長岡 茂

サッカー日本リーグの古河電工に始まり、その後はJリーグ5クラブ(鹿島→新潟→湘南→鳥栖…

長岡 茂

サッカー日本リーグの古河電工に始まり、その後はJリーグ5クラブ(鹿島→新潟→湘南→鳥栖→北九州)で働いておりました。日本サッカーが、アマチュアからプロへ変わりゆくのをリアルタイムで経験しました。日本のサッカー文化が、もっと深まってくれる事を願っています。お仕事の話は、喜んで!😁

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2002年6月8日

県立カシマサッカースタジアムで開催された2002年ワールドカップも、6月8日のイタリア代表 vs クロアチア代表が最終戦。 あっという間の7日間でした。 https://www.fifa.com/tournaments/mens/worldcup/2002korea-japan/match-center/43950025 イタリア代表は、大会直前に鹿島アントラーズと国立競技場で調整試合をおこないました。 何故、鹿島アントラーズと対戦する事になったかというと、2001年

    • 2002年6月5日

      6月2日にカシマで開催する第1戦を終えて、余韻に浸ることなく、すぐに6月5日に開催される第2戦の準備に臨みました。 https://www.fifa.com/tournaments/mens/worldcup/2002korea-japan/match-center/43950017 第1戦は、14時30分キックオフの昼間の試合でしたが、第2戦は一日の最後となる20時30分キックオフ。カシマは、交通の便が良いところとは決していえないので、試合終了後に観客を積み残して最終電

      • 2002年6月2日

        2002年ワールドカップでは、茨城会場の運営責任者として、関わらせてもらいました。 大会の10年前の1992年6月は、ちょうど古河電工を退社して、鹿島アントラーズのクラブスタッフになった頃です。 これから始まる"プロサッカーリーグ"に向けて、「日本でプロサッカーが成功するかな…」なんて期待半分、不安半分な状況でした。 まさか10年後に、日本でワールドカップが開催されて、それも中の人として関わるなんて…アントラーズ的な言い方をさせていただくと『99.9999%』考えてもお

        • 第77回天皇杯全日本サッカー選手権大会

          チャンピオンシップでは、ジュビロ磐田に2連敗してしまい、リーグ連覇を達成できず。 チャンピオンシップの表彰式が、ピッチに入ってきた観客によって妨害された様子が、全国中継されてメディアに取り上げられて騒ぎに発展しました。 そんなどん底な状況下から、休む間もなく天皇杯に突入していきました。 1997年12月15日(月) JリーグAwards(@横浜アリーナ) ジョアン・カルロス監督やスタッフ、そしてベスト11候補の選手達を誘導のため、チームバスで横浜アリーナへ向かいました

        2002年6月8日

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          1997年チャンピオンシップ

          家の中を整理していたら、1997年12月から1998年3月までの手帳のメモが出てきました。 4ヶ月間で、チャンピオンシップ、天皇杯、アジアクラブ選手権、スーパーカップ、そしてリーグ戦開幕と、本当に忙しかった時期でした。 もう20年以上前の出来事ですが、記憶を引き出してみたいと思います。 当方のスケジュールを振り返りながら、まず1997年12月におこなわれたチャンピオンシップにフォーカスしました。 1997年12月2日(火) トヨタカップ(@国立競技場) ドルトムント(

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          エスティマの思い出

          ニュースで、トヨタのエスティマが生産中止になる事が伝えられました。 私は、エスティマ・エミーナという車種がマイカーでした。エスティマと比べると、ボディサイズが少し小ぶりで、ディープレッドマイカという鹿島アントラーズのクラブカラーに近い色の車に乗っていました。 当時、子供達の学校の都合で、ジーコは東京に住んでいて、時折イベントなどの都合で、車に迎えに行きました。普通の乗用車と比べると、車内が広いので、鈴木通訳もジーコに気遣うことなく座れるので、鹿嶋までの2時間近くの移動でも

          エスティマの思い出

          カシマのこけら落とし

          2019年8月30日 鹿島アントラーズの社長が、筆頭株主の株式会社メルカリ社長である小泉文明氏が就任したことが発表されました。 ニュースの記事で小泉新社長は、93年の県立カシマサッカースタジアムのこけら落とし、鹿島アントラーズ vs フルミネンセ戦を観戦されたようです。 その試合に関わっていた者として、とても懐かしく、そして観戦されていた方が、社長に就任された事に、時間の経過を感じる次第です。 鹿島アントラーズを宜しくお願いいたします。 良い機会なので、あの時の裏話

          カシマのこけら落とし

          ビッグクラブの移籍について

          ガンバ大阪のFW食野亮太郎選手が、イングランド・プレミアリーグのマンチェスター・シティへ完全移籍が発表された事に、「何故イングランドのビッグクラブなの?」という声がかなり上がっています。 確かにイングランドへの移籍では、浅野拓磨選手(アーセナル)、井手口陽介選手(リーズ・ユナイテッド)、板倉滉選手(マンチェスター・シティ)と、契約先クラブでは全くプレーすることなく、すぐに他国リーグへ期限付き移籍してしまっています。 何故、それでも移籍を選択するのか、その理由について、自分

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          株式譲渡について

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          お疲れ様でした

          今日、鹿島アントラーズの小笠原満男選手が、現役引退を発表しました。 彼らの世代は、他のチームも驚くほどの選手達が加入してくれました。満男、モト(本山雅志選手/現:ギラヴァンツ北九州)、浩二(中田浩二クラブCRO)、ソガ(曽ヶ端準選手)、祥朗(中村祥朗君)、武士(山口武士君)と所属していたチームでは、中心選手として活躍していた選手ばかりでした。 この頃の満男は、シャイで口下手で目立つ事を嫌っていたけども、ピッチに立つと、姿勢の良いボールの持ち方から、ドリブルで仕掛けたり、視

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          リーグカップ決勝のPK戦

          ジーコは、これまでに様々なことに対して意見や提言をしてきました。 これは、今でも大会の実施要綱にも記載されている事です。 それは、現在では「ルヴァンカップ」と名称を変更した以前の「ナビスコカップ」での出来事でした。 1999年の決勝は、柏レイソル vs 鹿島アントラーズの対戦でした。 この年は、ゼ・マリオ監督がシーズン途中で辞めて、ジーコが監督代行として、ベンチに座りました。 柏レイソルの監督は、覚えている方が多いと思いますが、西野朗前日本代表監督でした。 そうい

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          ユニフォームのデザイン

          鹿島アントラーズの2019シーズン用ユニフォームが発表されて、Twitter上でいろいろと話題になっていますね。 発表前にクラブ側は、ファン・サポーターの皆さんが、デザインを見て、「どんな反応をするのかな?」と結構心配モードです。 そういえば発表したら、物凄くクレームを受けたユニフォームの昔話を、お伝えしたいと思います。 クレームを受けたユニフォームは、エネーレの1998年&1999年に着用したホーム用でした。 ちょうど良い写真をネットで発見しました。(笑) みんな

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