香川真司の隆盛と衰退

誰もが知る日本の10番・香川真司がドルトムントに移籍し、マンUへ移籍し、ドルトムントへ戻ったキャリアをザックリまとめます。

まずは、香川の経歴と特徴をまとめます。
日本サッカー史上最高の選手です。ブンデスの名門ドルトムントの2年連続優勝の立役者になり、世界最高のクラブの1つマンUに移籍、文句のつけようはありません。
次に特徴(長所)をまとめます。
・狭いスペースでとんでもターン、トラップ
・高いアジリティ(俊敏)
・フィニッシュの精度が高い
・ラストパスも出せる
・両足ともで器用なプレーができる
・1stディフェンダーとしては守備は優秀

時系列で香川の活躍を戦術を交えて追っていきます。

第1次ドルトムント期
2010年南アフリカW杯後の7月にドルトムントへ移籍する。
(W杯でのスペインの優勝とペップバルサの晩年で世界はパスサッカー全盛期←これ大事)
南アフリカW杯でサポートメンバーながら、日本代表の練習で最も輝いていたとまで言われていた事は周知の事実
では、その頃のドルトムントはと言うと、クロップ体制3年目に突入という所

低迷期のチームを立て直した1年目

大量補強でクロップのチームになった2年目

グロスクロイツ、ゲッツェ、シャヒン、ベンダーたちを連れてチームを若返りさせる
当時はまだまだ知られていなかったし、言葉としてなかったゲーゲンプレッシングを巧みに操り、カウンターで殴り続けるという暴力的なまでに攻撃的なサッカーの基礎工事段階
(このサッカーには若い選手、特にスタミナがあり、アジリティが高い小回りのきく選手が向いている傾向にある)

足りないパーツ(香川)の補間と完成の3年目以降

開幕直後から4-2-3-1のトップ下に移籍してきたばかりの香川を置いて大正解、ブンデス前半戦を勝ち点43でぶっちぎる

この仕組みは
猛プレスで回収→(キックの上手い)CBが前線に送る→奪われる
の循環だったところにCBのパスをとんでもない精度で受け取る香川が加入した事で、
猛プレスで回収→CBが前線に送る→香川が受けて、散らす→周りが前向いてプレーできる
の循環に変わった
厳密にはゲッツェが既にいたわけだが起点が1つだけなら潰すのは比較的簡単だった訳で、この役割が2人に増えたことで馬鹿みたいに対応が複雑で難しくなる。
CBにフンメルスやらスポティッチ置いてる時点でクロップの戦術である事は確実、最前線にバリオスやレヴァンドフスキなど、収まりがいい選手がいる事で香川(&ゲッツェ)がセカンドボールを拾えることも計算の内だろう。

大切なのは香川がボールを受けていた位置だ。バイタルエリア(守備の4-4ラインの間)にできるスペースを見逃さず、徹底的にここでボールを受けていた。バイタルエリアで好き勝手にできるだけの技術力と受け方ができる選手は限られていた。それこそ、香川やシルバ、メッシの様に数える程しかいなかった。
制御不可能なドルトムントはブンデスリーガを2連覇する(※戦術レベルのマイナーチェンジはいっぱいしてる)
パスサッカーとゾーンディフェンスの時代への挑戦状とも思えるゲーゲンプレッシングの猛攻の中心人物をマーケットが放っておくはずがない。

マンU期
2012年6月に世界最高のクラブへ移籍
アレックスファーガソンが直々に獲得を希望したという。リップサービスかも知れないが、同時期にモウリーニョがレアルからオファーをしたという話もある。(香川と似た特徴を持っているゲッツェはバイエルンに就任したペップに呼ばれ、移籍していること事はこのタイプのプレーヤーの重要性を示している)

プレミアの屈強な選手の中に入って言った香川は対応に時間がかかった。
まだまたこの頃のプレミアは中盤の上空をロングボールが飛び交うチームが多い中で、ファーガソンは最先端のサッカー戦術を取り入れようと香川を獲得したのではないだろうか。
原因としては、2010-11シーズンのCL決勝でMr.最先端ペップのバルサにこれでもかという程にファーガソンのマンUはボッコボコのフルボッコにされている。

選択として、キャリックやギグス、ルーニーのいるユナイテッドはプレミアの中ではマシな方だったと思える。プレミアに適応していき、2年目から本領発揮というところで、ファーガソン政権に終わりが来る。これと同時にマンUは中盤の上空をボールが行き交うチームに成り下がり、"後ろから上質なボールが供給される事"で輝く香川の居場所は無くなった。(ここからマンUが低迷期一直線なのは周知の事実)

ファーガソンがもう数年居てくれればと今でも思う。

輝ける場所に戻ることを決意した香川はドルトムントへ戻る。

第2次ドルトムント期

せっかく戻った香川には残念ながら、一斉を風靡したドルトムントに欧州トップレベルはボールを持たせるという解決策を即座にぶつけ、ドルトムントは"ポゼッションもできる"形にシフトしようとしていた最中で"あの頃"のチームではなかった。というか、シフトせざるを得ない状況にされた。

香川がマンUに行っていた期間の欧州最先端戦術では、徹底的なまでに中盤と最終ラインの間を圧縮した守備戦術などが発展した。(アトレティコ、ユーヴェがCLで躍進、レスターのプレミア制覇など守備面での対応に優れたチームが香川の様なライン間を狙ったプレーを取り入れ始めたチームに猛威を振るった。)

ポゼッションは代表でやってきたと言わんばかりに下がって、受けて、散らして、と奮闘する香川だったが、期待されていた最も重要なバイタルエリアでラストプレーに関わるにはゴールから遠ざかりすぎた。

現在は、怪我がちな事もあるが、根本の原因としては戦術パラダイムシフトに飲み込まれ、1流の監督の歯車に過ぎなかった1選手である香川が付いて行けず、時代の遺物として取り残されていることだ。
また、トランジションサッカーが整備され、アスレチック能力が重要視されているが、狭いスペースでまた猛威を振るえるならば、香川はパートタイムでならいけると個人的に思っている。

最後に
ここまで読んでも代表で香川が活躍できると思っている方へ
日本に第1次ドルトムント期の様なフンメルス級のパスを送れる選手がいるでしょうか?
彼の活躍には、それ以前の下準備に制限がかかります。そんな偏った選手を日本基準でチョイスしたところで十分な戦力は集まるでしょうか?香川1人のために22人の選手選考をするのでしょうか?私は違うと思います。
あなたと私の判断はどちらが正しいかどうかW杯の本戦で一緒に確かめましょう。

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#サッカー #香川真司 #戦術 #ドルトムント #マンチェスターユナイテッド

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