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僕がASKAのファン Fellowsである理由。

ASKAさんについて検索してると、妙に冷めたブログに行き当たったりする。 ASKA様と持ち上げる熱狂的なファンが・信者が嫌いだ、ブログにオカルト的な話を書くのが嫌いだ、おかげで音楽がすんなり入ってこない……云々。

有名人にファンは選べない。
有名人も同じ人間。 それが僕の根底にある考えです。

「ASKAはこうあるべきだ」、または「過去のASKAとここがこう違う」という、どこかもどかしい思いがある人へ。
少し厳しいことを言います。

それはあなたの中の過度な期待、過去の経験則、または一般常識からくる
一方的な思いではありませんか。

あなたは「ASKA」を再び背負って再起したことが大きすぎるあまりに、今の一人の人間としての彼を見ようとしていないのではないか、と。
僕はあなたにはなれませんので、想像でしかありませんが。

子供に過剰な期待をする親や、過保護な親は否定されつつありますが、
アーティストに過剰な期待をするファンも似たようなものです。

一旦、普通の人と考えてみてください。
普通の人と考えれば、日々思うこと、いいと思ったこと、不確定な未来の話も当たり前のようにブログで紹介する、ふつうのコトです。
普通の人は自由にできることを、「ASKAさんだから」やってはいけないと思っていませんか? 有名人は影響が大きいからやっちゃいけませんか?
人が情熱を注いでいることに、他人がとやかく言うのは野暮というものです。

「勝手にルールを押し付けられて、黙り込むほどできちゃいない」

ただ有名人だから、ミュージシャンだからという一点で、余計なことをするな、政治について語るな、不確かなことで惑わすな、などと言われている。僕から見ると、とてもおかしなことです。
有名税ゆえのことですか? 仕方ないことですか?

ASKAさんは、そんな石の風に負けてしまうような人ですか?

次に、貴方が最初に好きになった理由と、それまでの時間を思い出してみてください。 あなたが見つけ、あなたが信じたから、
唯一無二であるとそう感じたから、好きになったはずです。

思い出は費やした時間に比例して大事になっていきます。
それは、どれだけあなたの中でキラめいているでしょうか。

人がどう過剰に称賛しようが、どんなファンがいようが、
当人がFellowsをどう思っていようが、未来に何を見ていようが
関係ありません。
結局、あなたはどう思いますか。 どう判断しますか。

一般常識からズレたことをしている?
変なファンがいるから嫌いになる?
そんなに自分の人生を他人に左右されたいんでしょうか???
自分の中のこれまでの思いは、そんな、今の一瞬の出来事や世間の常識なんかに負けてしまうものなんですか?
少なくとも僕の中の気持ちはそんなに軽くはありません。

自分の中の好きという気持ちだけであれば、
騙されて、自分を騙してそう思いこんでいてさえ、問題ない。

好きだと思っている理由って、実はあなたのとても深いところにあるはず。

僕は、他人の、「あるものが好きだ」と語る姿勢が、その理由が好きです。
あなたにしかない独自の感性や経験がキラめいているからです。

音楽は原初の娯楽ですから、好きだという気持ちはもっと純粋でもいい。
もっと独自性があってもいい。
特に楽曲は、それまでの人生の一場面と共にあり、時にフラッシュバックしたりするものです。

あなたの感性は、あなただけのこれまでの思いは、眩しいほどのキラめきは、世間の一般常識なんかに軽々しく左右される程度のものであって欲しくない。
そう願います。

僕は、復帰後、ASKAさんの人間らしい部分がより見えるようになったと思いますし、そこがとても愛らしいと思ってすらいます。
辛いときに厳しい言葉を掛けながらも理解を示してきた、Fellowsへの大きな感謝がある。 音楽への大きな思いがある。未来への希望がある。

コンサートに行くたび、ASKAさんは前よりも、全身を使って、
心から僕らに返してくれようとしてくれているように感じます。
今の「ありったけ」で。

ブログでようやく等身大のASKAさんにピントが合ってきた。
世界にまだまだ打って出たいという渇望がある。
まだまだやりたいことがいっぱいある。
だから、今のASKAさんが好きなんです。

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