欧州連合設立の経緯と加盟の趨勢

 欧州連合すなわちEUの起源を遡ると冷戦時代へ行き着く。冷戦の中、ヨーロッパを統合させようという機運が高まり、ロンドンとパリに事務局を置く「欧州運動」という国際機関が1948年に設立される。その後フランスの首相・外務大臣のロベール・シューマンによって、経済と軍事における重要資源の共同管理構想が掲げられた“シューマン宣言”が1950年5月9日に発せられる。このシューマンの構想を基礎にして、欧州石炭鉄鋼共同体設立条約が策定され、「欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)」が設立される。西側諸国ではこうした統合の重要性が認識されるようになり、1957年には経済分野での統合とエネルギー分野での共同管理を進展させるべく2つのローマ条約が調印される。それによって1958年1月1日から「欧州経済共同体(EEC)」と「欧州原子力共同体(Euratom)」が発足する。

 このECSCとEECとEuratomは発足当初はそれぞれ個別の機関として活動していた。しかしそれらを1つの枠組みの運営機関として統合することで効率化が目指された結果、1965年にブリュッセル条約が調印される。それに基づき1967年に「欧州共同体(EC)」が発足し3つの共同体が統合される。

 その当時のEC加盟国はフランス、西ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの6か国であった。その後EC加盟国は増え続け、1973年1月1日からイギリス、アイルランド、デンマークが加盟する。1981年1月1日からギリシャ、1986年1月1日からスペインとポルトガルが加盟する。

 1989年ごろから東欧諸国で政変が続くことでECの状況が変化し始める。1989年のポーランドの独立から始まり、11月9日のベルリンの壁の崩壊によって東西ドイツが統一され、東ドイツで復活した5州が西ドイツに編入された。共産圏の崩壊によりECは経済統合だけでなく、政治においても協力関係を強化することが求められるようになる。そこでECの枠組みを見直し、1992年2月7日に欧州連合条約が調印され、1993年11月1日より「欧州連合(EU)」が発足することとなる。

 1995年1月1日からはオーストリア、スウェーデン、フィンランドがEUに加盟し、2004年5月1日には旧社会主義陣営のエストニア、ラトビア、リトアニアなど東ヨーロッパ諸国を含む10か国が加盟する。2005年からはスロベニアが加盟、クロアチアとトルコは候補加盟国となり協議が行われた。2007年1月1日からはルーマニアとブルガリアがEUに加盟する。

 従来の基本条約では加盟国数の上限を27とすることが想定されていた。そのため2009年のリスボン条約では将来の新規加盟の受け入れ態勢を整備するという目的もあった。その結果、2013年からはクロアチアが加盟したことにより現在28カ国がEUの加盟国になっている。

 クロアチアに続き旧ユーゴスラビア連邦の国々である、セルビア、モンテネグロ、マケドニアがEUに加わるべく準備を進めている。また旧ソビエト連邦の国々であるグルジアやウクライナ、モルドバなども将来的な加盟を模索している。

 トルコは1970年代からEUへの加盟を求めている。欧州理事会では2005年にトルコを加盟候補国にしているが、トルコの人口規模や宗教の違い、近年の移民問題やイスラム原理主義勢力の台頭などが懸念事項となっている。またクルド人などの国内少数民族の権利の不徹底、キプロス問題で加盟国のキプロス・ギリシアと軍事的緊張状態にあることなども加盟を難しくする要因となっている。

 一方でEUはイスラエルとは緊密な関係を築いている。EUの一部の政治家からはイスラエルのEU加盟に賛成の意見も出されている。パレスチナ問題にもEUは積極的にかかわっており、中東カルテットの一角を担っている。

このほかにも西アジアや北アフリカの地中海沿岸諸国とは欧州・地中海パートナーシップや、欧州近隣政策などの枠組みを通じて関係を深めている。また2008年に発足が決定された地中海連合では多くの分野での統合や協力関係の構築を進めることを目指している。

 また、2009年5月には東欧諸国との関係強化を目指す常設協議「東方パートナーシップ」が創設された。対象国はアルメニア、アゼルバイジャン、ベラルーシ、グルジア、モルドバ、ウクライナである。


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