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「前厄」という究極の道具

僕は今年23歳になります。もうなっています。では23歳だからどうなのかというと、今年が厄年になるのです。本厄の前年に当たる前厄です。(下の表と年齢がずれているのは表が数え年表記だからです。)

(画像出典:https://hotokami.jp/articles/164/)

厄年というのは、不幸や災難が起こるかもしれないから気をつけて過ごしなさい、謹んで過ごしなさいという年です。ですが、厄年なんて関係なく不幸や災難は訪れるというのも事実ではないでしょうかここで、「厄年だから不幸なことが起こる」という考えを「なんかあったら厄年のせい」という考えに変えてしまう事で、例えば自分に災難が降りかかった時や、自分がミスをしてしまった時に、「まあ、今年前厄だしな......しょうがない」と自分を落ち込ませず納得させるための道具を得られたことになります。責任転嫁ののための大義名分です。

この厄年という究極の責任転嫁ツールは、僕のような少しのミスを大きくひきずる心の弱い人間を救済してくれます。さらに、厄年はあくまで概念的なものですので、責任を押し付けられても、厄年がSNSで怒りの連続ツイート投下はしないでしょう(しないでしょう)。要は誰も傷つけずに自分の心から負の部分だけを取り除いてくれるという事ですね。ありがとう厄年。

突然ですが、ラストエリクサー症候群というものを知っていますか?

ゲームでめちゃくちゃ強い道具を手に入れたものの、なんだかもったいなくて結局使わずそのままゲームをクリアしてしまう、という各々何かしら心当たりのありそうな話に由来のある、いわゆるもったいない病です(あくまでネットミームの一つです)。

厄年という究極の責任転嫁ツール=大義名分も、このエリクサーと同じぐらいめちゃくちゃ強い道具です。むしろ、使用することへの心理的障壁がエリクサーに比べてめちゃくちゃ低いため、エリクサーよりもよっぽど使い勝手のいい道具だと思います。

大義名分というツールは使い勝手が良すぎるが故に、使いどころを誤らないようにしなければなりません。例えば、SNSでの炎上に嬉々として誹謗中傷の書き込みをしにいく人の頭の中では「間違ったことをしているからその人に攻撃しても良い」という誤った大義名分の式が成り立ってしまっています。人を傷つけて良い大義名分などは存在しません。濫用は禁物ということですね。

まあ、僕は後厄が終わるまでの3年間全ての不幸負心を厄年が泣いて謝っても押し付け続けるつもりです。厄年かわいそう。



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