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5-1まなざしの高度と進化

「まなざしのデザイン」没原稿:第5章「心の進化」01

 あらゆる生命は環境に適応させて身体を変化させてきた。ダーウィンの唱えた進化論が正しいとすれば、環境に適応した身体を持ったものだけが生き残り、その他の遺伝子は淘汰されていく宿命にあると言える。地球には約40億年前に原始生命が生まれたと言われているが、その頃からずっと継続されている生命の進化の中で我々人類はどのように位置付くのだろうか。

 進化論というものがもし正しいとして、我々人間がその進化の頂点に立っているということを受け入れるのであれば。チンパンジーとの遺伝子の違いがわずか1.6%の我々ホモ・サピエンスはなぜ進化したのだろうか。実はその秘密の一つに私たちのまなざしの高度が関係しているのではないかと疑っている。猿から人間へと移り変わっていくときに、私たちのまなざしはどんどんと高いところへと上がっていったのだ。

 霊長類の進化の歴史は約8500万年前まで遡ることができるという。近年明らかになってきているのは、約6500万年前頃(*1)の白亜紀末期頃に最も初期の霊長類と考えられている種が北米で誕生し、ユーラシアとアフリカに広まったとされている。その後、約2800万年前から2400万年前頃に、霊長類からテナガザル、オランウータン、チンパンジー、ゴリラなどを含む「ヒト上科」と呼ばれる科へと分岐したと推定されている(*2)。

 樹上生活をしていた猿から、地上へと降り立ったばかりの我々の祖先は、まだ四つ足に近い状態だったにちがいない。草が生い茂る地上では四つ足の状態でまなざしの高さが地上に近いと、遠くの風景を見ることができない。周囲の風景が見えないということは生存にとっては不利な状態である。我々の祖先はだんだんと体重を後ろ足で支えることでまなざしの高さを持ち上げたと考えられる。少なくとも1856年にその説を唱えたレイモンド・ダートはそれを信じていたのではないか。

 そしてその後、初期の人類であるアウストラロピテクスは約400万年前にアフリカで生まれたとされているが、既に直立二足歩行の姿勢を取っていた。脳容積は現生人類の約35%程度の500ccであるが、身長は約120㎝から140㎝と言われており、既にサバンナのステップから頭を出して遠くを見渡せていたのではないだろうか。

 さらに時代が下ると、直立二足歩行していたヒト亜属のうち、脳が発達したヒト属が現れる。いわゆるホモ(HOMO)属と言われる種で、我々ホモ・サピエンスはこのヒト属の一番新しいものであると言える。最初の種であるホモ・ハビリスはアウストラロピテクスから分岐し、約240万年前から140万年前ごろに生きていた種であると言われている。脳容量は現生人類の半分の700ccほどであり、身長も大きいものであってもまだ135㎝ぐらいだと考えられている。

 さらに時代が下ると、いわゆるジャワ原人、北京原人などの呼び名で知られるホモ・エレクトスが現れる。ホモ・エレクトスは約180万年前から約7万年前ごろまで生きていた種で、脳容量も現生人類の75%程度の950cc〜1100ccまでと大きくなっており、身長も成人男性で140㎝から160㎝と、まなざしの高さがさらに持ち上がり、遠くの風景が見渡せたに違いない。

 その後、進化上の謎の一つとされているネアンデルタール人が約35万年前に地球上に出現し、2万数千年前ごろまで生きていた。かつて旧人と呼ばれていたネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスの直接の祖先ではないとされているが、最近の学説では我々のゲノムにネアンデルタール人の遺伝子が数%混入しているという研究結果も発表されている。

 その真意がより明らかになるのは今後の研究を待たねばならないが、興味深い事実はネアンデルタール人の身長が165㎝ほどであったのにもかかわらず脳容量が現生人類の約110%にあたる1600ccもあったということだ。絶滅に関しても謎の多いネアンデルタール人は我々の進化を考える上で、もう一度見直されてもいいのではないかと思う。

 そして現生人類であるホモ・サピエンスの登場は約4万年前ごろに出現したクロマニヨン人あたりに端を発しているとされている。現在のヨーロッパ人の祖先であるとされているが、身長が180㎝前後、脳容量も1500cc程度に達するまでになっている。これらが指し示しているのは、脳容量つまり知能と呼んでもいいのかもしれないが、頭の良さと比例してまなざしの高さが猿の頃から徐々に上がってきているということが理解できる。

 では今の我々はどうだろうか。人類学では現在の人類全体の成人の平均身長は165㎝、脳容量は約1400ccとしている。もちろん個体差はあるにせよ、現生人類はクロマニヨン人の頃よりも概して脳容量も小さく、まなざしの高さも低くなっていることが分かる。

 もちろん、まなざしの高度と知能との間に相関性があるかどうかは明らかにはなっていない。しかしこれまでの人類の進化の経緯を見てみると、人類はまなざしの高さを物理的に上げて脳容量を増やすことを途中で止めたと言える。肉体的な状態を変化させていくということが進化の方向性だとすれば、人類はむしろ進化ではなく退化していると言ってもいいのかもしれない。

*1:高井正成 霊長類の進化とその系統樹 (霊長類の進化を探る)
*2:Nature2010年7月15日号

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