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今現在のASKAさんのいろいろ。

今現在 2020年12月、ASKAさんがツイッターに色々な投稿をされてますね。
なんか新旧ファンを巻き込んで、ブログやめたりアカウント消したり、大変な騒ぎになってますけど。

僕に関してはなんにも変わることはないと思うので、残しておこう。

1. 自分が好き、自分が見つけたから

基本的に僕は、人と自分の思いや好きという気持ちをファンと語り合いたいとは思うけど、その後に、当人含め、他人の意見に左右されてどうこう、ということはまったくもってないと思う。

原初にこの人やべーわ、応援したいわ、と思う自分の気持ちから始まるが、好きになったのは世間や友人知人ではなくまさに「自分」がそこに反応できる感性を持っていて、タイミングよくその人を見つけたからだ。それを否定することは、自分の人生や経験、自己を否定するに等しい。

だって自分が見つけたから、そして自分が好きだという断固たる理由があるから。 我が思う故。 極論すればそんなもんで十分である。

また、その人の語る言葉、生き方、作品によって繰り返し感動や気づきを得て、思いはより固くなっていく。 そんな数十年築いてきた思いからすれば、今の数瞬なんてなんのことがあるだろうか。

2.  人である故に、どんな行動をとっても構わない

有名人は政治を語ってはいけない? まだ良くわからない不確定なことを語るな? こんなコロナ後の世界でまだそんなことをおっしゃるのですか。
よっぽど、「こういう人とはこうあるべきだ」という思いが強いのでしょうね。 あなたの社会通念ではそうでしょう。 僕は違う。

何度でも書くけど、有名な人も人であるゆえに、基本的人権というものがあるんじゃない? 有名ならば自由な発言を妨げられるなんて、そもそも変な話。

3. 分からないことは判断保留しても構わない

特にASKAさんが経験(したと本人が述べている)ネットストーカーについては、新しすぎて前例がないので、体験してない僕らには正誤が分からない。
まだULASの話もそうかな?

そういう話を聞いたとき、人は大体そんなことあり得ないと思って、拒絶の方に流れるのが興味深い。実は正しいかもしれないのに?
その話、本当に今判断しなきゃいけないことなのか?
分からないことは判断保留できる。

そして、これまで積み重ねてきたその人ではなく、表面で見えた数週間の印象で、好き嫌いをガラッと変えてしまうのも不思議なことだ。

僕はそうではないんだけど、どうやら一般の人には、「数瞬でも間違った行動をしてるように見える人を嫌う=自分が間違えた判断を晒して後悔したくない」みたいな変な心の動きがあるようだ。
すぐ決めなきゃいけない、みたいな社会の流れもあるかな?

でなければ、
「この人はこういう人だと思う過去の自分の経験則から来た気持ち」
と、
「今のちょっとした期間のASKAさんの行動」
を比べて、後者がさらっと勝ってしまい、好きが反転してヘイトに向かうことってあるだろうか。

冷静に判断すると、とても面白い話だ。

3. とはいえファンとは熱狂者の意であるから

狂ったように好きになることも、または何らかのキッカケで熱が冷めることもあるでしょう。
たださ、一時は好きだったんだから、冷めたら冷めたでスッと消えなさい。 ヘイトを撒き散らすんじゃない。

たとえ一時であっても、自分がファンであり、自分が情熱を、時間とお金を注いだことに対して、自分のSNS上での発言で、その人の名誉や名声を汚すようなことが未来にあってはならないと思う。
消えるならどうぞご自由に。 ヘイトは見えない形でやってください。
(エゴサしても分からないように、白い文字で読めないようにどうぞ。)

元ファンのヘイトが、新しいファンの門戸を閉ざすかもしれない。
だから、僕は、他人が見せるこの行為を一番嫌う。

僕はそれほど参考にはしないんだけど、世間一般の人は噂に左右されがちなようなのでね。 マスコミが「ファンがこんなことを言ってる」なんてヤワな記事も書くかもしれない。
ヘイトを持ったファンが、新たにファンになるかもしれなかった人を阻んでいる可能性を思うと、ついついきつい言葉を使ってしまう。

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