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「まなざしのデザイン」を届けたい

「まなざしのデザイン」を出版してから7ヶ月が過ぎた。だが出版から3ヶ月が過ぎて本屋から姿を消し、7ヶ月経って読んだという声も聞かなくなり、僕のメッセージは届けたい人たちに届いているとは言いがたい現実を突きつけられた。
僕はこれまで本を書けば人に届くと思っていた。そこに込められたメッセージが本当に大切なものならば、本を読んだ多くの人は、僕がお願いしなくてもきっと勝手に広めてくれると思っていた。一緒に作ってきた出版社やプロモーターの方や、これまで講演を聴いて共感してくれた多くの方々が、それぞれなりの方法で自発的に主体的にメッセージを伝え続けてくれると、どこかで期待していたのだ。
しかし自分の認識は随分と甘かったことを発見した。多くの人は買ってはくれたが僕の本を最後まで読んでいなかった。そして近くの人ほど読み始めてもいなかった。そして僕の話を聞いたことのないさらに大勢の人々は、この本の存在すらも知らなかった。
どこかの大手のメディアに取り上げられたわけではない。むしろ自分からそうしたメディアを使うようなことを避けていた。どこかで売名行為のような後ろめたい気がしていたからだ。
それよりも人の共感する能力や、良いメッセージを伝えたくなる気持ちを信じたかった。だから出版直後に一時帰国し全国各地へ話して回り、出来るだけ多くの人々に直接声を届けようとしてきた。実際にその時に多くの方々に支えてもらった。
4月に日本に帰国してから社会の様子を見ていた。まなざしが自由になっているどころか、さらに閉塞している感じがした。だが世界はもっと閉塞しているように思えた。バルセロナの独立運動のさなかに実際に命を削りながら最後の章を書いていた時と何も変わっていなかった。ますます小さな範囲しか見なくなっている社会のまなざしに危機感を募らせていた。
どこかで自分の役割はメッセージを作ることであり、広めるのは他の人の仕事だと思っていた。メディアが逆に探し当ててくれることを期待していたし、そういう状況をつくるのはプロモーションの専門家にまかせようと思っていた。しかしそうやって人任せにしていた結果を自分は受け取ることになったのだ。
今こそ恥も外聞も捨てて、批判や誹謗を恐れずに、そして人に頼ることなく自分の手で、メッセージを伝え広めるところまでせねばならないことをはっきりと理解した。
だからどうか皆さんに助けて欲しい。それぞれなりのやり方で構わない。拙著「まなざしのデザイン」を最後の12章と”おわりに”まで読んでくれて、なおかつその内容に共感してくれた方。どうかこのメッセージを広めるお手伝いをしてもらえないだろうか。どんな小さなことでもいい。ほんのささいなことでもいい。誰かに呟くだけでもいいし、本の名前を紹介してくれるだけでもいい。僕もこの話をするためならどこに行ってもいい。どのような方法でも構わない。どうか手を貸して欲しい。
出版から7ヶ月経ち、新聞や大手メディアはもう話題としては取り上げない。大手広告代理店に協力してもらうような予算はないし、そもそも関心も持ってくれない。最後まで読んでくれた人はそうではないことを知っているはずだが、まだまだ多くの人は芸術の本棚に置かれたこの本を「デザイン」の本だと思っている。
僕は名前の知れた人間でも、力を持った人間でもない。そして僕はプロモーションの専門家ではない。でもわずかながらでも本書に触れて深く共感してくれている人は居ると信じている。
おそらく自分の人生の中で、もう二度とこうしたプロモーション活動と呼べるようなものを自らの意思ですることはないと思う。だが今回ばかりはどうか助けて欲しい。
これまで助けてくれた人たち、そして最後までこの文を読んでくれたあなたにただ感謝したい。本書によって1人でも多くの人が自由になることを願っている。

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