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親の最期のときまで!その期間を考る!

こんばんは、のりちゃんフード教室です。

怒涛の2023年8月‼️
早くも終わりが近づいてる。
これまでふんわり考えていたことが、現実に差し迫ってきた。

本当なら昨日参加した『ぷれいス』のビジネスカフェの話しを、、、
な〜んて思っていたけど、こっちを伝える方が先‼️

去年の今頃『ぷれいス』の名物であったわたしの母と母友。
『ぷれいス』でわたしが作ったお菓子やパン、それから惣菜もか、、、
よく3人で販売してたんだ。

その頃母は胆管がんに侵されていたけど、まだまだ元気だったの。
多少の認知はあったものの、通常の生活は問題なくできてた。
よく言う、「同じ話しを何度もする」「忘れっぽいな〜」と思うくらい。

それから嫌がる本人を説得して物忘れ外来に通った。
すると、みるみる効果が‼️
そんなうまい話はないけど、多分何もしないよりマシだったと思う。
本人も忘れっぽいって言われるのを嫌がっていたから、真剣に薬を飲んでた。

自分の中で『ぷれいス夏の陣』と呼んでる去年、劇的に忙しかった2022年の夏。
その後、3人がそれぞれに違う方向に忙しくなって、わたしは教えるというカタチで『ぷれいス』に戻ることになる。

とにかく『ぷれいス夏の陣』で地元に居場所を作ったことで、その後のわたしの人生が大きく変わるんだ。
その話は機会があったらお伝えしよっかな。

あ、そうそう、幸手市はわたしの出身地で今も実家がある。
実家は兄夫婦と両親の二世帯住宅だ。
『ぷれいス』は実家まで自転車で5分ほどの場所。
行き来は自転車を借りてる。
(いつもありがとうございます┏○))ペコ)

これが今までの話。


さて、7/31~8/17 まで18日間母が入院した。
今までの抗癌剤が効かなくなって、新しい(強めの)抗癌剤に変わったのだ。
入院時転んだり、熱を出したり、本当なら新しい抗癌剤のお試しで1週間足らずの入院予定だったけど伸びに伸びた。
主治医は体力回復のため早く退院させたいと言ってくれていたが、退院日までどんどん伸びてしまった。

入院時は母からあれこれもってこいのオファーがひっきりなしにあり、酷暑の中、大学病院までよく通ってた。
病院に行ける日、行けない日を伝えてるにも関わらず「今日来るときさ〜」から始まる自分中心な問いかけに、うんざりする反面違和感があった。

そして母の退院後、大きく生活が変わることになる。

母の入院中、大学病院の福祉科?だったかな?忘れたけど、すごく親切に今後の生活についてサポートしてくれた。

  • もう自転車で出かけることはできないだろう。

  • 毎食前の血糖値測定とインスリンが不可欠になります。

  • 訪問看護というシステムを利用できます。

印象的だったのはこれくらいだったと思う。
もう元の姿で帰ってくることはないって悟った。
ただ母が自由に歩けるのがまだ救いだったな。

実際退院したら、想像のかなり上をいく認知具合だった。
前日できたことが、いきなりできなくなった。
病院が病人を作るって言葉が頭をよぎったほどだった。

これって衝撃的で不安な出来事かもしれないけど、毎日のように母に接していると不思議と慣れる(笑)

訪問看護の契約時や大学病院の福祉の方から「終末は」という言葉を聞く度、元気に見えても最期は近いんだろうなって思った。


長くなったけど、ここからが本題‼️

重くのしかかる毎食前の血糖値測定とインスリン注射問題

今まで知らなかった訪問看護を利用して思ったのは、世の中上手くできてるんだな〜って、これが第一印象。
看護師さんは頼りになる。
早速母の退院した日に訪問看護師さんが来てくれた。
契約は週に3回のお昼1時間の枠。
週4回はわたしが母の血糖値測定とインスリン注射をしに幸手に通うのだ。

とはいえ、毎食前はさすがに負担が重い。
朝、夕は電話で母に血糖値測定とインスリン注射を促してるけど、うまくいく日とそうでない日がある。

これってイライラ💢するよね〜

疲弊したわたしを救ってくれたのは訪問看護師さんのオファーだった。
「週3回1時間の枠を週5回にして30分の訪問にしますか?」
という言葉。
今以上に手助けしてくれるなんて発想がなかったから、泣きそうになった。
この平日週5回の訪問で、わたしのお昼までに行かなくちゃという圧が来週から一気になくなったのだ。
そして兄嫁さんが夕の血糖値測定とインスリン注射を出来る限り引き受けてくれることになった。

できることはわたしがやる‼️

そう決めてガムシャラに空回りしてた。
そんなわたしのガムシャラな空回りは無駄ではなかった。
いつの間にか空回り具合が気になるのか、周りが助けてくれる。
感謝しかない‼️

気づいたら、母はお金の管理が全くできなくなる問題

母は土日関係なくお金がなくなったら、銀行でお金を下ろすの繰り返しだった模様。
通帳で確認したら、たまってた支払いがいつくかあった。

もはやまったくお金の管理ができなくなった母に代わり、兄が管理してくれるようになった。

ひとまず滞納分のうち支払えるものは全部支払い、よく分からないサプリなどの引き落としがあったら、兄が連絡して止めてくれた。
それから、わたしは幸手に週4通いするのため、兄から3ヶ月分の定期代と両親の生活費をもらい「何を買ってもいいが、よく分からないお金だけは絶対止めろ」って言われた。

そしてこれだけ管理しても「よく分からないお金」は出てくることになる。
母が父と叔母ををパシリに使い、無駄なものを買っている。
本当に人使いも金遣いも荒い母なのだ。

兄に言われたこの「よく分からないお金」は早速止めた。

両親の食事問題

母にガスレンジは使わせられない。
二世帯住宅で同居する兄から言われた。
母は火のつけ忘れ多発人物だった。
でも、かろうじてセンサーが働き、火が消えてたということが常だった模様。
まぁ、時を同じくしてガスレンジが故障したってこともあったんだけどね。

結局わたしが写真のような料理を2人分を作って今でも運んでる。

だけど、どうも母はわたしの作ったものを食べないで兄嫁に渡してるみたい。
このままでは料理の無駄だけでなく、わたしの時間の無駄に繋がる。
兄と相談してわたしは父の分だけ作って、母にはその日の食べたいものを聞いて兄夫婦に用意してもらうことにした。

「これでお前の負担も軽くなるだろ?」という兄に「負担も荷物も軽くなる」ウィンウィンだね✌️と答えつつ、これまた兄には感謝しかなかった。

毎晩カツオの刺身を食べたい母に、わたしは十分なことできないからね。
それに、味噌汁はフーズドライに決めた。
父もフーズドライの味噌汁が美味しくて驚いてたわ。
もう、味噌汁を運ぶのはホント重いのよ💦


年老いた両親に対して経験してわかったこと

母の病状に合わせた生活は、訪問看護、市の包括センターなどに相談次第でどうにでもなる。支払いはまだしていないが、思った以上に負担が軽かった。

認知を発症したらお金の管理はできなくなってる可能性大。早急に家計を見直す。

料理が好きだった母だけに両親とも味にうるさいが、82歳と87歳はもはや健康的な食事は不要。インスタントでも満足してもらえれば負担が一気に軽くなる。好きなものを好きなだけ食べさせる。食欲のないときは無理に食べさせず、お昼ごはんはかき氷だけでもOKとする。


母の友だちに「よくやるね」とか「えらいね」とか言われるけど、フタを開ければ母のためじゃなくて自分が後悔しないためにやってるだけのこと。

余談だけど、母の認知が今以下だったらガスレンジの代わりにヘルシオの高位モデルを買うつもりだった。
楽しみだったんだけどな〜
父のごはんだけの担当だったら、明らかにヘルシオの高位モデルは不要だ。

残念。

わたしの予定では今月料理のカテゴリーでユーチューバーデビューしてたけど、まだ先になってしまった。
ついでにSNS も全て滞ってしまった。

これからデイサービスの契約とか、面倒なことはたくさんある。
でも幸手に行けば、『ぷれいス』で時間も過ごせるから案外幸手行きは楽しみだったりしてるのだ♪





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