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【ストレス激減の考え方】物事にはいいも悪いもない

坐禅瞑想を始めて1年と2ヶ月が経ちました。
この積み重ねを通して
今年、2021年に非常に大きな収穫がありました。

それは「物事にはいいも悪いもない」という考え方が
できるようになったことです。

日常の出来事をこのように捉えるようになって
精神的なストレスが激減したと感じています。

かつての私は
何か出来事が起こると
いいとか、悪いとかを
自分のそれまでの価値基準で判断していました。

特に他人の自分に対する言動、行動に対して
いちいちムッとしたり、イラっとしたり
していました。

例えば
通勤電車内でおじさんに割り込まれる→イラッ!
上司から八つ当たりされる→ムカっ!
同僚がマウントとってきた→イラッ!
お客さんからしつこいクレーム→いい加減にして!
子どもがいうことを聞かない→イラッ!

そしてその感情を一日中引きずる。
翌日もいろいろなことにイライラして
イライラが毎日積み重なっていく。

なんだか自分が不機嫌な人間になっていく。
こんなスパイラルでした。

でも
これらのことは
悪い、ことでしょうか?

確かに
そういう人はいい波動を出しているわけではありません。

おじさんは急いでいて私にぶつかった
上司はイライラしていた
同僚はそう言いたいから言った
お客さんは文句を言いたい
子どもにも言い分がある

などなど
ものごとをそのまま受け取るようになりました。

「悪い」と自分が決めつけるから自分が苦しくなるのです。
なぜなら「悪い」と決めた瞬間
自分も「悪い」波動に同調するからだと思います。

ただものごとをそのまま受け取るなら
それらは彼らの単なる表現でしかありません。

しかもその表現も
彼らの一部でしかありません。

表現は各自、自由だし。
なんて思うようになりました。

相手がどんな心情であっても
自分はその波動に同調することがない。

つまり
相手の状況によって自分の心をかき乱されなくなりました。

禅語に「不動」というものがあります。
他人の言葉によって人間の心は揺さぶられてしまうものである。
だから、どんな風が吹いても動じないようする。

でも、この動じないというのは
何も感じない、感受性をもたないということではなくて

悲しい、うれしい、怒りなど
感じていい、自分の心が一瞬揺れていい。

でも、その揺れを引きずらない。
すぐに元に戻すことができる。

という意味だと思います。

私は坐禅瞑想をすることで
脳自体が変わったと思います。

「いいも悪いもない」と
理屈でわかっただけではなくて

府に落ちたと感じています。

だからわかっちゃいるけどやめられない、
ではなくなりました。

人は頭で理論的にわかっているだけでは
本当にわかったとはいえません。

本当にわかるために
私は瞑想が必要だと思います。

1日10分でいい。
瞑想をおすすめします。


私がマインドフルネスに興味をもった
きっかけはこの本でした。

そして
坐禅瞑想を始めて感じたことを本にしました。
坐禅に対してのハードルが下がればいいなと思っています。


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