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場の力

聖地のフィールドワークしていると力を持った場に出会うことがある。
言葉では何とも言い難いが、明らかに他の場所とは空気感が異なるのだ。
そうした場の持つ力とは一体どういうものなのかを考え続けている。
聖地は顕著にそうした場の力が強い性質を帯びているが、聖地だけではないだろう。
人間の身体と精神に影響を及ぼす場の力というのがあるのではないかと思う。

ここで言う場の力とは物理的に目に見える形態だけを指すのではない。
目に見えないようなものも含めて、人間あるいはその他の生命に影響を及ぼす場の力である。
その場の力は自然に作られたものであっても、人為的に作られたものであっても帯びることがある。
それが計算されたものなのかどうかはともかく、結果としてその場が持つ特殊な力がどのような条件や要素から成り立っているのかに関心がある。
もちろんそれが解明されたからといって、それがそのまま場の力の創造につながるかどうかは分からない。しかし場にどのようなコードがあるのかを残しておくことは、後々それを応用する際のヒントになるであろう。

現代の近代以降の建築家やランドスケープアーキテクトは、場の力を活性化させるという考え方に立って空間設計をするというスタンスにはあまり立たないかもしれない。
場の力など前時代的に捉えられ、コンセプト重視の抽象的な思考か、社会の機能的な要請から空間設計されるというスタンスの方に主眼が置かれる。
しかし、すでにその場にある条件をどのように増幅・拡張するのか、あるいは抑制・制御するのかという設計方法は、近代以前では通常であったのではないだろうか。
それは自然の法則や宇宙の摂理へと通じていることがある。
そうした自然やその土地特有の場所性への観察眼を持って、意図的に場の力が操作されたようなデザインは研究に価する。
それは単に美しい形態を模索するということだけに終始しないデザインだからだ。あるいは機能的に要求されていることだけの処理ではないようなデザインであるとも言える。
というよりもそこで要請されている機能が、今の機能とは観点が少し異なるのではないかと思うのだ。
 その場に流れる力を繊細な感性で読み解き、それを演出し調和させていくことは、自然の摂理に寄り添って場を改変していく行為である。暴力的に人間の力だけで場を創造しようというような不遜な態度とは正反対にある。

 場の力を具体的に考えると、それは場に流れるエネルギーと関係している。

ヒントは幾何学の中にある。運動つまりエネルギーは幾何学に支配されている。その結果として固定される形態も幾何学に支配されている。エネルギーは目には見えないが、形態はそのエネルギーつまり運動の跡として目に見えるものになる。在天成象・在地成形という中国の言葉は、天にあるエネルギーが地の形を作るという意味である。運動と形態というのは関係があり、どのような物理的形態も運動の結果が固定されたものであるとも言える。だからそれらの関係を紐解くことが目に見えるものと目に見えないものとの間をつなぐヒントになっているのではないかと考えている。
 目に見える要素とは空間的に場を構成する要素であり、壁面や天井や床という固定されたものである。
一方で目に見えない要素とは時間的に場を構成する要素である。それは時折見えたり見えなかったりする。光や水分や空気や音といった流動的な要素だ。あるいは電気や磁気のようなものも含まれるかもしれない。よりスケールを上げると、太陽や月、星座といった星の運行も時間的に場を構成する。そうしたものとの呼応関係の中で、場のデザインが決められているものが古代の設計原理の中には多い。
 それに加えて人間の想像力というのがそこに加わる。その土地に何代も受け継がれてきたような想像力。それは神話や伝承のような形となって世代を超えた共同的な想像力となる。それも目に見えないが場の力の一つである。
ともかくそうした場の力とは一体なんであるのかを経験的に知るために、世界の聖地のフィールドワークはまだしばらく続けねばならない。


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