配しますが、実際にははるかに早く消える可能性があります。」ファガラツィはそうコメントしている。「ヴェネツィア人がいない街はヴェネツィアではありません。時間はなくなってきています。」

ヴェネツィア人が自分たちの故郷に法外な価格をつけている間に、地元人口は現在、40年前の半分以下である55000人を下回ってしまった。さらにイタリアの中でも最も古くからあり、ヴェネト州はイタリアで2番目に豊かな地域であるにもかかわらず、若者の失業率は極端に高い。
 この夫婦は、地元の職人をサポートすることによって、彼らがここで仕事をしながら住み続け、そして若いヴェネツィア人が街に住み続けることのできる機会を生み出すことで、有益なキャリア築けるように願っている。


彼らのウェブサイトでは、都市に関する情報、責任ある観光のガイドライン、そして「オーセンティックヴェニス」の認定シールを持った地元のレストランや職人のお店などを紹介している。これら全ては、この夫婦とその家族、そして友人たちによって個人的に実際に試して検証したものである。ファガラツィは次のように述べている。「ヴェネツィアの誇りを生み出すためにも、こうしたビジネスが一貫してよい体験を提供できているかを確認する必要があります。」
 このオンラインガイドのほかにも、本物のヴェネツィアでの体験を探し求めている観光客に対して、いくつかのヒントがある。職人の店舗が集まる特別な街区はないが、それを探すための赤い旗がいくつか立っているとデュフロは説明する。

「もしレストランの外に立っている人が、手を招いているのを見たら、あるいはメニューや写真にいくつかの違った国の国旗が付いているのを見たら、別の方向へ歩いて下さい。」と彼女は警告している。「そしてもし“アルチザンの店”で、たくさんの種類の商品が非常に安い価格で置かれているのを見たら、それはよい品ではなく非常に危険なものである可能性があると思ってください。」
 一方で、本当の職人の店は、一つの製品に対して明確な専門性を持って取り組んでいる。例えば最もシンプルなヴェネツィアンマスクの製作でもおよそ7時間かかるが、職人による仕事を示すサインは、それが反映した価格である。

「しかし、そこの店員に工芸のことを尋ねることが最高のリトマステストになります。大量生産された土産物を売る店員は、あなたに買うようにしつこく勧めてくるか、“これはムラーノガラスです”と同じようなキャッチフレーズを繰り返してくる。職人であればどうやって作っているのかを全て答えることができるので、彼らの目が輝きだすでしょう。」とデュフロは言う。

観光に反対する感情的な語り口で観光客を追い払うのではなく、街について学ぶために観光客がもっと時間を使う方法を取ることを、この夫婦は望んでいる。

「あなたが訪れたい都市はテーマパークではなく、人々とともにある生きた都市であり、そのために訪問者が賞賛するようなものを目指して努力するのです。」とファガラツィは述べる。
 ヴェネツィア人の生活を垣間見せ、街をよりよく理解するために、観光客がよく通るところを外れて、横道や静かな広場を探すように彼はアドバイスします。それは市内の主要道路に人が集中するのを緩和するだけでなく、ユニークなショップや経験へとつながる可能性を高める。

 「ヴェネツィア人として私は迷っています。なぜならば迷子になりながら素晴らしいショップを発見するという奇跡的な体験を私はもうすることができないからです。それはハリーポッターの「秘密の部屋」のように、時々自分が探しているものに全く偶然に遭遇するようなものです。」と彼は言う。
 「ヴェネツィアはあらゆる種類の人々を常に歓迎してきました。」とデュフロは加える。「ここでは、あなたが誰であるのか、どこから来たのかは関係ありません。ただヴェネツィア人とその街をちゃんと扱うかどうかです。」

(日本語:花村周寛)


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