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【Re】2023.08.30 パリ

今回は、美術館を巡りながら考えた画家と「根明・根暗」の話。特に美術知識が豊富なわけではないので、そういう人のただの感想。

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図書館と同じく、小さい頃親と外出する場所の定番が美術館だった。当時はまあ、美術の良さなんてまるで分からず「なんだか高尚な場所に連れてきてもらっていること」を楽しんでいた気がする。

それでも、体験は身に染みついたようで、大人になってからも美術館や絵画、とりわけモネが好きで、瀬戸内の直島美術館へは2度訪れたし、睡蓮のグッズを度々買い集めている。
最初はなんとなく見た目が好き、色が好きというだけ。でも、美術の入り口なんて結局そこに尽きる気がする。

パリには5日滞在して、うち1日はまるっと美術館巡りに費やした。

オランジュリー、ルーヴル、オルセー、ポンピドゥー。この順番にしたのは、まずオランジュリーの『睡蓮』を心ゆくまで、ゆっくりと見るため朝イチに。ルーヴルは時間指定チケットが13時なので、それに合わせて。

(ちなみに前日までルーヴルの予約を忘れていて、キャンセルが出るか何度もチェックしてなんとか予約できた。ミュージアムパスでも時間指定は予約必須&30分くらいは入場にかかったので、行かれる方は予約をお早めに…!)

その後は、ルーヴルから近いオルセー。最後に21時まで開館しているポンピドゥー・センター。

結果的に、この順番でよかった。オランジュリーの睡蓮の間は、私が見終えた10時過ぎには倍くらい人が増えていたし、ポンピドゥーは閉館前ならゆっくり見れるし、何よりテラスからの眺望が素晴らしい。

睡蓮の間は一番ゆっくりと過ごした
ルーヴルのガイドはなんと任天堂3DS!
オルセーは建物にドキドキした
ポンピドゥーのテラスをひとりじめ。20時頃。


今回、パリで美術館を巡る前に、原田マハ『ジヴェルニーの食卓』を読み返した。これもまたよかった。
作中で描かれる、マティスの色づかい、ドガの踊り子の彫刻への執念、セザンヌの頑なな筆致、そして、ジヴェルニーの多幸感に溢れるモネの家と、苦難を越えて納められた温室の睡蓮。

読んだものが目の前にリアルに存在することで、ああ、そういうことか。と文章では描ききれなかったイメージが補完されるようだった。


ジヴェルニーの食卓を読んで、実際に作品を見て、思ったことがある。

マティスはきっと超根明。たぶん仲良くなれない。(話せるけど、同じグループにはなれなそう。)ドガは根明とか根暗っていうより怒りを感じる。セザンヌは根暗…というか自己肯定感低そう。モネは根明。でも、ずっと明るいわけじゃない。

偉大な画家に対してなんという物言い。でも、絵を見て、物語を読んで、人柄を感じての感想だ。

ドガの踊り子の彫刻。怒りを感じた。


私も写真を撮るけど、写真にも人柄は出る。(noteのヘッダーなども基本的に全て自分で撮影したもの)
手すがら描く絵ならなおさらだろう。

ちなみに、私は根暗だ。よく笑うし、明るいと言われるけど、根は暗い。すごく明るい部分と、すごく暗い部分があるなと自覚している。

数年に一度開いている写真のグループ展で、母が私の写真を見て感想ノートに書いた言葉は「光と影だね」だったくらいには。


根暗だけど根明の作品に惹かれることもある。ただそれは、どこか暗い部分を知っている明るさなのかもな、とモネの絵を見ながら思う。

彼の描いた睡蓮は、眩く、暗い。
深い水底に吸い込まれるかと思えば、水面の光にふっと浮上する。だから好きなんだろう。

光の画家は、きっと影を知っている。
光ばかりの世界は、うつくしくも恐ろしいことも、また。


(この流れで、印象派のぼんやりとした描写、日本画の朦朧体、ピントの合っていない写真やフレア・ゴーストに惹かれることについても、少し考えていた。また書くかもしれない。)

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