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#2 ボクが僕であるために

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる
(尾崎豊・僕が僕であるために・歌詞一部抜粋)

第2回。最初の10回くらいまでは、個人的なプロフィール感覚でいきたいと思う。むしろ、自分が思い出した大切な事。と言った方が適切かもしれない。

冒頭の歌詞は、僕が敬愛する尾崎豊さんの歌詞。彼の生き様は詳しく知らないけれど、彼の声とシンプルで直感的な歌詞には心に沢山の刺激を頂いたわけで、特にこの曲の歌詞は色々な事を感じたわけです。

僕は1980年代生まれ。ロストジェネレーションなんて言われていた。バブル崩壊に始まる、根っこのなかった神話の崩壊、メディアからは被害者意識の強い世代なんて烙印まで押されていた。

けれど僕の考えは当時から違う。「本質的航海者」と僕は呼んでいた。大量の金と物で本質的な事を見失い、それを失ったことで、本質的な時代が到来すると感じたからだ。自分探し??と言われるけれど、それとはまた違う。生きる事や愛すること、夢や目標や理想と現実の新しい本質とはなんだろう??そんな疑問を解決するために生きている。勝手にそう感じていた。

事実、僕は金にまみれた幼少時代を過ごしていた。天国にいちばん近い島にそびえ立つ別荘。1年のほとんどを海外で過ごし、夜にメモを置いておけばアスクルのように欲しい物がデリバリーされる、運転手や家政婦さんがいて、何台もの高級車に、あらゆる遊び道具が用意されていた。月の小遣いに限度などなく、当時流行していたキラカードを目当てに、箱や機械ごと買ってしまうような、子供だった。

親世代のことをかっこよく思っていた。オープンカーを乗りこなして、何でも買えて、どこにだって連れていってくれる。子供からすれば、まるで神がかった業を持っているように見えたからだ。

けれどそんなイメージは、一瞬で崩れた。バブル崩壊、不動産ビジネスで財を成した会社は一気に負債を背負い、倒産。壊れるのは、いつだって簡単で速い。ものの数ヶ月で、電気水道ガスが止まるような生活から、取り立てのヤクザがきたり、さらには自宅が銃撃される事件まで起きた。当時の自分からしたら、まさに天国から地獄への転落である。

けれど何が一番辛かったか。僕はこれを家族にも話したことがないが、なぜかここで公開してしまおうと思う。一番というより唯一辛かったのは、お金がなくなったことでも、家が小さくなったことでも、玩具がなくなったことでもない。親父が泣いたこと。でした。

自分にとって神々しかった親父が初めて泣く姿を見たことが、何よりも辛かったのである。まるで石ころが永遠に続く坂を転がり続けるように、転落人生はずっと続いた。やっと止まったのが、高校生の頃。両親が離婚した時だった。

転落が落ち着くと、そこに待っていたのは、純粋なる本質的な世界だった。お金もない、頼れる家族もバラバラ。お金で成り立っていた自分の四次元ポケットもない。僕が感じたこと。

「人生で初めてのワクワク」だった。

僕は初めて自分の人生の始まりを感じた。誰かのお金に左右されることもない。こうじゃなきゃいけない!なんて概念もない。全てが自分の選択に委ねられてる。とてつもない緊張感と、ワクワクが入り混じった感情だった。そして自分の浅はかな想像を絶するほど、苦痛に満ちた時間がやってきた。

217回。これは、自分が自分の人生の始まりを感じた16歳の時から、現在に至るまでに自殺を考えた回数である。簡単に言ってしまえば、棄権したい!!と切望した瞬間の回数。僕は生まれたての赤子のように恐ろしく弱かった。

けれど217回という機会は、純粋なる結果であった。自分が確実に変化していった証だった。僕のレベルがどうしようもなく低かったから、こんな途方もない数字になってしまったのだろう。

さて、案の定自分の背景ばかりになってしまったこのどうしようもないノートをどうしたものか。(笑)急激な変化に掛けて、急激に転じていこう。

------ここから、転(笑)-----

要するに、僕は僕であるために生きることができる時代なのではないか?ということです。尾崎豊さんの真意は分かりかねますが、僕は当時がそう生きたいのに叶わない時代だったのではないかと解釈していて、逆に今はそれが叶えられる時代なのではないか。と思うわけです。

自分は幼少期に転落を味わえたことで、成人と定義されている20歳の頃には、非常に現実的な人間になっていました。その現実とは、親や学校が、夢を追うよりも現実を見ろと引用していた現実ではなく、本質的な現実です。

人生一度っきり。いくら得ようが、失うのは早し。ならば、巧妙に計画し、方法に囚われず、周囲に一切の油断をせず、攻めて攻めまくろう。と。心からそう思うようになっていました。

最強なのは、変化できる人間だと。生命の進化は、変化。ときに場面に応じては自分を退化させることだって必要だと。自分とは何なのか??それは方法や職業や役職が決めるものではないと。

僕とは何だろう?自分とは何者なのだろう??217回のリタイアチャンスを経て、僕は自分探しを自然とやめていた。自分とは、何者でもない。そんな答えに行き着いたから。

いわゆる呪縛と言えるでしょう。子供、大人、偏差値、IQ、学歴、キャリア、役職・立場、社会的通例にトレンド....
生きることとは膨大な情報の流入と処理であるのに、処理をさせないできないようにされていたと思う。もちろん、自らもその選択肢を選んでいたことも忘れてはならない。

けれど本質は全くそうではない。自分とは?なんて本来は不要なのだから。今その瞬間ずつが自分であって、常にそれは変化を続けていて。どれもが自分なのだからと。

僕が僕であるために。勝ち続けなきゃならない。という歌詞に、僕が僕なりに感じた本質はそれである。

世の中には、僕と同じように僕とは??私とは??と全ての人が葛藤をしている。それも素晴らしい自分の人生の断片なわけで。

蟻が空を飛ぶ蝶を見て、自分も飛びたいと。けれど自分には翼がないともがくわけで。その結果、翼が作られるわけで。人間だって一緒。なぜ自分はこうなのか??それでいい。だから人間は飛ぶことだって、この重力から解放されることだった叶えてきたわけで。

常に今の自分が自分であるという本質と生き、その本質と闘争する。自分が何者になるのかなんて自分も分からないのが人生。

そんな恐ろしい苦痛の連鎖こそが、優れた生命の能力であって。それを受け入れることの本質的な快楽を愉しめばいい。

そしてそのためには、人と生きることが必要なことを最後に記述しておく。217回、僕が本当にリタイアする選択肢を選ばなかったのは、紛れもない愛する人達のおかげだったからだ。

僕が僕であるために、勝ち続けるためには、今の自分を自分と肯定して否定し続けること。

僕らは本質的航海者なのだから。せめてその孤独で愛に満ち溢れた航海は、自分を肯定することから始めるわけで、自分に流入してくる情報の全てを否定し続ければいい。

僕は何者なのか。自分で決める必要なんてない。
だってそれは、自分という情報を得た人々が定義することでしょう?

本質的に僕を生きていく。多分217回という数字は1000回だって10000回にだってなるのでしょう。だからこそ人生はワクワクするし、刺激的で楽しくて、喜びに溢れるチャンスなのではないだろうか。

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