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肉と水のどちらを取るか

⚫️穀物消費量の内訳
 個人的な食事という行為から問いかける作品「Body in Food」をバルセロナで発表した。そこで出したメッセージは我々の健康の問題から始まり、食べ過ぎるライフスタイルが世界全体に引き起こす結果について問いかけた。
 世界では現在年間に約25億トンの穀物※1が生産・消費されている。これを全世界の人口約73億人で等しく分ければ、一人当たり約340kgの穀物を手にすることができる。これは私たち日本人が現在年間に消費する159kg※2の二倍以上である。
 一方で世界では約8億1500万人の人々が飢餓で苦しんでいる現状がある。これは生産量の問題ではなく、消費量の偏りと分配の問題である。もう少し現状について知りたいと思うので、消費される穀物を利用用途別に少し調べて見る。
 穀物需要の約 5 割を占めているのは 「食用」である。これは文字通り、我々人間の口に入る穀物である。2050年には97億人になると予想される世界人口※3を考えれば、今よりも1.7倍もの食料を増産する必要がある。
 残りの5割の内で2割は「工業用」となっている。いわゆるバイオエタノールなどの燃料に使用される分である。8億人の人間が口にできない一方で約2割が燃料となっているのは皮肉である。
 もう一つ重要なのが最後の3割を占める「飼料用」の穀物である。飼料用とは文字通り家畜のエサとして消費される分である。つまり穀物を鶏や豚、牛などに与えて、穀物を食肉に変えて消費するといえる。この飼料用の穀物が今後の穀物需要を左右する鍵になると見られている。
 単純に変換して考えてみる。「飢餓と肉食」というウェブサイトによると鶏肉を1kgつくるのに必要な穀物は2kgとなっている。豚肉の場合は1kgに対して穀物が4kg必要だ。そして牛肉に至っては1kgつくるために必要な穀物は10kgである。つまり肉食になればなるほど穀物消費量が増えていくことになる。

⚫️肉食化する世界
 では私たちはどれぐらい肉を食べているのだろうか。米国農務省の2012年のデータを見てみる。世界の食肉生産量は2億5300万トン、それに対して消費量は2億4900万トンとなっている。これは2000年のデータに比べると約3割伸びているという。
 一人当たりの食肉消費量として顕著に伸びているのはベトナム(約100%増加)、インド(約92.5%増加)、インドネシア(約59.0%増加)、マレーシア(約43.0%増加)などのアジア諸国である。
 これは増加率なので、アジアで肉食が盛んに行われているという単純な理解ではないのかも知れない。各国の1 人当たり食肉消費量の合計値で見れば、国ごとに極めて大きな格差が存在している。1人あたりの食肉消費量の上位5カ国・地域であるアルゼンチン(110.8kg/人)、米国(114.0kg/人)、ブラジル(101.7kg/人)、オーストラリア(97.0%/人)、EU(77.7kg/人)に対して、増加率100%のベトナムは37.6kg/人の食肉消費量、インドに至っては4.2kg/人である。
 だからアジア諸国が肉を食べるようになったとはいえ、欧米に比べるとまだまだ一人当たりの肉食の度合いは低いと言える。その要因の一つは所得水準であるという考察もある。
しかし世界人口の約37%を占めるインドや中国などの国の一人当たりの食肉消費量が上がることは、世界全体として膨大な肉食化が進んでいることには変わらない。
 ちなみに日本では、2000年時点での43.5kg/人の食肉消費量に対して、47.2kg/人となっており、8.6%の増加となっている。過去40年でみると牛、豚、鶏の消費量が10倍以上になったというデータもあるそうだ。他のアジア諸国に比べるとわずかかもしれないが、感覚的にも数値的にもこの12年の間に日本でも世界でも肉食が進んでいることには間違いないと思われる。

⚫️肉食と水不足問題
 2016年4月にウィキリークスがネスレによる調査の機密文書を暴露した。内容は、2050年までに世界は極端な水不足に陥る可能性があるというショッキングなものだ。その原因となっているのが食肉であるという。肉を作り出すために必要な穀物を育てるための水はその肉の約10倍の量が必要だという。
 報告書の中では水不足が2025年までに世界人口の約3分の1に影響を与えると言われている。さらにこのまま続ければ2050年には壊滅的な状況になっていると警告を発している。
 現在のアメリカ人の食事は1日あたり平均3600キロカロリー。その中で肉の占める割合はかなり高い。もしこのまま全世界の食肉消費量がアメリカ人なみになった場合、60億人を支えるだけの水資源しかなくなる。
人口動態というのはほぼ予測通りに動くので、2050年には97億人の世界人口になっているとすれば、残りの37億人は水すら飲めない可能性が出てくる。それはもう持続可能なレベルとかいう話ではない。
 英国のガーディアン紙で報じられた世界保健機構(WHO)が2013年の時点で出した報告によると、現在でも約7億8000万人以上の人々が清潔な水を手にできない状況にある。水不足によって命を落とす人々は毎年300万人を超えているということだ。
 記事の中には経済へ与えるダメージも2050年までに深刻化するとある。2050年までに、水不足による原因で 中東ではGDPが14%落ち、中央アジアでは11%落ちる事態となり、私たち日本を含む東アジアでも、GDP が 7%削ぎ落とされる可能性があると報じられている。
 東アフリカ、北アフリカ、中央アジア、南アジアの一部で深刻な水不足が発生することが予測される一方で、北米とヨーロッパは水不足の予測はされていないとある。
 ガーディアンが報じた中では家畜による水の消費ついては触れらておらず、水道管のメンテナンスや管理体制に焦点が当たっている。しかしいずれにせよそのような水不足がやってくれば家畜に水を与えている場合ではなくなってくる。

⚫️Think Global, Act Personal
 食べ物は2週間食べなくても何とか保つかもしれない。しかし水は3日飲まないと立てなくなってしまう。空気に至っては90秒吸えないと危ないだろう。
水は地球の血液のようなもので、大きな循環の中で地球全体を巡っている。だから水が乱れれば全て乱れる。
 僕は肉が嫌いではない。むしろ好んで食べる方だし、美味しく楽しく食べたい。しかしそれ以上に水がなくなると困る。肉と水とのどちらが生きるために重要かは明白だ。自分が肉を食べることが世界の大きな水不足につながることを理解すると、肉に手を伸ばすことにためらいが出るのは当然である。
 世界の状況としては一刻の猶予もならないところまで来ている。しかしそれは普段の生活における小さな範囲の視野では実感できない。まなざしのスケールを上げて全体を引いて見つめる必要がある。
世界平和や地球環境問題を題目として唱えることは簡単だ。しかしそれを個人のレベルに落として実践することはとても難しい。”Think Global, Act Local”という言葉があるが、我々は”Think Global”も、そして”Act Personal”すら出来ていないのではないか。
その中間のLocalの行動の中で、我々のまなざしは容易に政治に絡め取られる。それは文字通りの政治という意味でも、そして人心を巧みに操り己に利や名を得ようとする政治的マインドという意味でも同じだ。
地域のために、仲間のためにという想い自体は美しいものだ。しかし中間スケールのソリューションではもはや解決出来ない所まで事態は深刻化している。近距離や中距離にまなざしを奪われることで、本当に至近距離の自分自身の問題も、遠距離のこの惑星の問題も見えなくなってしまう。
 中間のスケールに我々は目を奪われるので、そこに政治が発生する。本当の意味での政治がもはや機能しなくなってきている中で、個人として粛々と実践できることの方が力を持ち始めているではないか。
己を御すことは最も難しい事である。しかしその積み重なりでしか自分も地球も守れない時代が来てしまった気がする。
だから個人の行動と地球というスケールの両方にまなざしを設定して行動する必要があるのではないだろうか。

※1 国連食糧農業機関(FAO)(2015‐2016概算値/2016年)
※2 厚生労働省「国民健康・栄養調査(2013年)
※3 国連人口基金『世界人口白書2015』

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