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【選手分析シリーズ】第1回① セルヒオ・アグエロ

プレミア王者、マンチェスター・シティの絶対的エース。シティの栄光の歴史、その全てを知る男---。

どうも、フットサークルへようこそ。

今回は【選手分析シリーズ】と題し、選手の特徴や魅力なんかをデータを参照しながら筆者の独断と偏見で紹介していきます。

記念すべき第1回はマンチェスター・シティ所属、セルヒオ・アグエロ選手です。この選手は語りたいことが多いので初回ながら2回に分けて紹介していこうと思います。前半はアグエロがどのようにキャリアを歩んできたのかを書いていきます。
今後シリーズ化して他の選手も分析していくので是非覗きに来てくださると嬉しいです。

ではさっそく本題に入っていこう。

1.プロフィール

○セルヒオ・アグエロ
・国籍:アルゼンチン
・所属チーム:マンチェスター・シティ
・ポジション:FW
・利き足:右
・身長:173㎝ 体重:70kg
・生年月日:1988.06.02

2.前所属

○インデペンディエンテ時代

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アルゼンチンのインデペンディエンテでキャリアをスタートさせたアグエロ。2003年に15歳35日の若さでトップチームデビューを果たす。当時ディエゴ・マラドーナが1976年から持っていたアルゼンチン1部リーグ最年少出場記録を更新し、この記録は今(2019年9月現在)もなお抜かれていない。(※ちなみにJリーグの最年少出場記録は森本貴幸で15歳10ヶ月と6日)

その後着実に実力をつけ、2005-06シーズンにブレイク。同郷のレジェンドであるマラドーナの後継者、「ネクスト・マラドーナ」とも呼ばれるようになり、さらに同年バルセロナでブレイクを果たしたメッシとも並び称された。この活躍を受け数多のビッククラブが獲得に名乗りを挙げるなか、スペインのアトレティコ・マドリーへ移籍。当時の同クラブ史上最高額での移籍だった。

○アトレティコ・マドリー時代

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アトレティコではその期待に違わぬ活躍を見せ、元スペイン代表のフェルナンド・トーレス、同じく元アルゼンチン代表のディエゴ・フォルランらとツートップを組み、得点を量産。2006-07シーズンから2010-11シーズンまでプレーし、リーグ通算74得点を挙げた。2010-11シーズン終了後に退団希望を表明すると、バルセロナ、レアル・マドリー、ユヴェントス、チェルシーなどが興味を示す中で2011年7月28日、現所属のマンチェスター・シティへと移籍した。

3.生ける伝説

もし、この記事を見てくださっているあなたがシチズン(シティファンの愛称)であれば、アグエロが現役にしてすでにシティのレジェンドであることの説明は不要だろう。それほどまでにシチズンにとってアグエロはアイドルであり、ヒーローであり、まさにレジェンドなのである。

シティの栄光の歴史はアグエロと共にあると言っても過言ではない。

93:20---。
アグエロがシティに移籍した2011-12シーズン、シティはクラブ史上初のプレミアリーグ優勝を果たす。

最終節を残した1位のシティと2位のユナイテッドは勝ち点86で並び、得失点差でシティが8点上回っていた。

最終節は同刻キックオフ。

別会場でユナイテッドが先制したことで、シティは確実に勝ち点3が必要になる。

前半のうちにシティも先制点を挙げるが、後半に対戦相手のQPRに追いつかれる。さらにQPRのバートンが退場し有利に思われたシティはまさかの失点。スコアを1-2とし事態は最悪の状況に。

後半45分になってもスコアは動かない。

最悪なムードが漂う中、後半ロスタイムの47分、シティがジェコのゴールで同点とする。だが勝たなければならないシティ。さすがに今度こそ終わりだ。せっかくここまで来たのに…。誰もが諦めかけたその時だった。

93:20。シティが起死回生の逆転弾。これが決勝ゴールとなりホイッスル。ロスタイムのわずか5分間の逆転劇で波乱万丈のシーソーゲームを制し、同じマンチェスターの宿敵マンチェスター・ユナイテッドを振り切り、プレミアリーグ初優勝の栄冠を手にした。そしてその決勝ゴールを記録したのがセルヒオ・アグエロだったのである。

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↑93分20秒に決勝ゴールを決めたアグエロ。

それ以来、記憶に新しいプレミア史上初の勝ち点100を記録しての2017-18シーズン優勝、2018-19シーズン、前人未到の国内三冠でのプレミアリーグ連覇を含む4度のリーグ制覇、CLベスト4などの数々の記録に貢献。ティエリ・アンリに並ぶリーグ5季連続6回目の20得点超、シティの最多得点記録の更新など絶対的エースとして君臨。これだけの金字塔を打ち立てながら未だ健在、どころかペップ・グアルディオラの指導により進化さえ遂げているのである。

アブダビの資金投入以来、急速な成長を遂げてきたシティ。長らく隣人のライバルであるマンチェスター・ユナイテッドに苦杯を飲まされてきたが、まさにアグエロがこの歴史に終止符を打ち、今シティというクラブは黄金期を迎えているのである。

これがセルヒオ・アグエロが生ける伝説である所以だ。

シティが悲願のビッグイヤーを掲げるにはこのレジェンドの活躍が必要不可欠なのである。

4.セルヒオ・クン・アグエロ

KUN AGÜERO
これはアグエロのユニフォームに記されたネームである。

ご存知の方も多いかと思うが、「KUN」とはアグエロのニックネームである。では、どのようしてこのように呼ばれるようになったのか。

これまたご存知かもしれないが、どうやら「クン」とは日本のアニメが起源なようだ。

2014年に自伝を発売したアグエロ。その中でアグエロはニックネーム「クン」の由来についてこう語っている。

-「ニックネームである『クン』がどこから来たのか、よく尋ねられるんだ。
僕の両親が言うには、僕が小さい頃テレビで見ていた日本のアニメだそうなんだ。『クムクム』という主人公がいてね、石器時代の少年なんだ。
僕の両親の友達で僕にとっておじいさんのような存在であるホルヘ・チェッティが、僕のことを『クン』と呼び始めたんだ。僕が言うことのできた言葉は『クー』か『クーム』だけだったからね。
彼によれば、彼が僕に教えようとする時、その言葉はいつも全部僕が使ったものだったそうだ。彼は『クン、こっちにおいで』とか『クン、あっちにお行き』と言い始めたよ。」-

ちなみにこの日本のアニメというのは1975年から放映された「わんぱく大昔クムクム」だそうだ。筆者も「クン」の由来になったこのアニメを是非とも視聴したいところだが、Blu-rayの時代にビデオ屋に足を運び、そこから探し出すというのは中々に骨が折れそうなので断念することにする。もしご視聴済みの方がいればご感想をお聞かせ願いたい。

思わぬところで日本と繋がりがあったアグエロ。7月に行われたプレシーズンマッチ横浜F・マリノス戦での来日は叶わなかったものの、シティ退団後の来日に僅かながら期待してもいいのかもしれない。


最後まで読んで下さった読者のみなさん、ありがとうございました。第1回の前半はアグエロのキャリア、バックグラウンドについて簡単に書いていきました。この記事でセルヒオ・アグエロという選手のプレーについて、ひいては所属クラブのマンチェスター・シティに少しでも興味を持って頂けたなら幸いです。後半ではプレーにフォーカスして分析していきたいと思いますので是非覗きに来てください。それでは。

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サッカーの試合や選手の分析記事を書いています。 No City,No Life . 主にプレミアリーグ、マンチェスター・シティの記事になります。