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国民国家と多様性

政治的な観点からでは、統治形態としては大きく専制と君主制と共和制がある。専制と君主制は身分的な支配層による統治で、共和制が身分制ではなく人民が決定権を持つとされる。
スペインは「立憲君主制」の国家だが、これは欧州でも2017年現在では12カ国しかない。19世紀の初頭には君主制の国は欧州で55カ国あったとされる。逆に共和制は9つしか無かった。
つまり近代まで大多数の国家は君主制だった。それに対して君主制を廃止する形で共和制が拡がった。そのプロセスに革命がある。
現代で基本的に踏襲されている政治システムは主権国家体制と言われている。
共和制は民主主義とは必ずしもイコールではない、貴族による共和制というのもあるからだ。その場合は民主主義と共和主義は対立する概念であるとも言える。
「民主共和制」が生まれてきたのはアメリカの独立運動が転換点だ。アメリカには貴族が居なかったので、民主制の色合いが濃い共和制となった。
ちなみに古代ギリシャではポリスと呼ばれる都市国家があったが、ペルシャのような君主制の国とアテナイのような民主制の国の両方があったという。
どちらが良いかは議論が分かれていて、プラトンは君主制(あるいは混合制)を理想とし、アリストテレスは民主制を理想としていたらしい。モンテスキューは共和制と君主制の連合共和制を理想としていた。
これは国のサイズとも関連するという説もある。
帝国のような大きなサイズでは専制以外にはあり得ず、逆に小さな領土は共同体が見渡せる共和制の方が概してうまくいく。君主制は中規模の領土が向いているようだ。
さて近代国家の典型の一つとされる国民国家(Nation State)も欧州で生まれた。Nationは文化的・民族的な意味合いで、Stateは政治的・地政的な意味合いだが、国民国家は建前的には民族の同質性に注目して、それを前提に統合される形になっている。
背景としては国際社会の中での近代国家に移行する時代だ。外の異民族に対して同じ民族としてのアイデンティティの獲得と帰属意識が醸成され、歴史や言語、そして経済圏が整備されていくプロセスが踏まれた。
国民国家は1789年のフランスの共和制、1848年の「諸国民の春」の革命、1861年のイタリアの統一、1871年のドイツの統一などによって徐々に成立していく。その背景の中で、スペインも1873年に第一共和制となる。
こうした国民国家で主権が民主的な共和制を背景にして、連邦制国家という考え方も出てくる。これは二つ以上の国が一つの主権の元に結合して形成される国家で、今でもアラブ首長国連邦やオーストリア連邦、スイス連邦、ロシア連邦などがあり、そしてドイツも連邦制国家だ。
連邦制国家は対外的には単一の主権国家だが、対内的には盟約を結んだ構成体同士の独立関係を維持し統治する。
これはある意味で多民族国家には向いている形態だとも言える。1943年から1992年まで続いたユーゴスラビア社会主義連邦共和国もその一つだ。「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と銘打たれたユーゴスラビアは実に多様な民族から成り立っていた。それまで民族間の戦争を繰り返していたバルカン半島の歴史への反省から、「兄弟愛と統一」というのがスローガンとして掲げられた。その理念は少なくとも終身大統領だったチトーが生きている間はうまく治められていたと言えるのかも知れない。
もちろん”表”に出ている歴史だけでは物事は進んでいかないのが政治の世界だ。誰が生き残るのかを決めるのが政治だとフラーは言っていたように、裏側にはここには書けないような様々な力学が働いているだろう。
しかし少なくともバラバラの民族が一つの国家としてうまくやるためには、互いの民族の違いではなく同質性を認め、互いにメリットを分け合うことが重要だろう。
スペインは一枚岩ではない。カタルーニャやバスク、ガリシア、アンダルシア、ナバラやアストゥリアスなど様々な構成体から成る。現在の立憲君主制という形態は連邦制国家と違ってそれぞれの主権が認められにくいのかもしれない。
調子の良い時は互いの違いには寛容になれる。しかし危機になった時には必ずアイデンティティ問題となるのが人間の性だ。そうなると民族の差にまなざしが向き、誰が生き残るのかという問題となる。結局ユーゴスラビアが解体したのもこの民族自決権を巡る問題だった。
現代では表向きには「多様性を認め合う」ことの重要性が掲げられる。それはその通りなのだが、しかし同時に我々の同質性や普遍性にもまなざしを向ける必要がありそうだ。「多様性」に力点を置くのも大切だが、「認め合う」ことに力点を置くことの方がより大切なように思える。





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