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サラ金地獄は終わったか

 少し昔を思い出した。夜の茶の間によく流れてた消費者金融、いわゆるサラ金のCMは実にこったものが多かった。もう二十年は経っているというのに、未だに忘れていない。あえて社名をあげればアットローン、レイク、プロミス、アイフルなど枚挙にいとまがない。特に、アイフルのチワワを起用したコマーシャルは「どうする、アイフル」というものだったか。動物のつぶらな瞳は、視聴者に訴えかける意味ではもっとも適しているものだろう。

 サラ金地獄という物騒な言葉が社会問題となったのは昭和後期のこと。オイルショックで不況となった昭和五十三年あたりから、各社の紙面にたびたび載せられた。サラ金から借りた金の返済額が雪だるま式にふくれあがってしまい、返そうにも返せなくなる。借りる時の仏の顔。返せぬ時の般若の顔とでも言おう。新聞紙面にも連日広告が載っていた。もう潰れてしまいあともないサラ金の名前がたくさんあった。なにせ、定期券と健康保険証の二枚があれば、すぐに借りることができるような時代だった。そのころの年利は一〇九・五%が上限だった。金を貸しても、貸し手が利息をつけて返してくれれば儲けもの。しかしながら、一度返済が滞れば、地獄が待ち受けていた。

 当時の取り立ては、今のヤミ金融のそれと同じようなものだった。四六時中電話を架け続けるのは当たり前。債務者の家に行き、隣近所に響くように怒鳴り立てる。時には職場に直接乗り込んで、金を返すように「説得」することも珍しくなかった。一度返済が滞ればあとは利息や遅延損害金が膨れ上がっていく一方なので、そのうち返すことができなくなる。そうすれば業者も容赦はしない。近所にわかるように金を返せと扉や電柱にビラを貼る。娘息子のところに取り立てに行くとハガキを送る。そんな取り立てに追い詰められて、そのうち債務者が飛ぶこともあった。

 さてサラ金の金を返せず飛ぶとどうなったか。先に言えばさらに面倒なことになった。夜逃げしたとて住民票を移すと、そのことが業者にわかってしまうので移せなくなる。当然、職場にも居られなくなる。逃げた先であらたに生活を立て直そうにも、子供がいようものなら、住民票を移せないことで学校に通わせることができなくなる。八方塞がりの状況が待ち受けているだけだった。当時の文部省が、住民票がない場合でも転入ができるよう通達を出すまでこの状況は続いた。

 そんな取り立てが新聞紙面で取り上げられるようになると、悲惨な実態が明らかになってくる。取り立てに耐えかねて業者の前で割腹自殺を図った主婦。夫に内緒で借り入れてしまい、返せなくなったがために無理心中を図った主婦。途方に暮れて強盗殺人に手を染めたり、サラ金業者のビルに立てこもった事件などが見えてきた。サラ金を野放しにしておくことはできない―。五十四年あたりから、サラ金地獄を追放しようという社会的な運動が行われるようになると、新聞各社もその実態に迫っていった。その過程で、業界団体が法務大臣に献金していることがわかったり、サラ金業者が大手銀行から資金提供を受けていることなどがわかっていった。のちの五十八年、サラ金規制法が制定されたころ、報道各社もサラ金のCM放映に後ろ向きになっていった。年利も引き下げられ、旧態依然の取り立てをしようものなら、警察の手入れを食らって潰れることとなる。中小のサラ金業者は次々と看板を降ろしていった一方、今に続く一部の業者はサラ金冬の時代を乗り切った。元号が変わり平成になり、不況の時代に入った時、しぶとく残っていた業者は一気に攻勢に転じた。

 不景気で広告に困っていた報道各社も、割りかしサラ金のCMを流すようになっていった。以前ほど大きな額が飛び交うことが少なくなった時代には、大きなお得意先になったことは想像することが容易い。業者のCMも妙に凝った内容が増えた。倒産した武富士はダンサー。アイフルはお自動さま。アコムはむじんくんと、創意工夫に満ちた宣伝を繰り返した。つい十数年前についた悪いイメージを取り払おうと努力したのだろう。不況が拡大するにつれて、サラ金の貸出高も右肩上がりの成長を続けた。しかし、その実態はサラ金地獄と呼ばれたころのそれとなんら変わりないものだった。

 二〇〇〇年にアイフルなどの各社から借り入れ、離婚にまで至ったある主婦の体験はサラ金地獄のころと変わらないそれだった。債鬼のような取り立て人は子供の通う小学校に行き、子供に母親の居場所を聞き出した。家に行き、なけなしの数千円をむしりとるなどの取り立てをしていた。この実態が明らかになった時、過去のサラ金地獄になぞらえて追及するような報道の動きはほとんどなかった。サラ金は、報道各社の大きな得意先にまで成長していた。機嫌を損ねるような報道をして広告を引き上げられるようなことにでもなれば、大赤字になってしまう。

 これらの実態を重く見た金融庁が〇五年以降、業務停止命令などの厳しい処分を取るようになると、その取り立ての実態が散発的ながら報じられるようになった。〇六年にはアイフルに対して最大二十五日間の業務停止命令処分を下した。また、債務者が自殺などで死亡した際に生命保険金を賭けておき、保険金で「とりっぱぐれ」を防ぐようにしていたことも明らかになるなど、サラ金地獄のころと変わらない実態が広く知れ渡った。その後、国会でもさらに厳しい貸金業法規制などが定められ、業者側の厳しい取り立てはほぼ皆無となった。今日、サラ金から金を借りすぎて自殺した、強盗殺人を犯した、一家心中したという話はほとんど聞かない。業者側も、あくまで法に則って粛々と手続きをするように変わった。ただ、本当にサラ金地獄が終わったのだろうかと、時折思う。

 私が人材派遣会社の社員だったころ、特定の社員に向けた差出人がよくわからない手紙が届くことがあった。それをスタッフに渡すと、なにやら顔から血の気が引くような感じがした。事務所でたまたま電話を取ると、「**さんに代わってください」という声が聞こえた。社名も名乗らない、どんな用事か聞いても答えない。「社名も要件も教えてくれなければいるか居ないかも答えられない」と電話を切ったあと、電話番号を調べた。いうまでもなく、サラ金の取り立てダイヤルだった。ふと思うのは、昔のような取り立てをやめた代わりとして、法手続きに至るまでの間は「法に触れない」グレーゾーンの取り立てをするように変わっただけではないのだろうかと。差出人不明で、やたらどぎつい派手な色使いの封筒を目にしたこともある。水面下で、法律とコンプライアンスに沿った合法的な手段で債務者を追い詰めていく実態は、昭和のころのそれと変わらないように感じる。

 私ごときが別に気にしたところで、意味のないこととは思う。しかしながら、今やサラ金の宣伝はありとあらゆるところで見かけるようになった。東海道線のドアステッカーに貼られてる姿。インターネットの広告。深夜番組のコマーシャル。雑誌の広告と。アイフルのCM、「そこに愛はあるんか」はそのインパクトの強さから、よくインターネットで話題になる。そんな宣伝を見かけて育った若い人たちが、「サラ金は簡単に金が借りられる便利なもの」と変な誤解をしないことを願ってならない。サラ金という言葉が忌避されるようになり、消費者金融やカードローンとソフトな呼び方に変わったが、金貸しであることにかわりはない。

 とっ散らかってしまった記事になってしまったが、呼びかけたいのは一言。「サラ金からは借りないで」。


サラ金地獄のころの取り立てビラ=昭和五十八年

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